禁忌を犯す咎人 6
レイビィと名乗った少女はやはり年のわりにしっかりとした人物らしく、ユーリへとはっきりした口調でそう告げる。
ユーリは頭を掻きながら、「あぁすいません、了解しましたよレイビィお嬢さん」と苦い表情をした。
「それじゃレイビィ、早速聞きたいんだけど……ここは一体なんなんだ?」
ユーリの問いに、レイビィは僅かに表情を曇らせる。そうして彼女は一瞬の沈黙の後、この牢に閉じ込められている人々の代表として語り始めた。
「ここは、この都でも有名な博士の研究施設の一部。ロウディー・ディズ・ディジィーって名前聞いたことない?」
「いや、俺ら旅のもんだしなぁ……アーリィちゃん、聞いたことある?」
ユーリの視線に、アーリィは無言で首を横に振る。
「ロウディーはね、表向きは兵士を強化育成するための薬を発明・開発する軍属の博士……だけど裏ではとんでもない実験を繰り返し、そしてその研究資金を集めるために貴族相手に最低な娯楽を行って金を巻き上げる腐った奴よ」
「……その、とんでもない実験ってのは?」
レイビィの説明に、ユーリは首を傾げ問う。
レイビィはそっと目を伏せ、牢の鉄格子を強く握りしめながら唇を動かした。
「人間を魔物に変えて、魔物を生み出す実験」
抑揚の無い声で、少女は静かにそう答えた。
◆◇◆◇◆◇
『グルアァァァァァッ!』
「っ……!」
光の無い暗い瞳をエレスティンへと向け、成り害いの魔獣は大きく口を開けながら低い咆哮をあげる。
そして鋭い殺戮の爪を宿した前脚で、魔獣は対峙するエレスティンへと攻撃を仕掛ける。
彼女の体の中心に巨大な風穴を開けようと、魔物の爪が疾風の如き勢いでエレスティンへと迫った。
「くっ……」
突き行く魔物の一撃は、纏う周囲の空気すら刃へと変える鋭さを持つ。
それをエレスティンは、持ち前の反射神経と運動能力で素早く反応して回避。側方へと飛びのきつつ、即座に彼女は立ち上がる。
一秒前まで自身のいた場所は、魔獣の突き刺した爪によって爆音を伴いながら破砕。それを横目で見つめながらエレスティンは、埃に汚れた漆黒のドレスの裾を払った。
「……どうした、逃げてばかりではやられるぞ?」
嘲りを含んだロウディーの声が、エレスティンの耳へと届く。
不愉快そうにエレスティンは目を細め、続く魔獣の前脚による刺突攻撃を疾駆し避ける。
「ククク……それとも攻撃出来ぬか? 確かに今は異形の化け物といっても、この魔物は元々はお前と同じ人間であるからな」
「っ……!」
鋭く光る魔獣の爪を飛びのき避けながら、ロウディーの言葉にエレスティンは強く唇を噛み締めた。
「やはりこれも……人なの?」
やり切れなさを宿した、深緑の瞳。
その哀しみに満ちた瞳は一瞬対峙する獣の姿を映すも、直ぐに彼女の眼差しは弱さを消し去り戦士の瞳へと変わる。
そして、人として生きる道を失った魔獣は、意思の無い濁った瞳でエレスティンを静かに見下ろした。
「人の命を弄ぶなんて……許さないっ!」
「ふ……なにを言う。人を魔物へと変える実験は、お前たちヴァイゼスから盗んだ技術だ。お前がわしから取り替えそうとしているあの研究資料こそ、悪魔の実験を事細かに記載した資料……先に禁忌を犯したのはお前たちの方だろう?」
エレスティンの怒りを嘲笑うかのように、ロウディーは顎の髭を撫でながら静かな口調でそう彼女へと告げる。その彼の一言に、エレスティンは悔しそうに口をつぐんだ。
そう、今回エレスティンがロウディーから奪い返す目的の研究資料とは、彼の言う通りかつてのヴァイゼスが行った禁忌の実験を記した資料だ。
