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神化論  作者: ユズリ
境界線の向こう側
71/528

望まぬ再会、止まぬ雨 6

「……ウィッチよ」


「ふふ……」


 右手で口を隠し、レイリスは心から愉快そうに笑みを零す。「ホントはこいつの名前を言うのも凄く嫌なんだけどね」とマヤは吐き捨て、険しい瞳でレイリスを睨み付けた。それすら楽しそうに、レイリスは微笑を止めない。


「そう……それであたしたちは、彼になにを伝えればいいのかしら?」


「……もうあんたには、アタシから何一つ奪わせない。あんたの好きにはさせない。そして……」


 そこで一旦言葉を切り、マヤは僅かに目を伏せる。

 次に彼女が視線を向けた時、その瞳は純粋な殺意と憎悪一色に染まっていた。


「伝えて。今度こそ、あんたを完全に消すって」


 最大限の拒絶と嫌悪を込め、マヤはそう吐き捨てた。

 こちらを真っすぐに見つめるマヤの青の瞳。だが、その瞳は自分なんて見ていないことにレイリスはすぐ気がつく。今彼女が見つめているのは、彼女がこの世で最も忌むべき人物のはずだ。憎悪に塗り込められた彼女の瞳は、そう物語っていた。


「……わかったわ。伝えておいてあげる」


 暗い少女の瞳を見つめたまま、レイリスはそう言って静かに頷いた。しかし、彼はその後すぐに「ただ……」と呟く。


「……なに?」

 

「あたしたち、そう滅多にあの人には会えないのよ。だから伝えるの、ちょっと遅くなるかもしれないわ」


 レイリスは小首を傾げ、些か大仰な仕種で困ったように眉根を寄せる。


「なぜ? あんたらはあの男の駒で今こうして動いているんじゃないの?」


「駒だなんて言ってほしくないわ。手を組んでる……と言ってほしいわね」


 素早く返すレイリスの言葉だったが、マヤは心底興味なさそうに「どっちでもいいわよ、そんなこと」と切り捨てる。レイリスは微かに苦笑いを漏らした。


「そうね……あの人とあたしたちは利害の一致で一時的に手を組んでいる。でも、それにも関わらずあの人ったら滅多に姿を現わさないのよ」


 そう言い、レイリスは淡い氷蒼色の髪を掻き上げる。蠱惑的な仕種で舌先を小さく見せ、彼はマヤに向かって優しい声音で告げる。


「唯一、あの人と頻繁に会うことが出来る人がいるならそれは……」


 血のような赤の舌先が、唇の端から端へと移動する。

 レイリスの細い眼差しは、やはりマヤへ挑戦するようなものだった。

 やがて、濡れた唇が最後の言葉を吐き出す。


「もう一人の"アンゲリクス"……」


「!?」


 レイリスの口から零れた一言に、彼の背後でアーリィは真紅の瞳を大きく見開いた。




 ◆◇◆◇◆◇ 




 礼拝堂の奥、その中央に掲げられた灰白色の巨大な十字架。

 無数の茨が巻き付き、その周りを何人もの石の天使たちが熱の無い表情で取り囲む。それらは礼拝堂を飾る色とりどりの硝子絵の光を浴び、薄い赤や青にその身を染め変えていた。


「……」


 それらを見つめる、天使たち同様に熱のない表情。色違いの青の瞳が、真っすぐに巨大な十字架を見上げていた。すると、十字架が掲げられた方向とは反対に位置する扉が、ゆっくりと重厚な音をたてて開く。

