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神化論  作者: ユズリ
境界線の向こう側
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望まぬ再会、止まぬ雨 5

「チッ……なんなのよ、一体……!」


 常に口元に浮かべていた軽薄な笑みを完全に消し、レイリスは肌に纏わり付く空気に苛立だしげな表情を見せる。その時、ほんの僅か自分を拘束する腕が緩んだのをアーリィは見逃さなかった。脱出のタイミングを探っていたアーリィは、迷わず唇を動かして最短の呪文を唱える。


『wINd.』


 軽い破裂音と共に、瞬間的に膨脹させられた風のマナが爆発。小さな風の刃が渦を巻きながらレイリスとアーリィの間に発生し、それは二人を引き裂くようにさらなる膨脹をみせた。


「きゃっ!」

 

 実体を得た風のマナは無数の細かな刃へ姿を変え、レイリスへと襲い掛かる。思わず彼はアーリィを拘束していた手を離し、小さく呻きながらよろめいた。軽い落下音を鳴らしながら、アーリィに突き付けられていた短刀が地面へ落ちる。入れ代わるようにアーリィは落ちていたロッドを拾い上げ、レイリスから離れるように素早く前方へと駆け出した。


「アーリィちゃんっ!」


 こちらへと駆けて来たアーリィを、ユーリは自分の背に素早く保護する。


「くっ……口を塞いで、喋れなくしておくべきだったわね……っ!」


 ユーリの背に隠れたアーリィを忌ま忌ましげに睨みつけ、レイリスは切れた唇の血を舌でそっと舐める。先程アーリィの唱えた風の魔術によって彼は額や頬などに浅い細かな傷をいくつも負い、そこから真っ赤な鮮血が滴っていた。

 美しい顔を自らの血で赤く染め、レイリスは苛立だしげな口調で呟く。


「けど、自らも巻き込まれることを承知で魔法とはね……呆れたわ」


「……」


 レイリスの呟く通り、対象の至近距離で魔法を使ったアーリィ自身も、その風の刃による洗礼を受けていた。彼もまたレイリス同様、額や頬にいくつもの細かな切り傷を負い、決して軽傷ではないその傷からとめどなく鮮血が流れてひどく痛々しい。

 思わずユーリが「大丈夫?」と問うと、アーリィは服の袖で頬の血を拭いながら「平気だ」と無表情に言葉を返した。


「アーリィ、大丈夫っ!?」


 レイリス、そしてレイチェルを挟んで向かい側に立つマヤが、アーリィがレイリスの手から逃れたことを確認して叫ぶ。彼女の安否の問いかけに、こちらにもアーリィは「大丈夫です、マスター!」と自分の無事を大声で伝えた。


 多少怪我を負っていたものの、アーリィの返答とレイリスの手から逃れたことに、とりあえずマヤはホッと胸を撫で下ろす。同時に、あの灼熱を帯びていたはずの空気が、ほんの少しだけ肌寒い元の山道の空気へと戻っていた。

 マヤの落ち着きと共に、暴走しかけていたマナが元に戻ったのだろう。未だマヤはレイリスたちを警戒するように、鋭い瞳を彼らに向けていた。だが空気が落ち着きを取り戻したことに、彼女の隣でローズも安心したようにため息をつく。

 けれども彼には、まだまだ理解仕切れないことがたくさんあった。

 彼らが何者なのか、ユーリと彼らの関係は一体なんなのか、そしてマヤが彼らに対して発した謎の言葉……


「……」


 しかし、今はそれよりも彼らから逃れる方法を見つけるほうが先決だろうと、ローズは考え直す。

 男にレイチェルと呼ばれた少年と、そしてエルミラと呼ばれた赤毛の青年たちの戦闘能力は、先程一戦交えたことである程度はわかった。だが新しく現れたレイリスという男、そしてカナリティアと呼ばれた少女についてはまだ謎だらけだ。

