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神化論  作者: ユズリ
推定楽園
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禁忌を犯す咎人 3

 ならばこちらも次の試合に向けてなるべく体力を温存しておくために、ここらへんで決着をつけるべきだとイリルナは判断した。そして、彼は石畳を蹴りつけ疾駆する。


「……そろそろ決めてあげるわっ!」


 宣言と同時に彼は剣を水平に構えて、マヤへと突進をはかる。するとマヤも不敵な笑みを浮かべながら、意外なことにイリルナへ向かって駆け出した。

 だがマヤは右手に剣を持ってはいるものの構えているわけではなく、イリルナは彼女に突進しつつも疑問の表情を浮かべる。


「なに、自棄になった?」


 無造作に剣を持って駆けてくる彼女に、イリルナは「なら一撃で決着つけてあげる」と叫んだ。

 そして、マヤの右肩に狙いを定めてイリルナは疾風の如き刺突の一撃を放った。


 マヤとイリルナ、両者の間に宙舞う赤い飛沫。


 マヤの腕から夥しいまでの量の鮮血が滴る。

 だが刃を放ったイリルナは、マヤへと剣を突き刺したまま何故か困惑の表情を浮かべていた。

 なぜなら彼女の右肩目掛けて刺突を放った瞬間、彼女は左腕で右肩を庇い、そして左手を犠牲にして右肩を少し引くことによって右肩への一撃を回避したのだ。

 だがまだ俊敏な動作で右肩を引くだけの余裕があったのなら、なぜわざわざ左腕で甘んじて一撃を受けたのかイリルナは疑問だった。

 そんな彼の内心の疑問を読んだかのように、マヤは剣を受けた左腕に力を込めてイリルナの刃が腕から抜けないよう筋肉で固定、そうして彼女はニヤリと唇を歪める。

 そして彼女は傷口から鮮血を滴らせながらも、笑みを零しながら口を開いた。


「これくらい接近しなきゃ、アタシの足じゃリーチ短いから届かないのよ」


 その一言にイリルナは彼女の狙いが何なのかを悟る。だが時既に遅し、マヤは接近したイルリナの左の鳩尾へと渾身の膝蹴りを叩き込んだ。


「ぐぁがっ……!」


 左腕を犠牲に急接近に成功し、マヤの体重の乗った一撃は正確に男の胴の急所へ入る。

 イリルナは口から僅かに吐瀉物を吐き出し、苦悶の表情を浮かべながら後方へと倒れ込んだ。

 石畳に、イリルナの剣が軽い音をたてて転がる。

 鳩尾に叩き込まれた強烈な一撃に、イリルナの意識が一瞬混沌とした。

 そこにマヤが更なる強襲をはかる。


 仰向けに倒れて唇の端から泡を零すイリルナに向かって、マヤは両手で剣柄を握り刃の切っ先を彼に向けて迫った。


 イリルナの上に馬乗りで跨がり、マヤは残忍な処刑者の表情でその刃を振りかざす。

 未だ意識が朦朧としているイリルナの喉元目掛け、彼女は躊躇うことなく腕を急降下させた。


「そこまでっ!」


 青玉のフィールドに、審判の青年の声が大きく響き渡る。

 同時にマヤの手はピタリと止まり、彼女の振り下ろした刺突剣の切っ先は、イリルナの喉元を突き破る寸前で完全に停止していた。


 マヤは剣を下ろし、そして立ち上がりながら審判に向かってにっこりと微笑む。


「あら、冗談ですわー」


 小さく舌を出してマヤは審判へと告げる。そんな彼女の変わり様に一瞬呆気にとられるも、直ぐに審判の青年は手を上げて「勝負ありっ!」と大声で叫んだ。


「第一試合Aグループ青玉のフィールド・勝者はマヤ・ローダンセ!」


 審判の言葉に青玉のフィールドの試合を見守っていた観客たちが、歓声と怒号の入り交じった声をあげる。そんな周りの激しい雑音を耳にしながら、マヤは血が微かに絡む金髪をかき上げ低く笑った。