 今まで無音かつ、自分以外誰も存在していなかった礼拝堂。だが突如音と共に来訪した者に、十字架を眺めていた人物は振り返って視線を向けた。

 深い赤の扉が完全に開き、そこに現れたのは背の高い男。男は青銀の髪を軽く揺らし、小さく首を傾げた。


「あれ、ミレイさん……?」


 濃い青紫の瞳がこちらへ向けられ、男は奇抜な桃色の髪を持つ人物の名を呼ぶ。ミレイも男に視線を合わせたまま、特に表情を作ることもなく静かな口調で男の名を呼んだ。


「ユトナか……」


 ミレイに名を呼ばれた男・ユトナは、人の良さそうな笑みを浮かべる。


「こっちに戻ってたんですね、ミレイさん。なんかこっちが計画の始動だかで騒がしくなってきたから、てっきりミレイさんも仕事に行ってるんかと思ってましたよ」


 そう言い、ユトナはおもむろに近くの長椅子に腰掛ける。

 ミレイは相変わらず立ったまま、視線だけを十字架に戻して口を開いた。


「……昼行灯のお前が計画の始動を知っていたとは驚いたな」


 言葉とは裏腹に別段驚いた様子もなく、ミレイは素っ気なく呟く。その言葉にユトナは苦笑いを浮かべて、「一応俺もヴァイゼスの一員なんで、それくらいは耳に入れてありますよ」と、そう言って軽く手を振った。

 それに対してミレイは特に言葉を返すことなく、硝子のような瞳は再び精密な彫り細工を施された十字架の観賞に専念される。

 ユトナもしばらくはなにかをする様子も無く、ミレイと同じように十字架を眺めていた。だが不意に彼は、「ミレイさん」と言葉を発する。沈黙を破る彼の声にミレイは振り返ることなく、「なんだ」と言葉だけを返した。気にする事なく、ユトナは言葉を続けた。


「計画が始まったって事は、ミレイさんも忙しくなるんですよね?」


「……あぁ」


「いいんですか? こんな所でのんびりしてて」


 ミレイは僅かに視線をユトナへと向ける。


「お前こそ相変わらず働く気が全く無いようだがいいのか? ここへもどうせサボりに来ているのだろう?」


 咎める様子は無く、全くの無表情にミレイは彼へ問い掛けを向ける。ただ淡々とした口調の問いかけに、ユトナは軽く笑って「まぁ俺は役立たずなうえ、皆さんの足手まといですから」と答えた。

 するとミレイは振り返り、ユトナの腰の辺りへと視線を向ける。彼が着る黒い外套の上からベルトでそこに固定されたものを見つめながら、ミレイはほんの僅か呆れたようなため息をついた。


「役立たず……か。ならば貴様の腰のそれは飾りかおもちゃなのか?」


「え? あぁ、これですか?」


 ミレイに問われ、彼は自分の腰へと手を動かす。そこには刀身の先が僅かに歪曲した、細長い剣が鞘に納められてベルトで吊ってある。それは"カタナ"と呼ばれる東方の大陸で生まれた独特の形状をした剣だった。刃の形のいびつさもさることながら、その刃は片刃ということもあり、扱いは数多の種類の剣の中でも特に難しいとされている剣。だがそのため、その剣の使い手はごく僅かだ。なので同じ剣士でも、刀使いは独自の刀術を扱うので、技が見極めにくく戦いとなると相手にしづらいという。

 そんな特殊な剣を好き好んで装備しているような者が、言葉通りに『役立たずなうえ、足手まとい』なはずがない。


「これはいざって時の護身用ですよ。まぁ、ハッタリみたいなもんですけどね」


 涼しい顔でユトナはそう答えると、「お前らしい答えだな」とミレイは呟く。そしてミレイは再び正面の祭壇へと向き直る。


「……私はそろそろここを出る。ここには少し様子を見に来ただけだ」


「ふーん、そうですか……」


 両腕を長椅子の背もたれにかけて、ユトナは天井を見上げる。幻想の楽園を精緻に描いた天蓋の絵を見つめつつ、「それは残念ですね」とユトナは言った。その彼の一言に、ミレイは少し意外そうな瞳を彼に向ける。


「なぜ残念なのだ?」


「いやあ……だって美人な方とはいつまでも一緒に会話していたいものですよ?」

 

 ユトナは冗談なのか本気なのかわからない笑みを浮かべ、「男なら当たり前ですよ」と答えた。彼のその一言にミレイは相変わらず表情無く、ただほんの少しだけ首を傾げて深く思考する。

