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神化論  作者: ユズリ
推定楽園
95/528

奇跡を謳う者 6

「なっ……」


 唖然とした表情で、アーリィは深紅の瞳を大きく見開いた。

 兵士達が運んで来た一回り大きなサイズの檻、その中にうごめくもの。それは薄闇の中でもはっきり認識出来る金の瞳をこちらに向け、自身にとっての獲物であるアーリィを檻と鉄柵越しに見つめていた。


 異形の化け物と、アーリィの視線が絡まる。

 息をすることも忘れて"それ"を見入るアーリィの瞳に映るのは、彼の背丈の倍以上はある魔物の灰色をした巨体。

 幾重にも鎖を巻かれ、何十にも錠を掛けられて鉄の箱に巨躯を封じられたその魔物は、獣のような体躯を丸めながら、じっと息をひそめるようにしてアーリィを観察していた。

 象牙色の鋭い牙が口元から幾つも覗き、そこから短く浅い呼吸音が漏れる。その度に短い体毛が、その呼吸に合わせて静かに揺れた。


 室内、それも観客たちから割と近い位置に闘技舞台が設置されているという事もあり、客の安全面を考えてそんなに大きな魔物は用意していないだろうと予測していたアーリィ。しかし、今目の前で兵士達が準備をしている次なる魔物の巨大さに、彼は驚愕の眼差しで瞳を大きく見開いたまま立ち尽くす。


「次なる魔物は本日用意した魔物の中でも最強の狂える魔獣、そのメガドラゴン級の圧倒的な巨体に俊敏さも同時に兼ね備えた合成獣"キマイラ"ですっ!」


 進行者の男の声が、遠くに聞こえる。

 男の進行する声はさらに続いたが、しかしもうアーリィの耳には一切入ってこなかった。彼はただ、今はまだ檻へと封じられて大人しくする巨大なキマイラを前に立ち尽くす。

 この巨躯の合成獣を前に、一人で一体どう戦うべきなのか……無謀とも思える戦いに、しかし逃げる事など出来ないし許されないアーリィは、そっと両手を握りしめて覚悟を決めるしかなかった。


 魔物の金色に光る瞳は、今もまだ静かにアーリィを見つめる。

 まるでじっと息をひそめて、自身を拘束する縛鎖の檻の開放を今かと待つように、キマイラは異様なほどの落ち着きを見せながら大人しく待機する。彼のその姿は、自分を見世物として見に来た周囲の人間たちの熱気や叫びを、静かに嘲弄しているようにも見えた。


「さあて、そろそろキマイラの檻を開放する準備が整ったようです! では早速行きましょう……本日のメインイベント、博士の造りし魔物の中でも最強を誇る禁忌の合成獣・キマイラの登場ですっ!」


 進行者の声に反応し、兵士達数人が檻を封じる幾つもの錠を次々と解錠していく。

 そうして自身の封印が徐々に解かれていくのを感じ、今まで身を丸めてじっとしていたキマイラがゆっくりと体を起こす。


 一つ、二つと鍵が外され、檻を巻く鎖の落ちる音が、アーリィの耳に届く。それはまるで、封印を解くカウントダウンのようにも聞こえた。

 そして、最後の鍵が外される。


「っ……」


 その光景を、アーリィは息を呑みながら見つめた。


 全ての錠を解いた兵士達は素早く退散し、キマイラを封じる第一の封印は全て解かれる。そのまま直ぐに、魔物を闘技場内へと投入する為の入場口に下ろされていた鉄の柵が、その入口を開放するように重厚な音をたてて上がり始める。

