望まぬ再会、止まぬ雨 7
「神……そんなものをまだ信じている人間は、果たしてこの世界に何人いるんですかね」
「……そんなこと、私に聞くな」
独り言のようなユトナの問い掛けに、ミレイは素っ気なく言葉を返す。思わずユトナは「すいません」と、微苦笑混じりに頭を下げた。
ミレイはユトナをちらりと一瞥し、やがて無言で祭壇に背を向け歩きだす。
規則正しいミレイの足音を背後に聞きながら、ユトナは正面に飾られた祭壇へと視線を向けた。
白い十字架は茨に捕らえられ、その周りを取り囲む石の天使たちは熱の無い笑顔で世界を見下ろす。
それらは全て、一見神を主張しているようで、しかし逆にその存在を全否定しているようにも見える。
「……」
なんて滑稽な世界だ……と、ユトナは疲れたように静かに目を閉じた。
「……ユトナ」
「……?」
唐突に足音が止まり、ユトナはハッとして顔を上げた。突如名を呼ばれ、ユトナは不思議そうに振り返る。
「なんですか?」
背を向けたまま立ち止まるミレイに、ユトナは疑問の視線を向けながら問い掛けた。すると、ミレイは背を向けたままで口を開く。
「……一つだけ」
「?」
柔らかな日の光りが、礼拝堂の色硝子を通してミレイへと降り注ぐ。
薄い桃色の髪に、優しげな橙色が混じり合った。
「私は神を信じている。だが……」
振り返る。
日の光りに混じらない、澄んだ青の瞳がユトナを真っ直ぐに見つめた。
「私が神を信じているのは、それ以外の選択肢を私は知らない……ただ、それだけだ」
「……」
ミレイはそれだけ伝えると、彼から視線を逸らす。そして再度、礼拝堂内には規則的なミレイの靴音が響き始めた。
やがて重い音をたてて、礼拝堂の扉がゆっくりと閉まる。
完全な無音となった礼拝堂。ユトナはミレイが去った後の扉を見つめたまま、そっと静かなため息をついた。
「……神を信じる以外の選択肢を知らない……か」
感情の宿らない、硝子玉のようなミレイの瞳が脳裏に浮かぶ。
「ずいぶんと悲しい生き物だな……"アンゲリクス"ってのは」
さんさんと降り注ぐ色鮮やかな色硝子の光りを眩しげに見つめ、ユトナはどこか淋しげな口調で呟いた。
◆◇◆◇◆◇
「もう一人のアンゲリクスですって?」
眉根を寄せ、困惑した表情でマヤは呟く。
レイリスは妖しげな笑みを浮かべたまま、額にかかる前髪を軽く掻きあげた。
困惑した表情のままマヤがなにかを言おうと口を開きかける。するとそこに「レイリス」と呼び掛ける、少女の咎めるような声が二人の耳に届いた。
「あなたはいつもお喋りが過ぎます。エレスティンに注意されているでしょう」
「あらカナリティア、ごめんなさい。あたしってお喋り大好きだから、ついつい余計な事まで喋っちゃうのよね……」
カナリティアの注意の言葉にも、レイリスは相変わらずの微笑みを返すだけで、反省の色は全く見えない。カナリティアは呆れたようにため息をつき、「これ以上余計なお喋りは控えてください」とだけ彼に注意を告げた。
「はいはい。じゃ、お嬢さんも納得してくれたようだし帰りましょうか」
些か大仰な動作で首を横に振り、レイリスは呟く。そしてマヤたちに背を向け、早々に彼は立ち去ろうとした。すると隣でレイチェルが困ったような表情を浮かべ、「レイリスさん、ホントにいいの?」とレイリスを呼び止めた。レイリスは立ち止まることなく、声だけをレイチェルへと投げかける。
「今はあなたたちの手当てが先よ。またチャンスはあるって言ったでしょ?」
「で、でも……」
今だ困惑した表情で立ち尽くすレイチェルだったが、カナリティアに「行きましょう、レイチェル」と促され、彼も渋々といった様子で歩き出した。
レイリスたちがカナリティアたちの元へと向かう途中、凍てついた険しい瞳で自分たちを睨み付けるユーリとすれ違う。
「……」
微笑みを口元にたたえたレイリスに、ユーリは殺気すら込めた瞳を向ける。
そんな彼の視線に、すれ違いながらレイリスは小さく笑った。
「……ねぇ、ユーリ」
すれ違いざま、不意にレイリスはユーリに声をかける。返答することなく、ユーリは無言でレイリスの後ろ姿を睨んだ。
歩みを止めることはなく、レイリスはユーリに背を向けたまま唇を深く歪める。
「あなたが生きていたこと、ユトナに伝えておいてあげるわ」
「っ……」
