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神化論  作者: ユズリ
推定楽園
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禁忌を犯す咎人 4

 ロウディーが目を細め、エレスティンへと試すような視線を向ける。

 エレスティンは強く拳を握りしめ、ロウディーに負けぬよう信念を貫く眼差しを彼に向けて返した。


「そうなったら先程私が言った通り、あなたを倒して手に入れるまでです。それがジューザス様の命令だから、私は絶対にあなたから資料を返してもらう……愚か者には、私は容赦しないわっ!」


「ふむ……」


 エレスティンの怒りを込めた声が凛と響き、室内を震わせた。

 しかしロウディーは動じることなく、皺にまみれたその顔を笑みへと変化させる。

 さらにロウディーは声を押し殺して、何故か愉快そうに肩を震わせて笑った。


「ふっふっふっ、気の強い女だ……しかしそういう女は嫌いではない」


「……」


 ロウディーがさらに笑い声をあげる。

 エレスティンはあからさまに不愉快だという表情を浮かべ、不気味に笑うロウディーに睨みつけるように見遣った。


「……博士、私を女だからと甘く見ないでくださいね」


 エレスティンの忠告に、ロウディーは小さく頷く。


「わかっている。お前が見た目通りのか弱き女だと思うほど、わしもまだもうろくしてはいない。ここに来るまでに何人かの警備兵を置いておいたはずだが、それらを倒してお前はここまで来たのだろう?」


 ロウディーの問い掛けに答える代わりに、エレスティンは無表情にロウディーを見据えて口を開いた。


「……博士と交渉は決裂。残念です博士、ここからは実力行使でいかせていただきます」


「覚悟はよろしいですか?」と静かに問うエレスティンの最終宣告に、ロウディーが義眼の瞳を大きく見開いた。


「フフフ、ならばわしも実力行使で資料は守らせてもらうぞ」


「え?」


 低い掠れた笑い声と共に、ロウディーの右腕が緩慢な動作で徐々に上がる。

 するとそれを合図とするように、老人の背後の暗闇からなにかを引きずるような、不気味な物音が聞こえてきた。同時に、足元に感じる静かな振動。


「博士……まさか……」


 ロウディーの背後の闇から迫る確実に影、その不吉な気配を感じながらエレスティンは驚愕に目を見開く。

 そして暗闇から迫る気配の正体を察した彼女は、忌ま忌ましげにロウディーを睨みつけた。

 エレスティンの視線に、ロウディーは静かに微笑みを浮かべた。


「気付いたか、女よ」


「あなたって人は……最低よっ!」


 嫌悪と怒りをあらわにして、エレスティンは吐き捨てる。

 直後、激情を宿したエレスティンの瞳は、薄く笑うロウディーの背後に動く巨大な影の正体を映した。


 それは狭い室内いっぱいの背丈を持つ、暗い室内の闇に紛れるような漆黒色の魔獣の姿。

 いや、一見すると巨大な狼でしかないその魔獣は、しかしよく見ると顎はひしゃげて鼻先は痛々しくも潰れている。さらに鋭い牙の備わった口はいびつで、その魔物は骨格もどこか獣にしては不自然に歪んでいた。

 それはまるで、魔獣になりそこなった"なにか"のようで。


「……」


 紅い宝珠のような大きな瞳が、暗闇からエレスティンを感情無く見下ろす。

 エレスティンもまた、異形の魔物を何故か哀しそうな眼差しで見上げた。

 そして彼女は、なにかを決意するように唇を噛み締める。


「さぁ、存分に暴れるがよい……」


 ロウディーの哄笑が、耳障りなほどに大きく室内に響く。

 エレスティンは怒りに震える両腕を強く握りしめ、無言で羽織っていた外套を脱ぎ捨てた。




 ◇◆◇◆◇◆




 耳を支配する、人々の狂気の声。そしてそれに掻き消される、悲痛な人の叫び。

 人の狂いし歪んだ興奮は熱気となり、篭った地下空間を熱く満たす。


 ティレニア帝都という広大な土地の遥か地下、そこには怒号と歓声が渦巻く"もうひとつの闘技場"が隠れて存在していた。



「……なんだよ、これ」


 唖然とした表情で無意識に呟いたユーリの声が、闘技場の周りを取り巻く人々の叫びに掻き消される。


 人の騒ぎ立てる声と時折聞こえる奇妙な破壊音に導かれるように、微かな明かりだけを頼りに暗闇の通路をひた走ってきたユーリとアーリィ。

 細い漆黒の闇を駆けるうちに、やっと見えた小さな明かりに向かうと、その明かりの先に二人が見たものは、まさしく人間の歪んだ願望と興奮が渦巻く狂乱の舞台だった。


 地下空間にぽっかりと空いた巨大なドーム状の空間。

 そこには中央の空き地に石畳のフィールドが設置されており、その周りをどこか裕福そうな身なりをした人々が、手に酒や金を持ちながら取り囲む。

 そして中央のフィールド内では、首輪を付けられた華奢な少女がその手に不釣り合いな大きさの剣を持ち、見るからに青ざめながら全身を震わせ立ち尽くしていた。


 その怯える少女の視線の先には、背丈が彼女の倍以上はあろう獰猛な魔獣・バウンドウルフの姿。だが今はまだ首輪で柱に繋がれているため、獰猛な魔獣は自由に動けないでいた。

