楽園の使者 2
「オッケ。じゃ、レイチェル行くわよ」
「うん、わかった」
レイリスに言われて、レイチェルもソファーから腰を上げる。と、レイリスは何かに気付いたように動きを止め、レイチェルを見つめて口を開いた。
「レイチェル、いい加減フードをとりなさい。室内だし、ジューザスに報告しに行くのだから顔は見えるようにしておきなさいよ」
「あ、うん……」
レイリスに注意されて、レイチェルは今までずっと被っていた黒い外套のフードをそっと外す。そうして現れたのは、異質な細い瞳孔を持つ大きな緑色の瞳。さらに短く切られた薄い茶色の髪の間からは、普通の人間とは違うことが一目瞭然の長い耳が覗いていた。
それらは全て、少年が人間と魔物のハーフ・"ゲシュ"であることを物語っていた。
「ここはあなたを"異端"だと批難する人間はいないのだから、フードをとって堂々としていなさい」
「……うん」
レイリスの言葉に、レイチェルは少し俯きがちに頷く。
世界で異端と呼ばれて忌み嫌われる"ゲシュ"である少年は、普段はそれがばれないように顔がすっぽりと隠れる外套のフードを被って生活していた。
世界が異端の者に厳しいことは、少年自身がもっともよく知っている。そのためレイリスの言葉に頷きつつも、レイチェルはどこか淋しげに異質な緑の瞳を臥せた。
「それじゃ、あたしたちはもう行くわ」
「はい。また今度、ゆっくりお茶でも出来たらいいですね!」
扉のドアノブに手をかけながらレイリスは、アゲハたちに別れを告げる。するとアゲハが二人に笑顔を向けて頷いた。彼女の言葉にレイリスは小さく笑い、「そんな暇、ホントにあったらいいわね」と呟く。そうしてレイリスとレイチェルは、ジューザスの元へと向かう為に部屋を後にした。
二人が去った後の部屋は、一瞬沈黙に包まれる。
残された4人はしばらくソファーの背もたれにもたれたり天井を見上げたりと、思い思いに彼らはくつろいでいた。
すると突然、静寂を破って「そういえば」とカナリティアが声をあげる。彼女の声にララが視線を向けた。
「どうした?」
「ああ、すいません。その……先日アンゲリクスと接触した時、少し懐かしい人にお会いしたので……」
カナリティアが恥ずかしそうにはにかみながら答えると、アゲハが「懐かしい人ですか?」と首を傾げた。
するとエルミラが横目でカナリティアを見遣り、ハッとしたように口を開く。
「もしかして、ユーリとかいってた男のこと?」
彼のこの一言に、ララが驚愕したように目を見開き「ユーリだって!?」と叫んだ。
「なに? オッサンも知ってるの?」
エルミラは問い掛けながら、アンゲリクスと接触した時にその場にいた銀の髪を持つ青年の姿を思い浮かべる。自分やレイチェルは知らないが、どうやらレイリスやカナリティアは彼を知っているようで、彼を『元・仲間』と呼んでいたことをエルミラは思い出した。
「あー、知ってるっつーか……あぁそうか、お前やレイチェル、アゲハはここに来るのが少し遅かったから知らねぇんだな」
ララは顎髭を撫でながらそう答えると、キョトンとしているアゲハに眼差しを向ける。そうしてララは、ニヤリと口元に意味深な笑みを浮かべた。
「ユーリってのはもう何年も前にここを抜けた男だ。確かアゲハ……お前のポジションに、当時その男はいたんだぜ」
「え? 私ですか?」
大きな瞳をさらに大きくし、アゲハは驚きの声をあげる。向かいに座るエルミラも、何故か一緒になり目を丸くしていた。
「そういえばそうでしたね……ユーリさんは当時、最年少でヴァイゼスの戦闘員をなさっていました。それと同時に、アゲハのような諜報活動も務めていましたね」
カナリティアはなにかを懐かしむように目を細める。彼女の説明に、エルミラは身を乗り出して「その人って、やっぱり強かったの?」と問い掛けた。
カナリティアは顔を上げ、少し寂しげな笑みを口元に浮かべてエルミラを見返す。
「そうですね……ユーリさんは、今のレイチェルくらいの歳にはもう武器を持って一人で戦っていました。その頃から、もうすでに彼は一人の戦士として完成していましたので」
「へ、へぇー……」
そんな奴と自分は一対一で対峙したのかと思い、エルミラは少し青ざめる。「まだ研究たくさんしたいし、生きていてよかった」と小声で呟き、彼は手当てを受けたばかりの両腕の傷をそっと撫でた。