レイリスの歪んだ唇から発せられたその一言に、ユーリの瞳が動揺に見開かれた。彼のその動揺に、隣で様子を伺っていたアーリィが不思議そうな視線を向ける。
「ユ……トナ……」
「きっとあいつ喜ぶわよ、あなたが生きていたって聞いたら」
相変わらずレイリスは背を向けたままだったが、そこで初めて彼は足を止めた。彼の血に濡れた唇が極限まで歪み、禍々しいまでの弧を描く。だがそんなレイリスの毒々しい笑みは、ユーリには見えない。
先程とは打って変わり、なにか怯えを含んだユーリの視線を背に感じながら、レイリスは低く甘美な声音を発した。
「だってユトナはあなたを自分の手で殺す、ただそれだけを望んでひたすら生きているんだから」
そっとレイリスは振り返る。不気味なほど優しげなレイリスの眼差しは、一切の動きを止めて絶望に固まるユーリを真っ直ぐに見据えていた。そんなユーリを嘲笑うかのように、レイリスは彼へと最後の刺を植え付ける。
「なにその顔。あなたまさか、自分がもう彼に許されてるとでも思ってたの?」
残酷なほどに鋭利な刺は、優しい声音で無遠慮にユーリの心を奥深く突き刺していく。
「……ふふ、バカねユーリ。彼があなたを許す時が来るとしたら、それはあなたが彼の手で殺された時だけよ」
「……ちが、俺は……」
絶望に堕ちるユーリを、レイリスは心から愉快そうに見つめる。だが彼は「行きましょう、レイリス」とカナリティアに声をかけられ、ユーリから視線を逸らして歩みを再開させた。
「……それでは、その……すいません、失礼します」
カナリティアが四人に向かって小さく一礼する。そして彼女は顔を上げると、大きな緑の瞳をユーリへ向けた。
「ユーリさん、どうかお体に気をつけて……ね」
「……」
淋しげな微笑みをユーリへと向け、彼女は背を向ける。
エルミラ、レイチェルらも各々の傷を庇いつつ、先頭を行くレイリスに続いて山道を下っていった。
四人の姿が完全に視界から消える。しかし、それでもローズたちは誰ひとりとしてその場を動こうとはしなかった。
今にも膝を折って崩れ落ちそうなユーリ。そんな彼を前にどうすればいいのかわからず、アーリィはただ困惑した眼差しで彼を見つめる。そしてマヤは神妙な面持ちで俯き、なにかを考え込むように沈黙していた。
そんな彼らを前に、一体これからどうすべきなんだろうと、ローズは困ったように軽く頭を掻く。同時にひんやりと冷たい風がローズの頬を撫で、彼は反射的に空を見上げた。
見上げた空はいつの間にか濁った灰色に染まっており、ローズは不安げに眉根を寄せる。
「……嫌な空色だな。一雨きそうだ」
彼の呟きに呼応するかのように、か細い雫がローズの頬へと落ちた。
◆◇◆◇◆◇
――ボーダ大陸・カペラ平原
窓の外から聞こえる激しい雨音と沈黙だけが支配する部屋。
「……いよいよ本格的に降ってきたな」
先程までは小雨だった外の雨の変化に、窓際に立って外の様子を伺っていたローズが呟く。そして「こうなる前に宿屋を見つけられて幸運だったな」と彼は言い、そのまま窓にかかる少しくたびれた白いカーテンをひいた。
あの謎の四人が去った後、急に崩れ始めた天候にローズたちは急いで山道を抜けて、その向こうのカペラ平原へと入った。そして入ってすぐのところにあった旅人用の小さな安宿に駆け込み、彼らは今にいたる。
「……」
ローズは振り返り、とりあえず宿屋の一室に集まったマヤたち三人の顔をそれぞれ伺う。
しかし皆一様に深刻な面持ちで黙り込み、先程から部屋は重苦しい沈黙ばかりが続いていた。
ローズ自身、先程あった一連の出来事が全く理解出来ていない。なので彼は誰よりも先程のことを問いたかったのだが、こうも嫌な沈黙が続くと、さすがにローズもマヤやユーリらに声がかけづらかった。
すると、ローズにとって意外な人物が静寂を破って彼に声をかける。
「……山の天候は変わりやすい。そういうのを見越して、ここに宿があるんだろう」
部屋の隅の壁に背を預けて瞑目していたアーリィが、僅かに顔を上げて先程のローズの言葉に応える。
普段は一番反応を示さないアーリィだったが、今この場で彼なりに想うことがあって気を使ったのかもしれない。そう思うとローズはなんとなく嬉しさを感じ、「それもそうか」と微笑んだ。
「……」
