奇跡を謳う者 4
アーリィが不思議に思って周囲を見渡すと、闘技場から少しだけ離れた場所に設置された小高い特設席のような所に、兵士とは違った恰好をした黒服の男がなにやら声を発しているのが見えた。
「次の試合はなんとも珍しい、東方の血を引く黒髪の美女が挑戦者です! さあ、彼女は狂える魔物を前に一体どう戦うのか、皆さん注目です!」
どうやら声を拡張することが出来るらしい小型の機械に向かって黒服の男は喋り、その機械で声を大きくしているようだ。
しかしそんな男の声を掻き消すような勢いで、観客たちはより一層興奮に騒ぎ立てた。
「皆さん待ち切れないようですね! ではそろそろフィールドに魔物を放しましょう!」
この大会の進行役らしき男の声に反応し、魔物の檻を囲っていた兵士が数人動きをみせる。
低いうめき声を断続的に上げ続ける魔物の檻の入口へ兵士が二名ほど近付き、残りの兵士たちは踵を返して奥へと戻っていく。
未だに魔物側の入場口は厳重な鉄柵が下りており、檻と合わせて二重の囲いに魔物は阻まれ、今の状況ではアーリィの立つ闘技場へは立ち入ることが出来ない。
しかし、どうやら今から魔物の閉じ込められている四角い檻の鍵を開け、そして次に厳重な鉄柵が下りている魔物側の闘技場入場口の、その鉄の柵を持ち上げて魔物をフィールド内へと入れるようだ。
魔物側の入場口に残った兵士二人は、魔物を閉じ込める檻の入口へと近づいて、そこにいくえにも巻かれた太い鉄の鎖を手に取った。
そしてその鎖を檻の入口に巻き固定している錠の鍵穴に、兵士の一人が懐から鍵を取り出してそれを差し込む。
兵士らは慎重に鍵を回し、魔物を閉じ込めた鉄檻の、その入口を封じる錠をゆっくり解錠した。
カチリ……という軽い金属音が、騒がしい闘技場内にいながらもアーリィの耳に届く。
そうして錠が外れ、それによって檻を封じる鎖が完全に解ける前に、兵士の二人は素早く入場口から退散していった。
「それでは準備が整ったようです! 大変お待たせ致しました、次のスペシャルマッチを始めます!」
黒服の男の声に反応するように、会場内が再び狂気的な熱狂に溢れかえる。
耳が痛くなるほどの大音量のざわめきと興奮の叫びに、アーリィは思わず苦い表情で軽く耳を押さえた。
「では魔物を闘技場へ放します! 皆さん、挑戦者の彼女がどう魔物に立ち向かうのか見物ですよ!」
挑戦者とは名ばかりで無理矢理参加させられた人々が、魔物になどまともに立ち向かえるはずもない。
進行役らしき男の言葉に不快なものを感じ、アーリィは不愉快そうに目を細める。
やがて彼の瞳は、魔物と自身が立つ舞台を仕切る向かいの入場口の鉄柵が、徐々に開放されていく様子を見つめた。
「……始まった、のか」
呟いたアーリィの声は、周りの雑音に掻き消されて消える。
下ろされていた仕切りの鉄柵がゆっくりと持ち上がり、既に檻から出ていた魔物は完全に柵が持ち上がると、重々しい足どりでゆっくり闘技場へと侵入を始めた。
「さあ、試合開始ですっ!」
「やれぇぇぇっ!」
「ブッ殺せぇっ!」
始まりの合図に合わせ、観客たちが狂気を叫ぶ。
魔物は濁った片目でアーリィを真っすぐに見据え、一歩一歩を慎重に踏み出して前進していった。
ついに始まった、狂乱の闘技。
とても正気とは思えない叫びを発する観客たちの中心で、アーリィは一人静かに魔物と対峙する。
元は人間だったという魔物。
それは一人の人間によって行われた悪魔の実験で、元には戻れないほどに歪んでしまった命。
それをアーリィは、無表情に見つめた。
「……もうお前は、人には戻れない」
『ア゛ァァア゛……』
怒りや悲しみ、それらの感情を失った魔物は、虚無でしかない瞳をアーリィに向けながら彼へと近づいていく。
そういえば先程少女を喰らった魔物は、一体何を思って元は同じ仲間であった少女を喰らったのだろう。それとも感情を無くした彼らは、仲間であった少女のことなど忘れてしまったのだろうか。
そして今、この目の前の魔物は同じく何を思って、この舞台へと立っているのだろう……
「やれぇーっ! さっさと殺せーっ!」
「血だ、血を見せろ! 肉を引きちぎって、内臓をぶちまけろっ!」
周囲の騒ぎ立てる声に現実へと戻されたアーリィは、無意味な思考を中断させる。
そうして彼は無言で迫る魔物を見据え、深く息を吸い込んだ。
『sPEarFreezeColdLa……』
深く吸い込んだ息を、アーリィはそのまま古き言葉の呪文として吐き出す。
動きが遅い魔物ならば、たとえ運動神経がさほどよくないアーリィでも、十分対処出来る可能性があるし勝機も見出だせる。
そう、相手が攻撃を仕掛けてくる前に、魔法を紡いで放てばいいのだ。
アーリィは臆することなく魔物と対峙し、そして彼が紡いだ言霊は彼の明確な意思に従い、大気中を微かに漂うマナを彼の体内へと取り込む。
そうしてアーリィの体内に取り込まれたマナは、体内で量を増しながら彼の魔力と結び付いて、彼の攻撃の意思を現実世界へと反映させた。
「な……なんだあの光は……」
「なに、あれ……」
アーリィは呪文を紡ぎながら左手を持ち上げ、魔物へと掌を向けて掲げる。
