奇跡を謳う者 5
しかし痛々しく血を流しながらも向かってくる魔物に、なにか胸が締め付けられるような感覚を抱いた彼は、ほんの一瞬戸惑いの表情を浮かべる。
今まで彼は数多くの魔物や、あるいは殺意を持って向かってくる者だったら人間ですら躊躇せず、自らの手を血に染めて命を奪ってきた。
そう、彼は今まで決して抱かなかった"敵"を殺す事への抵抗感のようなものを感じ、迫ってくる魔物を見つめたまま次の行動へと移る手を完全に止めてしまっていた。
『ア゛ヴァア゛ァ……っ!』
「っ!?」
自分でもよくわからない曖昧な感情に気をとられ、唖然と立ち尽くしていたアーリィ。彼はすぐ間近に迫った魔物の呻き声で、ハッとしたように顔を上げる。
しかし、既に魔物の腕はアーリィを狙い振り下ろされており、その攻撃範囲へと入っていた彼は魔物の強打の一撃を避ける間もなくその身に受けた。
「いあぁっ!」
苦痛の悲鳴をあげながら、思いきり横薙ぎに吹っ飛ばされたアーリィの体が宙を舞う。
そして舞台上を2メートル程跳び、彼の体は固い石畳の床上へと叩き付けられるように落下した。
「ぐぅ……っ!」
唇の端から鮮血を滴らせながら、しかしアーリィは腹部と背中に感じる痛みを堪えてなんとか立ち上がる。
正直痛みに気を失いそうになりそうだったが、そんな事は許されない状況だ。アーリィは先程の余計な思考を振り払い、もう一度戦いに集中する為に、魔物を真っ直ぐ見据えたまま深く息を吐き出す。
(……あれはもう、ただの魔物でしかない。あいつはもう、さっきの女たちのようなヒトの姿には戻れない)
『戦わないといけない』という理解の邪魔をする不明瞭な感情に対して言い訳をするように、アーリィはそう自分の心に今一度言い聞かせる。
そうして彼は再び、古き言葉を静かな声で紡ぎだした。
『bloWInTOMEnA』
意識を半分、何も無い闇の底へと落としていくような感覚。
それは魔法という力を使う時、まず始めに行う儀式のようなもの。意識を深層意識の世界へと深く落とし、マナの力と同調することから魔法の発動は始まるのだ。
『CEBREezeREject』
魔物が近づいてくる気配や周囲で騒ぎ立てる観客達の声を、現実に残してきた意識の半分でアーリィはぼんやりと感じる。しかし、かまわずに彼はマナを体内に取り込み、そしてその不可視の力を魔力と結び付けて、攻撃の意思として具現化させようと言霊を紡ぎ続けた。
『EXtiNCtioNtERrorFlY.』
魔法発動の為の呪文詠唱とは、古くはマナと術者の"契約"を意味して唱える事を必要とした。
それは、魔法を失った筈の現代でも変わらないのだろう。普通の人間では扱えなくなる程に薄れたマナでも、こうして呪文を唱えれば今でも術者にマナは力を貸してくれる。
アーリィの体内に取り込まれたマナは魔力と共に急激に膨脹し、その瞬間アーリィの周囲に煌めく緑色の光がいくつも生まれた。
『ヴァア゛……っ!』
魔物の腕が振り上げられる。
すでにアーリィを攻撃範囲に捕らえた魔物は、彼を今度こそ撲殺しようと迫る。
しかし同時にアーリィの魔術も準備が完了し、その強力な反撃の刃を現そうとしていた。
「風よ、力を……!」
アーリィの叫びが、ざわめく闘技場内に響き渡る。
アーリィの周囲に煌めいていた緑の発光は、大きな円形の魔法陣となり、彼の紡いだ風の魔術が発動。
形を成した魔法陣は一瞬で弾け、再び細かい光の粒子と成る。そしてその光は風の弾丸となり、巨大な渦を巻きながらアーリィに迫る魔物へと襲い掛かった。
『ア゛ア゛ァァア゛ア゛ァッ!』
アーリィの放った風の弾丸は、魔物の胴体へとえぐるような形でぶつかっていく。
そしてマナを増幅し、さらにアーリィ自身の魔力で力を増した風は巨大な質量を持った魔物を軽々と吹き飛ばした。
重々しい衝撃音を伴い、魔物は闘技場の一番端、周りを囲った土壁へとたたき付けられる。
衝撃で土壁の一部は完全に大破し、魔物は崩れ落ちるようにして倒れ、そして動かなくなった。
「……」
肩で大きく息をしながら、吹っ飛び倒れた魔物をアーリィは見つめる。
そしてとりあえず終わった事に、彼は小さく安堵の息を漏らした。
だがしかし、アーリィの予想外の行動に、この闘技大会を開催したロウディーの手下である兵士たちは慌てふためきだす。
観客たちも同様、謎の力で敵を倒してしまった挑戦者の姿に、畏怖の声や驚愕の野次を飛ばす。
「なんなのだ、あの女は! 実験体にあんな力を持った者などいなかったはずだぞ!」
「そ、それが俺にもなにがなんだか……」
「ロウディー殿も部屋に篭りっぱなしでいないし、一体どうすれば……」
ロウディーというこの大会の主催者が不在の為に、不測の事態に兵士たちは困惑したように声をあげた。
「それにあの女の顔、なんだかどっかで見たことがある気がするのだが……」
兵士の一人がアーリィを見つめながら、眉をひそめて思考する。
すると、「そんな事よりも、これからどうするのかを考えろよ」と、別の兵士の声に彼の思考は中断された。
「どうするって……あいつは連れ戻すか?」
「いや、観客共は予想外の試合結果に混乱している。特に賭をしていた客共は、魔物の敗北に大損して暴れている奴もいるんだ。……このままあの女は、次の試合に出させよう」