アーリィはちらりとローズを一瞥し、ほんの僅か眉根を寄せる。しかしどう反応すべきかやはりよくわからないようで、再び彼は黙って瞑目を始めた。そんなアーリィの様子にローズが思わず苦笑すると、それまでずっとなにかを思考するように俯き沈黙していたマヤが唐突に顔を上げる。
部屋の中央、そこの長椅子に腰を下ろしていたマヤは、同じくテーブルを挟んで向かいの椅子に座っていたユーリへ視線を向ける。
「……で、あいつらは一体何者なの?」
率直な疑問をユーリへ投げかけ、マヤは俯く彼を見つめた。
「……」
だがユーリは顔を伏せ、黙したままなにも語らない。
反応すらしない彼に、マヤは苛々したように「ちょっと聞いてるの!?」と、声を荒げて問い詰めた。
そこにローズが慌てて割って入る。
「マヤ、そういきなりユーリをせめるな。ユーリにだって、そう簡単に答えられないこともあるだろう」
諌めるローズをマヤはキッと睨み付け、「それくらいわかってるわよ」と険しい口調のまま彼女は反論した。
「さっきのやつら……何者だか知らないけど、あいつらがユーリの良くない意味での知り合いだってことは何となくわかった。だからこれがあいつらとユーリ一人の問題だというのなら、アタシは全く興味無いから深く探ったり問い詰めたりなんか一切しないわ」
「……」
マヤの激しい剣幕に、ローズは困ったような表情を浮かべる。そして、そんなマヤな言葉を、ユーリは俯いたまま暗い瞳で聞いていた。
「でも、あいつらはアーリィを狙っているのよ!? これはもうユーリだけの問題じゃないの!」
「そ、それはそうだが……」
マヤの正論に、ローズは困惑した表情のまま口ごもる。するとそんな彼へ今まで黙して語らなかったユーリが、不「もういいぜ、ローズ」と俯いた姿勢のままで言葉を発した。
「ユーリ……」
気遣う視線を向けるローズに、やっとユーリは顔を上げて小さく笑う。そして彼はマヤへと視線を向けて、「あいつらのこと、まだ全部は話せねぇけど」と前置きした上で語り始めた。
「あいつらは、ヴァイゼスと呼ばれる……いわゆるあやしー闇の組織だな」
「はぁ? なにそれ」
ユーリの説明に思わずマヤは「今どき流行らなさそうな胡散臭いやつらね」と、呆れ半分にぼやく。
彼女の素直な意見にユーリは苦笑いしつつ「まぁ……つっても今あれがどーいう活動をしてるのか詳しくはわかんねぇから、他にいい言葉が思い浮かばなかったからそう言っただけだけどな」と、そう言って椅子に深く腰掛け直した。
反対にマヤは身を乗り出し、ユーリに鋭い視線を向ける。
「今は……ってことは、昔はなんかやらかしてたの?」
彼女の鋭い追究にユーリは一瞬動きを止め、真剣な瞳でマヤを見返した。
「……まぁな」
「何してたのよ」
続けざま、マヤは問い掛ける。ユーリは数秒の沈黙の後、疲れたようなため息を吐き出した。
「……あやしー闇の組織らしく、黒いことを色々やってた。が、あいつらの一番の目的は……」
疲労したような瞳を一瞬垣間見せ、ユーリはマヤに告げる。
「"魔法"だ」
「魔法?」
オウム返しに問うマヤに、ユーリは「そうだ」と頷いた。
「あいつらはその昔、人が昔に忘れちまったはずの魔法の力をもう一度手に入れようと研究していた。それこそ、その力を手に入れるためならどんな犠牲も厭わないって姿勢でな」
そう言い、ユーリはどこか淋しげに目を臥せる。そして彼はこうも付け足した。
「ただそれは昔の話で、正直今はどうだか知らねぇけどな」
「なるほど……それでやつらはアーリィをさらっていこうとしていたのか?」
ローズの一言にユーリは彼へ視線を向け「それだけが原因かはわからねぇけど、アーリィちゃんが魔法を使えるってとこは確実に関係してるな」と、そう言って横目でアーリィを見遣る。だがアーリィは相変わらず無表情に瞑目し、三人の会話に耳を傾けるのみだった。
「……アーリィについては、アタシに心あたりがあるわ」
「え?」
マヤは椅子に座ったまま腕を組んで呟く。彼女の言葉に、ローズは少し遠慮がちに「もしかして、お前がウィッチとか言っていた男のことか?」と、彼女へ首を傾げる。
彼の問いかけに一瞬沈黙するマヤだったが、ユーリに問い掛けておいて自分だけ黙するわけにはいかないと彼女は思ったらしい。
「うん……たぶんそいつが、ユーリの言うヴァイゼスってのにアーリィのことを教えて今回けしかけたんだと思う。魔法ってのを餌に……ね」
「マヤ、その……ウィッチってのは……?」