 それはすなわち、キマイラを拘束する全ての縛鎖が解かれたという事を意味した。

 そして同時に響いた鉄柵が完全に開放される音は、アーリィにとっての本当の戦い、その始まりを告げる合図となった。




 ◇◆◇◆◇◆




「……おい、なんか闘技場の方が騒がしいがなんかあったのか?」


「ああ、何でも奴隷の女が妙な力を使って魔物を倒しちまったらしいぞ」


「魔物を? マジかよそれ。てかなんだよ、その妙な力ってのは」


「さぁ……でもなんだか見たことのない光とかが女の体から出たりして、それが魔物を吹っ飛ばしちまったとか……俺も直接は見てねぇから詳しいことはわからねぇよ」


 アーリィのいる地下闘技場から少し離れた地下通路の一角で、見張りの兵士らがそんな会話を交わしながら暇を持て余したような様子で、周囲の監視と警備を行っていた。

 先程の会話について兵士の一人が、もう一人の兵士の言葉に「見たことのない光って……そいつ何者だよ」と興味を示す。

 しかし問い掛けられた方の兵士は、「さあな」と首を横に振るだけだった。

 すると、闘技場の様子が気になったらしい男が、嬉々とした様子でこう相手の兵士に告げる。


「なあ、ちょっと闘技場の方に行ってみないか? その変な力を使う奴、見に行こうぜ!」


「え? ……お前、んなこと言ってここの見張りはどーすんだよ」


 眉をひそめる兵士に男は、あっさりと「そんなもんいいよ」と答える。


「どうせこんな所に人なんて来ねぇよ。上は上で楽しく祭やってんだし、奴隷だって逃げらんねぇ。大体最初から見張りなんて意味がないんだよ、暇だし」


「……ま、それは確かにそうだけどな」


 男の訴えに、兵士は素直に頷く。しかし直ぐに考え直したように首を横に振り、男にこうも付け加えた。


「いや、でも次は闘技場にあのキマイラを放すらしい。あんな狂暴な化け物、危なくて近くでなんて見てらんねぇよ」


 その一言に、面白半分で闘技場を見に行こうとしていた男の表情が変わる。


「マジかよ、本気であの化け物を使うのか? 俺はてっきり、あのキマイラの檻は試合が終わった後にでも、貴族に見せびらかせて金を取るものかと思っていたぜ」


「そりゃ、俺もそう思っていたさ。でもとんでもない奴隷が混じっていたせいで、同じくとんでもないモンを使わざるをえなくなったらしいぜ」


 二人は薄暗い通路をゆっくりと歩きながら、そんな会話をのんびりと交わす。

「でもそんな化け物同士の戦いなら、ますます見たくねぇか?」と男が顎を撫でながら呟くと、兵士は苦笑いを浮かべて「だったらもう好きにしろよ、お前」と呆れたように言葉を返した。


「あ、じゃあ俺ちょっと見てくるわ。見張り、抜けていいか?」


「ったく、仕方ねぇな。……後で煙草一本よこせよ」


 兵士が苦笑混じりにそう要求すると、闘技場を見に行きたくて仕方ないといった様子の男は、「おぉ、それくらいかまわねぇよ」と言って軽く手を上げる。


「ちょっと見たら戻ってくるからよ」


「あーわかったわかった、わかったからさっさと行け」


 早く見に行かないと、いくらすごい力を持つ女だからといっても、あのキマイラ相手だと瞬殺かもしれない。そう思い男は、ほとんど相手の兵士に背を向けた状態で「よろしくな」と声をかける。

 そうして早速闘技場の方へ向かおうと駆け出した男だが、しかし彼は何かと思ったように直ぐ足を止める。男は振り返りながら、おもむろにズボンのポケットを探った。


「おい、煙草忘れるといけねぇから今のうちに渡しとくわ」


 そう言い、男は兵士の姿を求めて後方へと視線を向ける。

 しかし、そこには既に兵士の姿はなかった。


「は……?」


 一体何が起きたのか理解出来ず、男は口を半開きの状態で動きを止める。

 茫然とした男の瞳が見たのは、先程の兵士ではなく、見知らぬ銀髪の青年の姿。そして彼の足元には、つい数秒程前には普通に会話をしていた筈の、兵士の変わり果てた姿があった。


 首筋辺りから夥しい量の鮮血を流し、ピクリともせずに俯せで倒れる兵士と、そして音も無く突如現れた謎の青年。

 その青年の手に血に濡れた短剣が握られていることに気がつき、やっと我に返った男は大声をあげようとする。だがしかし、彼が息を吸い込んだ瞬間、銀髪の男が彼へと鋭い視線を向けた。