「なっ!」
男のこの提案に、また別の兵士が思わず「本気か?」と問う。
男は深く頷き、数秒考え込んだ後再び口を開いた。
「次の試合にはアレを出せ。あの女と戦わせよう」
男のこの一言に、他の兵士たちは一斉に驚愕の表情を浮かべて男を見遣る。
「アレってお前、まさかキマイラを出すのか!?」
若い兵士の男が、僅かに顔色を青くしながら問い掛けの声をあげる。
すると男は再び頷き、「準備を始めるぞ」と兵士たちに声をかけた。
「ちょっと待て、アレは危険過ぎる! あいつはロウディー殿も手におえなくて持て余したくらいの本物の化け物なんだぞ!」
まだ別の兵士が抗議の声をあげると、男は兵士たち全員を見遣りながらこう彼等に告げる。
「だが客の中には、今日はあの化け物を見にやってきた奴らもたくさんいるんだ。キマイラの檻も用意してあるって事は使う事が確定してるという意味だろうし、それなら今こそあの怪物を使うべきだろう。あの女なら最悪の化け物が相手でも、少しは楽しませてくれそうだしな」
「し、しかし……」
未だに不安そうな表情を浮かべる兵士たちに、男は「さっさと準備をするぞ」と言って彼等に背を向ける。
「あ、おい待てよ! いいのか、ロウディー殿に許可も得ずに……」
「長い時間部屋に篭りっぱなしで出てこないんだ。あの方は他人が部屋に入る事を嫌うし、研究でもしていたら邪魔をするなと怒るぞ。それに今日の大会の運営の事は、全て俺達に任せると言っていただろう」
「そ、それはそうだが……」
「グズグズするな、客共が騒いでいる。それと誰かあの女の所へ行って、そこを動くなと指示を出して見張っておけよ」
男の注意に、兵士たちはハッとして足を速める。
予想外の事態に混乱しているのは男の言う通り、観客達も同様なのだ。
「とりあえず派手な試合で客共を静めるしかない。そのためにも、こんな事になった元凶であるあの女にもしっかり働いてもらうぞ」
兵士たちの先頭を歩く男は、そう小さく呟きながら、封印されし魔物のいる檻へと向かって足を速めた。
ロウディーに雇われた兵士たちが次の魔物の準備をしている頃、一方で一人闘技場の舞台に残されていたアーリィは、混乱に騒ぐ観客達の声を聞きながら、これからどうすべきか立ち尽くして考えていた。
まだユーリから奴隷たちを逃がしたという合図らしきものも無いし、それにもう少し彼らを逃がす為の時間を稼いだ方がいいようにも思える。
(客は騒ぎ出したし、兵士達も何やら準備に走り回っている……)
闘技場の中央で周囲の様子を冷静に見渡しながら、アーリィは少し乱れた息を整えつつ思考を続ける。
兵士たちが何やら動き出しているという事は、もしかしたら自分はこのまま次の試合を続けるということなのだろうか?
(呼び戻しにも来ないし……)
アーリィが小さく首を傾げると、その瞬間「おい、お前っ!」という怒鳴り声のような呼び声が響き、アーリィは声のした後方を振り返った。
するとアーリィがここへ来る時に潜った入場口に、一人の兵士らしき男がこちらを睨み付けるように立っていた。
「お前はそのままそこにいろっ! いいか、絶対にそこを動くなよ! お前には次の試合に続けて出場させる事が決定したからな!」
「……」
男のその伝言に、アーリィは無表情に頷く。
男の言葉に頷きながら、やはりこのまま試合を続ける事に決めたのかと彼は理解した。
そしてアーリィに声をかけた男は、そのまま彼を見張るように入場口に立つ。それをやはり無言で確認し、アーリィは再度周囲を見渡した。
「おい、何なんだ一体っ!」
「そいつは何者だ? それも実験の結果か?」
「まさかその女も化け物なんじゃないでしょうね?!」
興奮に騒ぐ人々の声を聞きながら、どうやら作戦は一先ず成功の方向に向かっているようだと、アーリィは安堵したように小さく息を吐き出す。
この調子で人目を完全にこちらへと引き付ければ、後はユーリが彼らを逃がしさえすれば全て上手くいくかもしれない。見張りの兵達も先のアーリィの行動で、闘技場へと集まりつつある。
「……」
次の試合でも負けるわけにはいかないと、アーリィは口元に滲んだ血を拭いながら前方を鋭く見つめた。彼の視線の先、そこには厳重な鉄の柵が下ろされた魔物を投入する為の入場口がある。
しばらくすると何も見えなかったその鉄柵の向こう側に、慌ただしい様子で兵士達が数人動いているのが見えた。
「?」
しかしどうも先程の魔物の準備と違い、妙に兵士達の数が多い。アーリィが不思議そうに眉をひそめて見ていると、突然機械によって拡張された男の声が、再び会場内に大きく響き渡った。
「皆さん、大変長らくお待たせ致しました! 先程の試合では、なんと挑戦者の彼女が、誰もが予想していなかった謎の力で凶暴な魔物を倒してしまいました! これには我々も驚きを隠せませんでしが、次の試合では少し魔物の強さをランクアップさせようと思います!」
進行役の男の言葉に、会場中が期待の歓声に包まれる。
「ランクアップ……?」
大歓声に掻き消される小さな声で、アーリィは不思議そうに呟きながら首を傾げる。
すると彼が見つめていた向かい側の鉄柵の奥に、何やら兵士達が数人掛かりで巨大な檻を運んでくるのが見えた。そしてそれを目撃した途端、アーリィの表情が驚愕に凍り付く。