 数秒ほどじっくり悩んだ後、ミレイは勢いよく顔を上げた。


「……よくわからないのだが、それはいわゆる『誘っている』というやつか?」


 真顔で問い掛けるミレイの様子に、ユトナは一瞬全ての動きを停止させる。

  目を極限まで丸くして固まる彼にミレイはますます困惑すると、突然ユトナは吹き出して、そして大声で笑い始めた。


「あははははははははっ!」


「なぜ笑う……そんなに面白いことを言った覚えはないのだが……」


 段々と語尾を小さくし、さらに困惑したようにミレイはポツリと呟く。その様子がさらに面白いらしく、ユトナは腹を抱えて本格的に笑い出した。


「……おい、ユトナ」


「ははは……あ、あぁスイマセン。つい……」


 憮然とした表情のミレイに気付き、ユトナはなんとか笑いを抑える。やがて彼は取り繕うように「まさかミレイさんの口からそんな言葉が聞けるとは思わなかったんですよ」と微笑んだ。

 しかしミレイは爆笑されたことがまだ気にくわないのか、無言でユトナを睨み返す。それを見て、ユトナはひどく慌てた。咄嗟に彼は満面の笑みを浮かべてこう返事を返した。


「さっきの言葉ですが、ずばり当たりですよ。誘ってるんです、ミレイさんを。なんなら今から一緒にお茶なんていかがでしょう」


 彼はそう言って「どうですか?」とミレイの様子を窺った。


「あいにくすぐにここを出なくてはならないから、そんな暇は無い」


 ミレイは眉一つ動かさず、平坦な口調で返答する。その様子にユトナは苦笑いを浮かべて「ははは、そうですか」と頭を掻いた。するとミレイは近くの長椅子の背もたれに軽く腰掛け、冷めたオッドアイの瞳をユトナへ向ける。


「それに私は女ではない。それはお前も理解していたと思っていたが……」

 

 ミレイの意味ありげな視線に、ユトナは目を細めて「もちろん存じておりますよ」と微笑した。けれども彼は長椅子から身を乗り出し、常に虚ろなミレイの瞳を覗き込んで、こうも付け足す。


「でも、男ってわけでもないじゃないですか」


 ユトナの一言にミレイは一瞬黙するも、やはり顔色一つ変えることなく「そうだな」と小さく頷いた。


「……まぁ、正直こんなに綺麗な人なら、男女関係なく惹かれると思いますよ」


「……」


 にっこりと微笑みを浮かべるユトナに対し、ミレイは僅かに首を傾げて「それは、『ありがとう』と礼を言うべき言葉なのか?」と、どこか困ったように呟く。それがまた可笑しく、ユトナはミレイに気付かれぬよう沸き上がる笑いを必死に噛み殺した。


「……そうだな……どうせならミレイさん、お礼の言葉より笑ってくれたほうが俺的には嬉しいです」


「笑う?」


 ユトナの要求に、ミレイは驚きに目を丸くする。

 普段はまるで蝋人形のように無表情が標準顔のミレイは、あまり『笑う』や『怒る』といった豊かな表情をすることがほとんど無い。


「せっかくとびきり美しいんですから、もっと笑った方がいいと俺は思いますよ?」


「……そのような事を突然言われても困る……」


 ミレイはその美貌を深刻そうに曇らせ、今にも消え入りそうな頼りない声で呟いた。

 思わずユトナは小首を傾げ、「どうしてですか?」と問う。するとミレイは僅かに目を伏せ、なにかを想うように視線を下方へとさ迷わせた。


「……そういう感情表現は、どのような時にどうすればいいのか未だに私には理解出来ない」

 