「っ!?」


 そのまま銀髪の青年は、常人の肉眼では捉えきれない速度で動く。彼は男の首を力の限りわし掴み、そして男の体を近くの壁へと叩き付けるようにして拘束した。


「うあっ! ……っ……」


 喉元を満足に息が出来ないほど強く掴まれ、男は呼吸困難へと陥る。

 そんな男の喉元へさらに、鮮血が滴る短剣が突き当てられた。


「よぉ、おっきい声はちょっと控えてもらえねぇかな、お兄さん」


 男を拘束したユーリは残忍な眼差しを彼に向けて、唇を弧に歪めながらその耳元でそっと囁いた。

 男はどうにかして腰に吊った剣へと手を伸ばし、ユーリへ反撃に出ようとする。


 実は男が完全に窒息しないよう、ほんの僅か呼吸が出来る程度だけ、ユーリは男の喉元を握る力を緩めて調節していた。しかし、やはりユーリは殆ど窒息寸前まで、強く男の喉元を握っている。その為意識は何とか保てるも、指先から徐々に酸素が足りなくなっていき、男は上手く剣を握ることが出来ない。

 それどころか酸素が足りない為に、ユーリの手を振り払おうともがく力さえも彼の体からは段々と失われていく。


「っ……はっ……」


「あーあーワリぃな、おもいっきり首絞められたらそりゃ苦しいよな~」


 口をパクパクと魚のように開閉し、何とか空気を取り込もうともがき苦しむ男。

 酸欠で唇が血の気を失い始め、顔色も土気色になっている男に、ユーリはどこか愉快そうな様子の瞳を向けた。


「なぁお兄さん、この手と短剣を退かしてほしかったら、ちょっとばかし俺の質問に答えてくれねぇかな?」


「っ……っ……!」


 もう今にも意識を落としそうな男に、冷笑を口元に刻んだユーリはかまわず問い掛けを続ける。


「さっき闘技場でバケモンがなんたら~って、お前達話してたよなぁ? それ、どういうことだ?」


 灰色の瞳が鋭さを増し、糸のように細められる。


「ちょっと俺にその話、詳しく聞かせてくんねぇ?」


「あっ……がっ……」


 首筋に突き付けた短剣、その切っ先が男の薄い喉の皮膚を小さく突き破る。その首筋の傷から鮮血が滲み、さらにそこへ短剣を強く押し付けながら、ユーリは「今闘技場で、一体何が起きてるんだ?」と男を問い詰めた。

 しかし息をすることも困難な状態で、男が喋れるはずもない。苦しそうに掠れた声を発するだけの男に、ユーリは面倒臭そうに舌打ちを鳴らした。

 そうしてユーリは、男の首を絞める手の力を、さらにほんの少しだけ緩める。

 しかしユーリは決して油断することなく、力を緩めながらも素早い手つきで男の腰に吊された剣を、腰の革ベルトごと短剣で切り落として男が武器を取れないようにした。


「ほら、さっさと答えろ。何を放したんだよ」


 再度男の喉元に短剣を突き付けながら、ユーリは男を睨み付けた。

 すると男は白目が血走る瞳を向けて、何とか声を絞り出してこう呟く。


「き、さま……い、ったい……」


 男の掠れたその呟きに、ユーリはあからさまに不愉快そうな表情を浮かべた。

 そして彼は喉元に突き付けていた短剣を、おもむろに男の左の耳元へと移動させる。そして耳元に鋭く光る切っ先を押し当て、彼は男に言い聞かせるような口調でこう語りかけた。


「お兄さんよぉ、俺の言葉ちゃんと聞いてた? いいか、俺は闘技場に何が起きてるのかを聞いたんだぜ? それともあれかなぁ~、正しく言葉を理解しないお兄さんの耳ははっきり言って不良品だから、優しくて親切な俺がばっさり削ぎ取ってあげよっかなー」


「ひっ!」

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