「……あ~ぁ、ちょっと怪我しちゃった」


 薄く目を開けつつも未だ状況がまともに認識出来ていないイリルナを冷たく見下ろし、マヤは左腕を庇うようにして彼に背を向けてフィールドを下りた。


「勝者は次の試合まで自由時間だが、ちゃんと時間までに控室に戻らなければ失格だからなっ!」


「はぁい、わかってますよ」


 審判の呼び掛けに背を向けたままでマヤは応じ、そして退場口へと足を向けながら彼女は自分たちを応援しているであろうアーリィとユーリのことを思い出す。


「う~ん、アーリィとユーリに会ってからローズに勝利報告でもするかなぁ」


 独り言のようにマヤは呟き、ついでに傷の手当てもしなきゃいけないなと、彼女は血が溢れる左腕に視線を落とした。




 ◆◇◆◇◆◇




 エルミラとレイチェルが作成した、小さな真空の硝子球とフィラメントを使った小型の照明具を片手に、エレスティンは長い暗闇の階段を上る。

 細い階段の周りには弱々しい燃料ランプの照明が設置されてはいたが、その光だけではこの足場の良くない階段を上るのは大変だ。

 エレスティンは手元の照明でしっかりと足元を照らしつつ、階段を一段一段上っていった。

 薄く照らし出される彼女の表情は、足を進めるたびに真剣さを帯びる。

 地下空間には時折人々の罵声や重い破砕音が不気味に響き、その音を耳にしながらエレスティンは拳を強く握りしめた。そして、険しさを増す彼女の眼差し。

 やがて階段を駆け上がるエレスティンの視線の先に、小さな明かりに照らされた薄汚れた灰色の扉が現れる。

 暗闇の中不気味に姿を現す扉に、エレスティンはゆっくりと近づいた。

 険しい瞳のまま、エレスティンは扉の前で一旦立ち止まる。

 真っすぐに前を向いたまま、彼女は躊躇うことなく扉に手を伸ばした。

 そして、彼女は暗い眼差しを向けながら、ゆっくりと扉を押し開ける。

 重く錆びた音を立てつつ、薄汚れた灰色の扉は開かれていった。


 エレスティンの瞳は開かれた扉の先、階段同様にほの暗い部屋の内部を静かに見つめる。



「……こんにちは、勝手にお邪魔させていただきますよ」


「……これはこれは、随分と美しい人だ。だが、招かれざる客だな」


 エレスティンの声に反応するように、室内から響く低いしわがれた老人の声。

 部屋の燭台に燈された蝋燭の淡い明かりが、室内中央でこちらに背を向けて佇む、小柄な人影をうっすら映し出す。


「ロウディー・ディズ・ディジィー博士、ですね?」


「いかにも。してお前は何者だ? 招かれざる客よ」


 ロウディーは灰色の顎髭を撫でながら、ゆっくりとエレスティンに向かって振り返る。

 左目が義眼の老人は金属の瞳を鋭く光らせて、エレスティンを観察するように見遣った。


「私はエレスティンと申します、博士。突然お邪魔してしまい、申し訳ございません。まぁもちろん招かれざる客だと承知で来たので、無礼な来訪を許していただこうとは思ってはいませんが」


 ロウディーに厳しい視線を向けつつも、エレスティンは軽い口調で彼へとそう語りかける。

 ロウディーは小さな茶色の右目を細め、「くだらん能書きは結構。簡潔にお前の目的だけを述べよ」と、しわがれた声でエレスティンに告げた。


 その言葉に、エレスティンは口元だけで笑みを形作る。

 ずっと地下を歩いていたことで、少しだけ湿っぽくなった髪を掻き上げ、エレスティンはロウディーと真正面で対峙した。


「6年前にあなたが、私たちヴァイゼスから奪った"研究"の資料を返してもらうために私はやってきました。大人しく私の言葉に従い研究資料を返却して、あなたが資料を元に行った"研究"の実験体を全て破棄するならよし。けれども私の要求を拒んで、資料を返却する意思が無いと私が判断したら……あなたをこの場で即刻始末して資料を返してもらいます」


「フンッ……女一人がほざきよるわ」


 エレスティンの宣告に、ロウディーは唇を引き攣らせたように歪ませて笑う。


「それに今日は年に一度の大切な……そう、"宴"の日なのだぞ?」


 ロウディーのその一言に、エレスティンの表情が険しさを増した。


「宴、ですって……?」


 低く、怒りを押し殺したようにエレスティンは静かに呟く。彼女のその様子に気付いているのかいないのか、ロウディーは喉の奥で笑いながら「そうだ」と頷いた。


「ここまできたということは、来る途中にお前も"アレ"を見たのだろう? ……年に一度このティレニアが闘技大会で盛り上がる中、ここ地下世界もまたあの狂気を味わいに人々が集まるのだ」


「馬鹿を言わないでっ! あんなの……あんなこと絶対に許されないわっ!」


 激情に震えるエレスティンの怒声が、部屋の蝋燭の炎を静かに揺らめかせる。


「あんなの人間のすることじゃないっ!」


 先程ここへ来る途中に自身の目が見た"もの"を思い出し、エレスティンは自分の怒れる感情を抑え切れずに、吠えるようにロウディーへと訴える。

 だがエレスティンの訴えにもロウディーは顔色一つ変えず、彼は顎髭を撫でながら静かに「さよう」と頷いた。


「あれは人のすることではないな。だがわしはとうの昔に"ヒト"の心を捨てて、人であることを止めた。今のわしは人ではなく……"魔物"だ」


「ふざけないで、あなたはただの薄汚い愚か者よ! 自分がどんなに酷いことをしているのか、それを理解する脳すらあなたには無い!」


「言いよるわ、小娘が。ならばお前はどうするのだ? お前の言う愚かなわしは、お前の望みなぞ聞けぬぞ?」

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