 アーリィの怪我も心配なローズは、果たして無事にこの場を脱することは出来るのだろうか? と、不安げに眉根を寄せた。


「……ねぇレイリス……さっきの『マスター』って、まさかあの子……」


 その時、ローズの耳にレイチェルの不安げな声が届く。思わずローズは顔をあげ、黒ずくめの少年を注視した。


「……ええ。あたしもさっきそれを思ったところよ」


 レイチェルの言葉に、彼の側に立つレイリスも小さく頷く。彼の深い紺色の瞳は、真っすぐにマヤへとその視線を注いでいた。


「……」


 その視線に対し、マヤもまた無言で彼を見返す。威圧的な眼光を宿し、マヤは男の視線に挑戦するかのような態度をとった。

 レイリスの切れ長の瞳がさらに細まり、男の視線に怯むどころか傲然とした様子で対峙する眼前の少女を観察する。


「金色の髪……少女……そして、『主人マスター』の名……」


 レイリスの頭の中で、キーワードの一つ一つがパズルのように繋がっていく。そしてそこから導き出された憶測の『答え』に、レイリスは初めてその顔に驚愕の表情を浮かべた。

 そう、その『答え』が正しければ、先程起きた大気の異常な変化にも納得がいく。

 憶測が確信へと変わった時、思わずレイリスは震える唇で「あなたが……」と呟いていた。

 それでもマヤの態度は変わらない。そんな彼女を凝視したまま、レイリスは鮮血に濡れた唇をゆっくりと開いた。


「あなたが、まさか……あの人の"片翼"?」


「へぇ……アタシってあなたたちの間じゃそんなふうに呼ばれてるの?」


 レイリスの一言に、マヤの表情が変わる。口の端に獰猛な笑みを刻み、華奢な少女はまるでこの世界に君臨する王者の如く、圧倒的な威圧感を放ちながらレイリスたちを見据える。彼女の絶対的な視線に耐え切れず、レイチェルは無意識にレイリスの服の裾を掴んでいた。


「いい、あんたらが何者かは知らないけど、もしあの男の差し金だというのならば覚えておきなさい。アタシの名はマヤ、マヤ・ローダンセ。アタシはそれ以外の何者でもない」


 凛とした声で、マヤは彼らへと告げる。嫣然な微笑みを浮かべ、彼女は煌めく金糸の髪を柔らかくかきあげた。


「マヤ・ローダンセ……」


 マヤと名乗った少女のその圧倒的な存在感に、カナリティアが怯えを含んだ声音を吐き出す。その隣に立つエルミラも同様に、漂泊された顔色で仁王立つ少女の姿を見つめていた。


「まさか、アンノウンまで側にいるなんて……いや、でも当たり前か? あーあ、目覚めてたんだなぁ……」


 エルミラの唇が、不意に自嘲気味な歪みをみせる。そのまま彼は僅かに目を伏せ、「やっぱり運悪いほうに転んだかぁ」と渇いた笑い声をあげた。


「ねぇ、どうするの? レイリス……」


「……」


 不安げなレイチェルの問いかけに、レイリスは険しい表情のまま黙する。やがて彼は小さくため息をつき、再びあの妖艶な笑みを口元に刻んだ。


「……わかったわ。今日のところはあたしたち、これで退いてあげる」


「えっ!?」


 レイリスはそう言って小さく肩を竦める。彼の突然の撤退宣言に、レイチェルは驚きの声をあげた。


「ど、どうしていきなりレイリスさん……だって僕らは"アンゲリクス"を……」


 レイチェルの驚きに同意するように、エルミラも不可解そうな視線をレイリスに送る。するとレイリスは血の絡む前髪を掻き上げながら、冷静な口調で言葉を返した。


「状況が変わったわ。"片翼"なんて、今のあたしたちには相手する余裕は無いでしょう?」


「……」


 レイリスの言葉に、途端にレイチェルは沈黙する。彼はつまり、怪我をしている自分たちでは力不足だと言いたいのだろう。


「……っていうか、あたしらが偶然あなたたちを見つけて助けられたからよかったけど、もしかしたらあなたたちは本気であの少女に殺されていたかもね」


 唇を皮肉げに歪めてレイリスは笑う。その言葉にレイチェルとエルミラは、改めてマヤに対して恐怖を覚えた。


「エセ聖女のことはおしいけれど、きっとまだ手に入れるチャンスはあるだろうし……」


「そんなこと言って、アタシがあんたらをそう易々と逃がすとでも本気で思ってるの?」


 レイリスの呟きを否定するかのように、マヤの厳しい声が重なる。


「……あら、ダメかしら?」


 挑発的に笑うレイリス。対してマヤも、同じ形に唇を歪める。


「アタシも状況が変わったの。あんたたちがあの男と関係があるのなら、今ここであんたらを始末したほうがいいかも……と、思ってね」


「だから、逃がさない」と強く言うマヤの瞳に、レイリスは小さくため息をついた。するとマヤの言葉を聞いた直後に、ローズが「マヤ」と困惑した声をかける。だがマヤは無言で片手を上げ、彼を制した。そして、マヤはおもむろに剣の切っ先を持ち上げてレイリスに向ける。

 光を反射させて白銀に煌めく刃の切っ先を、何故かレイリスは微笑みを浮かべながら見つめた。


「……ふふ、じゃあこういうのはどう?」


「?」


 予想外のレイリスの言葉に、剣を突き付けたままマヤは微かに眉を寄せる。


「……一つ、あなたの質問になんでも答えてあげる」


 レイリスはそう言い、目を細めて「どうかしら、この条件」と笑う。だがマヤは彼の言葉に心底呆れたような表情を浮かべた。


「それ、交換条件のつもり? ……呆れた」


 ため息混じりにマヤは吐き捨てる。しかしレイリスは、変わらず余裕の笑みで彼女の言葉を受けた。


「交換条件とは互いの立場が対等、あるいは対等になる条件を出して初めて有効になり成立すべき条件よ? 条件にも呆れるけど、それよりも今の自分たちの立場をわかってあんたは言ってんの?」