「……」


 色違いの鮮やかな瞳が閉じられる。腕を組み、ミレイは疲れたようにため息をついた。

 横目でそんなミレイの様子を眺めつつ、ユトナは指先で頬を掻く。彼は「んー」と小さく唸り、何かを考えるように首を傾げた。


「よくわからないってミレイさん、ウィッチさんにそういうのは教わらなかったんですか?」


 その問いかけにミレイはそっと目を開ける。ミレイは不思議そうな目をユトナへと向け、「我が主に?」と驚いたような言葉を返した。


「うん、主さん主さん。そういうのはウィッチさん、教えてくれなかったんですか?」


「なぜそのような事を、主に教わるのだ……」


 不可解だというミレイの視線に、ユトナは大きく腕を伸ばしながら「そりゃだって……」と漏らす。


「だってミレイさん、ウィッチさんからこの世界の事とか色々教わったんでしょう? なら飛び切りの笑顔の作り方もついでに教わればよかったじゃないですか」


「……そんなことを教わって、一体なんの役に立つのだ」


「えっと……例えば俺とか、頭が単純な男は美人の笑顔見たらすっげー喜びますよー」


「……」


 ミレイの「だからなんなのだ」的な、呆れ果てた極寒の視線がユトナへ直線に突き刺さる。

 ユトナは乾いた笑い声を発しながら「じ、冗談です」とミレイに頭を下げた。

 ミレイは無言でため息をつき、艶めく桃色の髪を軽くかきあげる。


「そのようなくだらない理由しかないのだと言うのなら、ますます主に教えを乞うわけにはいかない。そんなことであの方の手を煩わす訳にはいかないのでな」


「あははー、そですか」


 淋しげにユトナは笑い、そのまま彼は右手を口元へと持っていって欠伸をする。


「なんだ、眠いのか。それでは私は邪魔だな」


「あ、いや、大丈夫ですよ。これは癖みたいなもんなんで」


 慌ててユトナは否定するも、ミレイは既に長椅子の背もたれから立ち上がった後だった。


「どちらにしろ、私はもう行かなくてはならない。後は昼寝でもなんでも勝手にしろ」


「はは、お気遣いありがとうございます」


 この礼拝堂には滅多に人が訪れない。それをいいことに、ユトナはよくここへこっそり昼寝をしにきていたのだが、ミレイには全てお見通しだったようだ。


(んじゃお言葉に甘えて、寝る準備でもしておくかな)


 ユトナは腰のベルトに手をかけ、しっかりと装着されていた刀を鞘ごと取り外す。それを長椅子の下へ置くと、同時にミレイがなにやら祭壇へ向かって片膝を立てる体勢をとった。


「?」


 ユトナが不思議そうにミレイを眺めていると、不意にミレイは正面の十字架へ向けて深々と頭を垂れる。その姿勢のまま胸に手をあて、ミレイは薄い唇をそっと開いた。

 その唇から突如零れたのは、遠い昔に忘れ去られた古の祈りの言葉。


「……我らが父、我らが母、我ら生きる者たち全ての主よ、どうか私の声を聞いてください。私はここで、主なるあなたに祈りを捧げます」


 甘く甘美な声が、まるで歌声のように静かな礼拝堂の中に響き渡る。

 多くの者が神に祈ることを忘れた世界で、ミレイは一人黙々と神への祈祷の言葉を紡いでいく。


「主よ、この声を聞いてください。この世界に生きる全ての命に、あなたの持つ慈愛と慈悲の御心を与えてください。私はここで、あなたに全てを捧げ祈ります」


 祈りの言葉が終わり、ミレイはさらに深く頭を下げて一礼する。

 このリ・ディールで神に祈りを捧げる者はほとんどいなくなっていたため、ミレイの行った祈祷はひどく新鮮に思える。一連の動作をそんな思いで見つめながら、ユトナは無意識に言葉を漏らした。


「……ミレイさんは、相変わらず神を信じているんですね」


 彼のその一言に、ミレイは立ち上がりながら無言で振り返る。

 感情の宿らない瞳でユトナを見つめ、ミレイは静かな口調で「そうだ」と答えた。

 真っすぐなミレイの視線を受けながら、ユトナは小さく苦笑する。その瞳が線のように細められ、それはなにかを想うように揺れた。

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