 その代わり自らの目の前に立つ少女を鋭い灰色の瞳で睨みつけながら、バウンドウルフは興奮に低い唸り声をあげる。

 そんな魔獣の様子に少女はさらに怯え、震える彼女の両足は今にも崩れ落ちそうだった。


 そしてフィールド内で不自然に対峙する少女と魔獣を、あたかも観戦するかの如く周りを取り囲んだ人々は、終始闘技場内に向かって野次や怒号を飛ばす。

 フィールドを観戦する者たちの中には賭けを行っている者も多くいるらしく、観戦席に置かれたテーブルの上にいくつもの大陸共通硬貨を並べては、金を手にしてなにやら大声で喚く者や歓喜に喜ぶ者なども多く見られた。


 それらの光景――闘技場と観戦席全てを見下ろせる空間上部の通路へと、偶然にもたどり着いたユーリとアーリィ。

 二人は驚愕に表情を固めながら、通路の手摺りから身を乗り出して下部の異様な光景を見つめた。


 その奇妙な"闘技"の光景の意味を、やがて二人は予想し理解する。



「人と魔物を戦わせ殺戮を楽しみ、さらにはその戦いの勝者を予想して金を賭ける闘技賭博か……」


 険しい瞳で闘技場内を見下ろしながら、アーリィが静かな声で呟いた。


「金持ちは暇と金を持て余しているから、くだらんことをよく考える。おそらく地上の闘技大会に合わせて、帝都が人々で混雑するその混乱に生じて開催されているのだろう。今のティレニアは上の混雑の警備だけで手一杯だろうし、それに地上も騒がしくなるから多少の騒ぎも上の雑音に混じってしまう」


「……にしても、ひでぇことしやがるな」


 アーリィの冷静な推測の言葉に、憤りを隠しきれない声でユーリが吐き捨てる。


「それにあんな剣もまともに持てねぇ女の子、戦えるわけねぇじゃねぇかよ」


「対戦者はおそらく金持ちの奴隷か金で買われた孤児だろう。……だからもし死んでも、誰もなにも言わない」


 その時、突如としてフィールドを取り囲んでいた観客たちの歓声が、より一層の激しさを増した。

 思わずユーリとアーリィが視線を闘技場中央の魔獣へと向けると、ちょうど首輪で繋がれていたバウンドウルフの鎖が解かれるところだった。

 そして、鎖を解かれて自由を得た狂える黒の魔獣は、迷いなく一直線に舞台で震える少女へと襲い掛かる。


 その瞬間、闘技場を見つめるアーリィとユーリの表情が驚愕に凍り付いた。



「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 狂ったように何かを叫ぶ観客たちの声の中に、微かに混じる少女の悲痛な悲鳴の叫び声。

 そして、白い石畳に鮮明な紅が無残に散った。


 口元を少女の鮮血で紅一色に染めながら、未だ興奮が収まらず低い唸り声をあげる魔獣。

 周りの観客たちもまた少女の死に興奮が高まったようで、大声をあげたり喚いたりと激しく騒ぎ立てる。

 賭けをしていた者達は、先程の勝負の結果に肩を落としたり喜んで跳びはねたりと、こちらも覚めやらぬ気分の高揚と高まりに大いにわいていた。


「……最低」


 非道な行為でありながらもそれを好んで見守る人々の姿を、冷たい眼差しでアーリィは見下ろす。

 彼の隣でユーリも、今目の前で起きた残酷な出来事に表情を歪ませていた。


 その時、アーリィたちのいる通路の反対側、その側から複数の足音が突如として響く。

 二人はハッと同時に顔を上げ、そしてこちらに迫る足音に表情を強張らせた。

 するとユーリは咄嗟に「アーリィちゃん、こっちだ」と小声で囁き、アーリィの手を掴みながら近くの物影へと身を隠す。


 二人で物影に身を潜めていると、しばらくして二人ほどの警備兵らしき男たちがこちらへと向かって歩いて来た。


「……どうだ?」


「いや、なにもいないな」


「不審な青い光りなんて、なんかの見間違いじゃないのか?」


 男たちはそんな会話をしながら、先程までアーリィらがいた辺りを軽く見渡す。

 しばらくすると男の一人が、「やっぱり見間違えだったのかな?」と首を傾げ、そのまま二人は足早に元来た道を戻って行った。

 男たちが完全に立ち去ったことを確認し、隠れていた二人はそっと姿を現す。


「このロッドの明かりは、どうやら消しておいたほうがいいようだな」


 そう呟き、アーリィは淡い青に発光するロッドの光りを静かに消した。


「……にしても、これは一体なんなんだよ」


 先程目撃した残酷な闘技に対し、強い憤りを滲ませながらユーリは呟く。不愉快そうな表情で彼は、再びあの闘技場内を横目で見下ろした。


 円形の空き地に設置された正方形の大きな闘技場、そこでは兵士数人が闘技場内に無残にも散らばった、おそらく先程の少女のものであろう体の一部や肉片・飛び散った血液などを黙々と片付けていた。

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