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神化論  作者: ユズリ
妖精寓話
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幸せの四つ葉 5

 ◆◇◆◇◆◇



 下弦の月が途切れた雲間から微かに顔を覗き、漆黒に包まれたガルガドの街を僅かばかり照らした。薄い雲は空全体を覆っている様子で、星は無い。昼間同様、あまり人気の無い静かな街は無音ともとれる闇の中にひっそりと存在しているようだった。




「……」


 その人は、フッ……と何の前触れもなく自分を照らした月の光に思わず顔を上げた。不思議な細い月を、その人物は色違いの蒼い瞳で眩しそうに見上げる。

 ガルガドの街外れ、もう何十年も前から誰も足を踏み入れることもなくなった廃教会。誰もがその存在を忘れ、天井の屋根が半分以上朽ちているため建物の中まで月光が降り注いでいる。雨にも大分晒されているようで、殆ど色の無くなった祭壇布やカーテンが散らばっていたり、形を無くした石造りの十字架が無造作に床に散らばっていた。


 まるで、ここには神など存在しないと主張するかのようだ。


 そんな中、今にも壊れそうな長椅子に腰掛けて月を眺めていたその人物は、僅かに後方から響いた靴音に目を細める。

 完璧なまでに整った美貌が月光を浴びながら、どこか不機嫌そうに歪められた。不自然なピンクの髪だけが、教会内に吹き付けた夜風にふわふわと楽しげに揺れる。




 ガタンッ――



 重々しくも、乱雑な音と共に大きな扉が開いた。




「……久しいな、ミレイ。まだくたばっていなかったか」


「……遅い」


 ミレイと呼ばれた人物は長椅子に座ったまま、振り返ることなく不満を口にした。美女のような造形の顔、その血を塗ったような妖艶な色の唇からは低く艶かしい男声が発せられる。それがアンバランスではあるが、けれども不思議と自然に受け入れられる。

 ミレイはやがて立ち上がり、無表情に振り返る。

 そこには、全身を闇夜と同化させたような黒ずくめで長身の男が立っていた。

 口元には、どこか挑発的な笑みを浮かべている。

 男のセミロングの黒髪と胸元に大きく不思議な刺繍のされた長い黒のコートが、再び吹き付ける夜風に静かに揺れる。


「ふんっ……お前のそのお綺麗な顔を斬り刻むためなら、もっと早く来たんだがな」


 男が暗い紺色の瞳を細めて低く笑って答えた。


 こちらもミレイに劣らずの美形だ。ただしこちらはミレイのような中性的というか、女性的な美しさではなく、所謂色男の部類。長い睫毛が月光で薄く影を作り、目元まで伸びた前髪から覗く切れ長の瞳が底冷えするほの暗い光を宿していた。


「……報告とは何だ? わざわざこちらを呼び付けるとは、何か理由があるんだろうな?」


 男の言葉にミレイがゆっくりと口を開いた。


「勿論だ。そちらにも一応、伝えるべきだと思ってな」


「フン……一応、か。人形風情が随分生意気な口をきくんだな」


 男の嘲笑うかのような言葉が、朽ちた廃教会に響く。


「――……口の聞き方に気をつけるのは、そちらではないのか?」


 ミレイは一瞬にして男との距離をゼロにし、男の首筋へとナイフの如く鋭い鋭利さを持った自身の爪先を向けた。男の首に刻まれた黒い薔薇のイレズミにそれは僅かに食い込んで、薄く血を滲ませていた。

 しかし男はとくに驚く様子も、恐怖することもなく……寧ろ可笑しそうに冷たい笑みを浮かべてミレイを見遣る。


「何だ? 事実を言われたくらいで頭にきたのか? ……人形は比喩ではないからな」


 狂気に満ちた、歪んだ笑み。それに臆する事なく、ミレイは表情無く見返しながら抑揚のない声で返す。


「……なら貴様も同様だ。あの男の命でここに来たのだろう?」


「……」


 ミレイのこの言葉に、男は僅かに眉を寄せて不機嫌を示した。

 唇だけでミレイは笑みを作り、やがて男から離れて数歩後ろへと下がった。

 そして、おもむろに男へと告げる。


「そろそろ計画を本格的に実行すべき時期が来た」


「……なんだと」


 男は多少驚いたように反応してミレイを見た。


「おそらくアレが動き出した。イヤ……動き出している、と言うべきか」


「あの男が喜びそうな話だな。面白い……しかし今頃何故?」


「さぁな……やはり時期が来たということだろう。邪魔が入る前に計画をスタートさせるべきだ。……それに”アンゲリクス”を見た。やはり邪魔になるだろうから、それはそちらで処分しろ。実験に使うなり、好きにするがいい」


「フン……お前がソレを言うのか?」


「……余計な言葉は寿命を縮めるぞ、マギ」


 ミレイの静かな忠告にも、男――マギは皮肉げに鼻で笑うだけだった。


「だが、肝心の”贄”がいない。それはどうするんだ?ソイツが計画の要だろう」


 マギのその言葉に、今度はミレイが冷笑する。


「それは心配ない。私がこうして動き出したからな。……あちらからいずれ、来るだろう」


「そのために憎しみを植え付けたってワケか……イイネ、そういうのは俺も嫌いじゃない」


「貴様と一緒にされると不愉快だ。……私はこのまましばらくは外に出ている。そちらはそちらで動け」


 マギとミレイはそれだけ会話を交わすと、互いに凍てつくような視線を交錯させる。

 だが挑発するようなマギの視線を無言で無視して、ミレイから目をそらした。

 マギの横を足早に通り過ぎる。


 一瞬、ミレイはマギのコートに大きく白で刺繍されたマーク――茨と十字架を象ったようなソレ――に視線を向けた。


 だが、一瞬何かを想うような瞳を向けるも、それ以上反応することなく黙ってミレイは教会を後にした。




「……やっと、動き出したか」


 自分以外誰も居なくなった教会内で、マギは闇の静寂の中静かに呟いた。その闇同様に暗い瞳に宿るは、どこまでも残酷になれる純粋な狂気。

 やがてその視線は彼の足元に無造作に散らばる石の破片へと注がれた。


 それは祈りを捧げることのなくなった、朽ちた十字架の一部。


 彼を無音で照らす月のように、マギの唇が同じ形に歪む。



「……無能な神は何も救わず、愚かな人間どもは何も知らずにソレに祈りを捧げる」


 彼の履いた黒いブーツの底が持ち上げられ、躊躇うことなく十字架の破片へと下ろされた。



「真の愚者は……どちらだろうな」


 粉々に砕け散った石の破片をマギは見下ろして、やがて狂ったように笑う。

 淡い月明かりだけが照らす深い闇の中に、男の歪んだ哄笑だけが低く響いた。




【幸せの四つ葉・了】

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