遠慮を含んだローズの問い掛けに。マヤは何故か口元にうっすら微笑みを浮かべた。軽く髪を掻き上げ、冷たい眼差しで彼女は答える。
「アタシがこの世で一番憎い男の名前よ」
「……」
憎悪の滴る彼女の一言に、ローズはぞっとするものを感じて息を飲む。
しかしすぐにマヤはいつも通りの口ぶりで「まぁ、なんらかの形であいつとそのヴァイゼスってやつらが手を組んでるのは間違いないわ」と呟いた。
「あぁ。それっぽいことをレイリスの奴が言ってたしな」
「うん。……なんかいきなり面倒臭いことになってきたわね」
マヤがうんざりした表情で首を横に振ると、彼女に同意したようにローズたちも沈黙する。
再び室内には、窓の外で荒れ狂う雨音だけが響き始めた。
ローズは二人から視線を外し、何気なくカーテンの隙間から外の激しい雨を見つめる。
明日には止むだろうか? と、彼は不安げに目を細めた。
「……ところでユーリ」
雨音に混じり聞こえたマヤの声に、思わずローズは振り返る。
マヤはテーブルに肘をつき、ユーリを真っすぐに見つめていた。
「あいつらさぁ……あなたのこと、『元・仲間』って言ってたけど……」
「!?」
彼女が呟くと同時に、ユーリは大きく目を見開いて反応する。
「それは……」
顔色悪く言葉を詰まらせるユーリに、マヤは疑問の表情を浮かべた。
一瞬で蒼白な顔色になったユーリを心配し、ローズが「大丈夫か?」と声をかけようとする。だがそれよりも先に「マスター」と、マヤを呼ぶアーリィの声が三人の元へと届いた。
「なに、アーリィ」
マヤがアーリィへと視線を向ける。彼はけだるそうに壁へ寄り掛かったまま「そろそろ休みませんか? その、今日は少し疲れました」と呟いた。
彼のその言葉にマヤは「それもそうね」と頷き、彼女は椅子から立ち上がる。
「傷は塞いだと言っても、今日は怪我したり雨の中走ったり……色々あったもんね」
「……はい」
アーリィは無表情に頷き、「マスターも、今日はもう休んだほうがいいと思います」とマヤへ告げた。
「えぇ。あなたがそう言うのなら、アタシももう休もうかな」
マヤはにっこりと微笑むと、振り返ってローズとユーリを見遣った。
「じゃあそういう訳で、この話はまた今度ゆっくりと話しましょう。今日はもう部屋に戻って休むわ」
マヤはローズたちにそう言葉をかけると、アーリィと共に部屋のドアへと向かう。
最後にマヤは二人へ「じゃあおやすみ」と告げ、アーリィと共に部屋を後にした。
残されたローズとユーリは、しばらく無言で二人が去った後のドアを見つめる。
やがてローズは「お前も今日はもう休んだらどうだ?」とユーリに問い、ユーリは緩慢な動作で顔を上げてローズを見た。
「……そうだな」
豪雨となった外の雨音に消されそうな、ひどく掠れた声でユーリは応える。その様子にローズは一瞬眉根を寄せるも、彼はそれ以上は何も言わずに再び窓の外へ視線を向けた。
「これは……しばらくは止まないな」
窓の外を眺めながら、ローズは低く呟いた。
「……マスター」
自分たちにあてがわれた部屋へと向かう途中、マヤの後ろを歩いていたアーリィが突然彼女を呼ぶ。
「ん? なぁに?」
マヤは足を止めて振り返り、アーリィに優しく微笑んだ。しかし、アーリィはどこか険しい瞳でマヤを見つめる。やがて彼は意を決したように、ほんの僅か顔を上げた。
「マスター……あいつら、俺のことを"アンゲリクス"って……」
「……えぇ、わかってる」
アーリィが震える唇で告げた言葉に、一瞬にして真剣な面持ちに表情を変えてマヤは頷く。彼女はアーリィへと近付き、彼の頬にそっと右手で触れた。
「大丈夫、アーリィ。あなたはアタシが絶対に守ってあげる」
「マスター……」
大空の青、その色を宿した瞳が優しげにアーリィを見つめる。そしてマヤは、愛おしげな仕種でアーリィの頬をそっと撫でた。
「だから、あなたはなにも心配しなくていいの。絶対大丈夫だから」
マヤの手がアーリィの頬からゆっくりと離れ、やがて今度は彼女の両腕がアーリィをそっと包み込む。
アーリィを優しく抱きしめながら、マヤは静かに目を閉じた。
「もう二度、あなたを奪わせはしない。絶対に今度は守ってみせるわ……」
「……」
耳元で吐息と共に呟かれた言葉に、アーリィは淋しげな表情を浮かべ目を伏せた。
雨音は、まだ止まない。
【望まぬ再会、止まぬ雨・了】