「この魔物はお前たちがかつて犯した罪の形だ。今はあの男……確かジューザスとかいう男が代表となって、このような実験は全て破棄されたと聞く。ならばいっそのことこの禁断の実験方法を記したあの資料は、わしの手元に置いておくべきだ。もうこの実験……『人を魔物へと変える』実験を、お前達は行わないのだろう?」
「っ……当たり前よ!」
斬撃がエレスティンの右腕を掠る。白い肌に裂傷が生まれ、鮮血が痛々しく滲む。
追撃する魔獣の刺突と斬撃を紙一重で避けるエレスティンに、ロウディーは低く笑いながら「ならばやはり返しても宝の持ち腐れだ」と呟いた。
「何を言うのっ!? 人の命を弄ぶ行為が『宝』な訳ないでしょう!」
「お前こそ何を言う。今は道徳に反した行いを止めたからと言って、お前達"ヴァイゼス"が過去に犯した罪が清算される訳ではなかろう」
「それは……っ」
ロウディーの厳しい言葉に、エレスティンの動きが一瞬止まる。
たとえ今は違うと言っても、確かにロウディーが指摘する通り過去の自分たちは人の命を多く使い、そして許されない禁断の実験を数多く行ってきた。
それらは全て"ある目的"の為だったとはいえ、自分たちが犯した罪は確かに拭い去ることの出来ない忌まわしい過去として存在している。かつての自分たち"ヴァイゼス"は、今ロウディーが行っているような、『人間を異形の魔物へと変える』悪魔の実験すら日常的に行っていたのだ。
「初めに罪を……許されざる行為を行ったのはお前達の方だ」
ロウディーの言葉が、容赦なくエレスティンの心をえぐる。
同時に、隙を見せたエレスティンへと魔獣の左前脚が颶風を纏い突き立った。
「ああぁっ!」
魔獣の一撃はエレスティンの腹部へと直撃し、彼女は苦悶の声を発しながら後方の壁へとたたき付けられる。
「ぐぅっ……」
鋭い前脚の爪が突き立ったエレスティンの腹部からは、熱い鮮血が滲み出す。
その傷口を右手で押さえつつ、エレスティンは苦痛に表情を歪めながらゆっくりと立ち上がった。
「……そのまま自分たちの罪の形にやられるか?」
「っ……黙りなさい」
口元に滲む血を拭い、老人の言葉を拒絶するようにエレスティンは吐き捨てる。
「確かに私たちは過去に多くの罪を犯し、許されない行為を数多く行ってきました。それは変えられぬ事実……だからこそ、これ以上あなたにあの研究を続けさせる訳にはいかない!」
「……」
固い意思を宿した彼女の双眸が、強くロウディーを睨み付ける。
「私たちの過ちを続けさせるわけにはいかないの」
エレスティンの右腕が拳を作り、彼女は何かを決意したように哀しき魔獣を見据えて呟いた。
「……ごめんなさい。今、安らかに眠らせてあげます」
『ヴヴァァ……』
何者かへと許しを乞うように、あるいは何かに祈るような呟きがエレスティンの唇から漏れる。
しかし祈りの言葉を唱え、たとえ"神"に許しを乞うても自分たちの罪が許されることは決して無いのだと、それはエレスティンにもわかっていた。『それでも……』と、彼女は腰を落として構える。
「……それでも、私にやれることはやっておかなきゃ」
たとえ元は同じ人間だったとしても、今はもう異形の者へと成り果ててしまったのだ。そんな魔獣を真っ直ぐに見据え、もう二度と人としての人生を歩めなくなった者へとエレスティンは最後の言葉を向ける。
「せめて今ここで、あなたの異形としての生を絶ってあげましょう」
魔物を傷つけることに対して、完全に迷いを無くしたエレスティンの表情が変わる。