「それにあいつはもう一つ、別の役割も担っていたいたんだぜ」
「なんですか?」
ララは自身の顔、額から鼻下までを一直線に走る大きな古傷に指先で触れながら、「処刑だよ」とアゲハの問いかけに答える。
「処刑?」
「……裏切り者の始末です」
僅かに目を臥せ、静かな声でカナリティアは呟いた。その一言に、アゲハとエルミラは同時に目を大きく見開く。
「裏切り者の始末って……それ」
「ああ。今は……ここの代表がジューザスになってからはそういう役割を担う人間は不要とされいなくなったが、昔はこの『ヴァイゼス』を裏切った連中には死の制裁をって事で、そういうのを始末する奴らがいたんだ」
「"処刑者"……と、呼ばれていましたね」
カナリティアの呟きに、ララは低い声で「あぁ」と頷く。
「処刑者……なんだか嫌な呼び名ですね」
「ホント……物騒だね、ずいぶんと」
「昔はここも色々嫌な噂の絶えない場所だったからな。今はジューザスの奴が全て指揮してるからだいぶよくなったんだよ」
ララの言葉に同意するように、カナリティアはコクリと頷く。そうして彼女は静かなため息を吐き出し、そっと目を閉じた。
「……本当に、あの頃とはここもずいぶん変わりましたね」
「そうだな……」
カナリティアは呟き、感傷に揺れる瞳をゆっくりと開く。ララもまた昔を想うように、切れ長の瞳を臥せて頷いた。
「……」
二人のその様子に、アゲハはなんて声をかけたらいいのか迷うような面持ちで彼らを見つめた。
アゲハがこのヴァイゼスに入ったのはほんの2、3年前の話だ。そしてその時は既に代表は、今現在もここを統べているジューザスとなっていた。
だが、それ以前の『ヴァイゼス機関』という場所は、嫌な噂の絶えない場所だったということはアゲハも話に聞いていた。今はジューザスが機関の道理に反した行いをほぼ一掃し、そんな彼を支持する者や志しに賛同する者たちが中心となって現在のヴァイゼスは活動している。
しかし、やはり過去には自分の知らない闇がここにはあったのだろう……ララとカナリティアの表情からはそんなことが伺えた。それに気付いたアゲハは、困惑した表情を浮かべて俯いた。
突如重苦しくなった場の空気に、エルミラもなにかを察して落ち着き無くそわそわとしだす。やがて彼は少しだけ言いにくそうな様子で、しかしやはり気になるのかララとカナリティアにこんな問い掛けを向けた。
「ねぇ、そのユーリって人は今いないけど……どうしていなくなったんだ?」
「そ、それは……」
エルミラの問い掛けに、カナリティアはハッとしたように目を見開く。しかしすぐに彼女は俯き、なにかを迷うように視線を下方へとさ迷わせた。
「?」
カナリティアのその様子にエルミラが小さく首を傾げると、彼女の代わりにララが口を開いてエルミラの問いに答える。
「ユーリはずいぶんと前にここを勝手に抜け出したんだよ」
「えっ!?」
つまらなそうに答えるララだったが、しかしこの問いにエルミラは驚愕の眼差しを彼に向けた。同じようにアゲハも、驚いたようにララをじっと見つめている。
「ここを逃げ出す裏切り者を始末する"処刑者"でありながら、ユーリは突然ヴァイゼスから逃げるように姿を消したんだ」
「ど、どうして……」
思わずエルミラが呟く。しかしララは小さく欠伸を噛み殺しながら、「さぁな」と首を横に振った。
「裏切り者を始末する者が裏切る……よくある話だが理由なんて俺は知らねぇよ」
「……」
ララの呟く言葉に、俯きながらもカナリティアは耳を傾ける。そうして彼女は目を閉じ、俯いたままそっと幼い唇を動かした。
「……ユーリさんは裏切ったわけじゃないんです、きっと。ただ、あの人は……」
「……カナリティアさん?」
独白のようなカナリティアの言葉を不思議に思い、アゲハが遠慮がちな声で彼女の名を呼ぶ。
その声にハッとした様子でカナリティアは顔を上げ、「あ、す、すいません」と慌てた様子で彼女は頭をさげた。すると、ララの鋭い視線が彼女へと向けられる。
「カナリティア……お前はもしかして、ユーリがここを抜けた理由を知ってんのか?」
「……」
目を細めて窺うような眼差しを向け、ララはカナリティアに問う。
しかしカナリティアは黙したまま、なにも語ろうとはしない。ララは沈黙する彼女に、今度は静かな威圧感を込めて「どうなんだ?」と重ねて問い掛けた。