すると掲げた左手の掌の前に、魔法発動を示す青色をした円形の魔法陣が顕現。
それは、会場にいる者達が一度として目にした事の無いもので。
「なんだ、あの女は……!」
古代呪語で文字を綴った円陣の出現に、先程まで狂気を駆り立てていた周囲の観客たちは、今度は違うざわめきをみせた。
だがアーリィは気にすることなく、彼はそのまま魔術発動の最終調整に精神を深く集中させる。
やがて自分の意思を完全に具現化させることに成功したアーリィは、大きく真紅の瞳を見開いた。
次の瞬間、アーリィの前に出現していた魔法陣が唐突に弾けて霧散する。
そして魔法陣の消失と同時に、アーリィの掲げた左手前方に無数の氷塊が鋭利な刃となって出現した。
アーリィの生成した氷の刃は、瞬時に魔物へと高速殺到。その凍てつく殺意の矛先は、爛れた魔物の皮膚へ、次々とえぐるようにして突き刺さる。
『ア゛ァァア゛……ッ!』
胴体、左腕、両足、そして顔面の右半分へと深く突き刺さった氷の刃に、魔物は言葉にならない声で痛みを訴えた。
だがしかし、魔物は氷塊の突き刺さった傷口から赤黒い体液を零しつつも、足を止める事はなくアーリィへと迫り続ける。
「……少し手加減し過ぎたか」
まだはっきりとした足どりで歩み続ける魔物の姿に、苦い表情でアーリィは小さく舌打ちをした。
どうやら元は人間の魔物とはいえ、やはり実験の過程で肉体強化をいくつも行われ、そのせいで並の魔物より強靭な肉体を得てしまっているらしい。
厄介な事になっているなと、アーリィは再度忌ま忌ましそうに舌打ちをした。
魔物の強さの程度を認識したアーリィは、即座に次の魔法の準備に取り掛かる。精神を大気中のマナと同調させようと、彼は深く息を吸い込んだ。
しかし攻撃を受けながらも前進を続けていた魔物は、もう既にアーリィの目と鼻の先にまで迫っていた。
濁音の雄叫びと共に、体中に氷塊が突き刺さったまま、魔物は体液を滴らせながら腕を大きく振り上げる。
「くぅ……!」
筋力を増強された魔物の腕の一振りが、次の魔術発動の準備にかかろうとしていたアーリィへ容赦無く襲い掛かる。
するとアーリィは即座に魔法の発動準備を中断、彼は身を丸めて側方へと横転することで、その一撃を回避。
叩き潰す目標を失った魔物の腕は、赤黒い体液を周囲に撒き散らせながら石畳の床を思いきり叩き、そして床の一部に大きなヒビを入れた。
『ア゛ァァア゛ァ……』
身を丸めて攻撃を避けたアーリィは、素早く立ち上がりながら、魔物の立つ位置とは反対側のフィールド端へと駆ける。
攻撃をかわされた魔物は、駆けるアーリィの姿をゆっくりと振り返りながら目で追う。
『IceFreEzeFallBrEakcRueleDgE.』
魔物に背を向けて走りながらも、アーリィの唇は休む事なく言霊を紡いでいく。
本来魔術の発動には、その発動に集中する為の落ち着いた心と、マナと体を同調する為の深い精神集中が必要になるのだが、しかし今はそんなことに構っていられない状況だ。
アーリィは魔物から距離を取りつつ、古き言葉を唱え続けて、魔法発動の準備を行う。
そうして魔物の立つ位置から一番遠い舞台の端までたどり着いた時、彼は立ち止まりながら険しい表情で後方を振り返った。
「凍てつけっ!」
振り向きざまにアーリィは両手を前方へと突き出し、自身の目の前に再び青白く発光する魔法陣を顕現させた。
同時に狙いを定められた魔物の足元から、絶対零度の冷気が突如発生。
『ヴヴァ……』
それはアーリィが発動を最も得意とする、彼の汎用攻撃魔法の一つ。
対象の足元に冷気を生み出し、足元を凍らせる事によって動きを封じつつ攻撃する、水属性の中でも優秀な攻撃魔法。
魔物の足元に強力な冷気が生まれて、その両足が霜により床へと張り付く。それにより動きがさらに鈍くなった魔物に、アーリィの唱えたこの冷気の魔法はさらなる追撃を仕掛けた。
いつの間にか魔物の頭上には、いくつもの氷塊までもが発生しており、それらは自由を奪われた魔物へと向かって瞬く間に垂直落下する。
だがしかし、やはり魔術の発動に必要な事前の精神集中を疎かなものにした為か、魔法の威力は低いうえに精密さも欠けているようで、普段よりも敵の動きを封じる冷気までもが弱い。
この攻撃も結果的に致命傷には成らず、魔物はうめき声をあげるもまだ動ける様子を見せた。
『ア゛ァァア゛……ッ!』
凍てつく縛鎖を振り払い、肩や腕といった体中の至る所に氷塊を突き刺したまま、それでも思考を奪われて、唯一『戦え』という命令だけで動いている偽りの魔物。彼はそれだけ傷だらけになりながらもその命令に従い、アーリィを殺そうと動く事を止めなかった。
「……」
体中を自らの流す体液で濡らし、怨嗟の声をあげながら腕を振り上げ迫ってくる魔物。
その姿を見つめた次の瞬間、不意にアーリィの動きが止まる。
そして人としての自我を失い、破壊衝動だけで動く魔物を見つめる彼の瞳に刹那、深い感情の色が宿った。
それは哀れみか同情か慈しみか、それとも他の何かなのか……感情を多く知らないアーリィには、それが一体何と言う気持ちなのかはわからなかった。