元々は同じ人として、せめてもの償いとして魔獣を眠らせる選択をしたエレスティンは、決意の瞳のままに唸り声をあげる魔獣へと疾駆した。
◇◆◇◆◇◆
「人間を魔物に……?」
「うん、そう」
闘技場に響く人々の騒ぎ立てる声、それとは対照的に静かな少女の頷きの声だけがこの牢内に響く。
「ロウディーは人間……そう、私たちのような孤児や奴隷を金で集めて様々な人体実験をこの地下研究施設にて行っているの。元は軍兵士の肉体強化薬のための実験体を集めていたんだけど、数年前から色々やばい実験にも手を出し始めて、もっと沢山の人間を実験に使うようになった……」
「なるほどな。ではこの賭闘技は、その研究資金を貴族から巻き上げる為の娯楽というわけか?」
レイビィの説明に、アーリィは人々のざわめきが激しい闘技場方向へと横目で視線を向ける。それに、レイビィはゆっくりと頷いた。
「年に一度、ティレニア帝都で闘技大会が開催されるでしょ? あれに合わせてこれは開催されるみたい。上が騒がしくなるから、こういう汚い非合法な行為もしやすくなる」
そう言ってレイビィは、自分と同じく牢内へと閉じ込められた人々を見渡す。
「この牢屋内の人間から一人を選びだし、あの闘技場へと連れていって魔物と戦わせる。私たちは元々ロウディーに金で買われた、戦闘経験なんて微塵も無いただの弱い実験体……普通に考えて、魔物になんて勝てるわけがない」
「……わかってて戦わせるってわけか」
ユーリが胸糞悪そうな表情で呟くと、レイビィはどこか皮肉げに口元を歪めて「高い観戦費用を払ってでも人が殺される所を見たいらしいよ、あいつらは」と言った。
「ますます最悪だな、そのロウディーって奴も闘技観戦に来ている奴らも。ていうかよぉ、お前たちがロウディーってのに実験体扱いされて、今回そのクソな闘技に無理矢理参加させられてるのはわかった。けど、闘技のもう一方の相手……魔物なんてのは一体何処でどうやって捕獲してきてんだ?」
魔物とはその名の通り元は人々が『魔界』と称する世界の生き物で、遥か古の昔にリ・ディールへとやって来た魔族がこの世界へと大量に魔物を召喚したのが、リ・ディールに魔物がはこびるようになった理由だと現在には伝えられている。
「魔物は魔族とは違って基本知性も低いし強暴だし……それを傷つけずに捕獲して、さらに対戦相手として使役するなんて普通出来ねぇぞ?」
先程闘技場内で見た傷一つ無いバウンドウルフの姿に、「ロウディーってのはどうやってそんな真似を?」とユーリは首を傾げる。
するとレイビィは目を細め「気付かないの、あなた」と、ユーリを試すような言葉を彼へと告げた。
「え?」
「言ったじゃない。ロウディーは人を魔物へと変える実験をしていたって……」
無表情に、レイビィはそう呟く。
彼女の言葉の意味を察し、ユーリは驚愕に目を見開いた。
「まさかあの魔物……人間?」
「そうよ」
青ざめるユーリに対し、レイビィは顔色一つ変えずに淡々とした口調で続けた。
「人を魔物に変える実験自体、何かの実験の為に必要な過程の一つみたい。私たちがあの男の実験の目的なんてもの詳しくは知れないんだけど、でもあの男の最終目的の為には"魔物"の力が必要だったとか……それでロウディーは、まず自分が使役出来る魔物を作ることから実験を始めたの」
レイビィの言葉を補足するように、牢内の若い男の一人が「その実験の成れの果てが、今回俺たちが戦うことになる魔物だ」と呟く。
「……見事に最低の全てを兼ね備えた人物のようだな、そのロウディーというのは」
アーリィの無表情での皮肉に、レイビィは苦笑いを浮かべ「全くね」と頷いた。