「へぇ……じゃあ、今のあたしたちは対等じゃないのかしら?」


 問い掛けを問い掛けで返すレイリスの声。その言葉にマヤは「当たり前じゃない」と即答した。

 先程はアーリィがレイリスに捕らえられていたため、敵に人質をとられていたということで完全にマヤたちのほうが状況的に劣勢だった。だがアーリィが自力で窮地を脱した今、怪我人を多く抱えている彼らのほうが不利な立場だと言えよう。勿論それはレイリスも承知の事実だ。承知のうえで、彼は問うたのだった。


「アタシがその気になれば、今この場であんたたち全員を黒焦げの炭にしてやることも出来んのよ」


「……あぁそっか、あなたも魔法が使えるのよね」


 レイリスの瞳に、彼の長い睫毛が微かな影をつくる。僅かに目を伏せて思考する彼は、不意に顔を上げて柔らかな微笑みを浮かべた。


「でも、こんな狭い場所で大きな魔法を平気で放つほどあなたは愚か者には見えないわ」


「……」


 彼の余裕の言葉に、一瞬マヤは沈黙する。確かに彼女には彼らを消すだけの力はあれど、こんな狭い山道で大魔法を平気で放つほど愚かな思考はない。特にレイリスたちとエルミラたちの間辺りの位置には、ユーリとアーリィがいた。四人を纏めて消す魔法を使えば、確実に二人も巻き込むことになる。

 マヤの考えを先読みし、その上でレイリスはマヤの問い掛けに意地の悪い問い掛けで返している。騙し合いや人の心を探る会話の心理戦は苦手じゃないはずだが、しかしレイリスという男もマヤ同様にそれを比較的得意としているようだった。

 それに気付いた時、マヤは忌ま忌ましそうに小さく舌打ちをした。


(……いちいち釈に触るやつね……)


 彼が常に口元に刻む薄い笑みも、なにか余裕を見せ付けられているようでマヤは気にくわなかった。それを知ってか知らずか、レイリスの唇はさらに深い弧を描く。


「それにあなた、あたしたちに興味ないみたいな態度をさっきからとってるけど、ホントは誰よりもあたしたちのことが気になるって目をしてるわよ……?」


「!?」


 冷たい、凍った深い青の瞳がマヤを射ぬく。自分の深層心理を突かれたようなレイリスの言葉に、マヤは彼を見つめたまま硬直した。そんな彼女の様子を、レイリスは楽しげに見つめる。クスクスと小さな笑い声がマヤの耳に届き、そこで彼女は我に返った。


「……あくまでそれはあなたの勝手な憶測。それをあたかも真実のように言うのはどうかと思うわ」


 内心の同様を悟られぬように、平坦な口調でマヤは答える。


「じゃあはずれなのかしら」


 イエスかノーを強制するレイリスの意地の悪さに再度苛立ちを感じつつ、マヤは「お好きなように解釈すれば」とだけ呟いた。


「どちらにしろ、アタシはあんたたちに聞きたいことなどない」


 耳障りなレイリスの笑い声を消すかのように、マヤは強い口調でそう宣言する。


「ふぅん……じゃあ交渉は決裂ってこと?」


 目を細め、レイリスは不気味なほどに優しく問いかける。それに対してマヤはにっこりと微笑みを浮かべた。


「いいえ、気が変わったわ。あんたの提案に従ってあげる」


「……」


 意外な答えがマヤの口から出たことに、レイリスは一瞬口元の笑みを完全に消し去った。今や場の誰もが彼女の言葉に注目する中、マヤは剣を下ろして、さらに意外な要求を口にした。


「ただし、条件を変えるわ」


「あら……」


「アタシはあんたたちに聞きたいことなんて無い。いえ、あんたたちからはなにも聞きたくない。その代わり、あんたたちには伝えてほしいことがあるの」


 マヤの要求に目を丸くするレイリス。だがすぐに彼は、観察するような鋭い瞳に戻して「誰に、なにを?」と問い掛けた。

 一瞬の沈黙のあと、マヤはゆっくりと唇を開く。


「あの男に……」


「ふふ……あの男、ね……」


 再び妖艶な弧を描いたレイリスの唇。楽しげな口調で、さらに彼は問い掛ける。


「さっきからあの男って言ってるけど、それは一体誰なのかしら?」


 クスクスと笑いを零し、レイリスは試すような視線を向けてくる。『どうせわかってるくせに』と内心で毒づきつつ、マヤはありったけの憎悪を込めてその名を告げた。

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