望まぬ再会、止まぬ雨 4
「レイ……リスだと……?」
青年を警戒することを忘れ、ユーリは男を凝視する。ユーリが蒼白な顔色で震える唇を動かし呟くと、彼の声に気付いたのか男がこちらへと振り返った。
深い蒼の瞳を糸のように細め、男はユーリと青年の姿をその目にとらえる。アーリィをしっかりと拘束したまま、男は二人に妖艶な笑みを向けた。
「エルミラ、ひどい怪我ね。大丈夫?」
男は赤毛の青年へと問い掛ける。
エルミラと呼ばれた青年は、細かな切り傷で鮮血に染まった両腕を僅かにかかげ、男に苦笑いを返した。
「ちょっと痛い……それよりなんでレイリスがここに?」
「あなたたちの援護に来たのよ」
エルミラの問い掛けに、レイリスは簡潔にそう答える。そして彼は瞳だけを動かし、驚愕の表情でこちらを見つめるユーリに視線を向けた。喉の奥で、レイリスは静かに笑い声をあげる。
「……久しぶりじゃない、ユーリ」
「レイリス……テメェ、なんで……?」
ユーリの両腕が落ちる。
完全に戦闘体勢を解き、ユーリは蒼白の顔色のままその場に立ち尽くした。
「……一体どういうことだ?」
二人の会話を遠くから聞いていたローズが、呆然と立ち尽くすユーリと今だアーリィを捕らえて離さない謎の男を交互に見つめながら口を開く。
二人の会話の内容から「二人は知り合いか?」と呟くも、隣で剣を握りしめかまえるマヤは無言だった。彼女はただ剣をかまえ、僅かに俯き加減で表情を隠しながら彼らの様子を伺う。だが、その長い前髪の間から覗いた彼女の蒼の瞳には、激烈な怒りの炎が静かに揺らめいていた。
「……レイリスさん、久しぶりってどういうこと?」
マヤたちの隙をついて、いつの間にかあの場所を脱出した少年が、頭のフードを被り直しつつレイリスの元へ駆け寄る。手にはあのチェーンソーをしっかり抱え、少年は問いかけながらレイリスを見上げた。
相変わらず唇を愉快そうに歪めながら、レイリスは小さな笑い声を発する。
「あは、そうだったわ。エルミラとレイチェルは知らないのよね、彼を」
「え?」
小さく首を傾げるレイチェルに、レイリスは視線を向ける。
今やこの場にいる全員の視線が自分へと向けられる中、レイリスは弧を描く妖艶な唇をゆっくりと動かした。
「彼はあたしらの元・お仲間よ。ね、ユーリ」
「!?」
どこか妖しい雰囲気を纏った男の口から零れた言葉に、全員の目が衝撃に見開かれた。
「なっ……どういうことだ、ユーリ……」
レイリスの言葉にユーリは表情を強張らせて、ギリッ……と唇を強く噛み締める。ローズが驚愕に呟くと、さらにレイリスは可笑しそうに低い笑い声を発した。
「な、仲間ってレイリス……え?!」
「えぇーっ!?」
エルミラ、レイチェルもまた彼の言葉に驚愕の意を示す。
自身に向けて射殺すような険しい視線を向けるユーリにレイリスは怯む様子もなく、むしろそんな彼の反応を楽しんでいるかのような笑みを見せる。
「あはは、こんなとこで会うなんて奇遇じゃないユーリ。まだ生きていたのね、アナタ」
「……うるせぇ、黙れよ。それよりもアーリィちゃ……その子を放せ、レイリス」
低く、怒りを押し殺した声でユーリが言い放つ。するとレイリスは「アーリィ?」と声をあげ、そしてそれに気付いたようにユーリへと向き直った。
「あぐっ……」
向きを変えるために再度腕をひねり上げられ、アーリィは痛みに苦悶の声を発する。それすら嘲笑うような表情で、レイリスは口角を吊り上げた。
「あぁ、このエセ聖女の名前? ふふ、アーリィって言うのね。やだぁ、名前までそっくりだなんて可笑しいわ」
「くっ……」
耳元で嘲るレイリスの声に、アーリィは怒りを宿した視線を向ける。
だが喉元に突き付けられた短刀は、今だそのままの状態だ。レイリスがあとほんの僅か力を込めれば、短刀はアーリィの薄い皮膚を簡単に突き破ってしまう状況にユーリやマヤ、ローズは迂闊に動けないでいた。そして、彼らの動きを封じてしまっている今の自分の状況に、アーリィは強い苛立ちを感じていた。
普段なら背後から誰か近づいてくることくらいマナの流れで察する事が出来るアーリィだが、魔術を発動させるために精神集中の状態に入ったりするとそのような感知が出来なくなる。その隙に背後から男から忍び寄られ、そして自分が男の人質となってしまった事で、結果的に優位だったマヤたちの立場を逆転させてしまった。そういう状況をなによりも嫌い、そしてマヤの足手まといになることを恐れるアーリィは、強くひねり上げられている腕の痛みとは別の理由で苦悶の表情を浮かべた。
すると、今まで押し黙っていたマヤが突如顔を上げ、レイリスへと鋭い眼光を向ける。
「あんた……何者だか知らないけど、汚い手でアタシのアーリィに触らないでちょうだい」
「あら、随分失礼な事を言うお嬢さんねぇ」
切れ長の瞳だけをマヤに向け、レイリスは不意に短刀を握る手にほんの少し力を込めた。
すると薄い喉元の皮膚が僅かに裂け、アーリィの白い肌に赤色の鮮血が滲む。
「アーリィっ!」
「うふふ、あまりあたしを興奮させないで。聖女の綺麗な肌に嫉妬して、思わず体中をズタズタに切り裂きたくなっちゃうから」
レイリスがそう言って、さらに短刀を握る手に力を込める。「やめろ、レイリス!」とユーリが叫ぶと、彼は妖艶に目を細めた。血のように赤い舌が、彼の唇から微かに覗く。
「さぁ……どうしようかしら。このままこの子、さらっていっちゃおうかな~」
「レイリス、テメェ!」
ユーリが声を荒げる。と、唐突にレイリスは「そうだわ」と呟いた。
「……なんだよ」
「もう、そう睨まないでよユーリ。今日はもう一人、懐かしい人がいるのよ」
その一言に、「え?」と目を丸くするユーリ。するとエルミラが「まさか」と呟き、不意に彼は後方を振り返った。
「……お久しぶりです、ユーリさん」
突如落ち着いた少女の声が後ろから響き、ユーリは振り返る。
ローズとマヤ、そしてレイリスに拘束されたままのアーリィも声のする方へ視線を向けた。
全員の視線の先、灰色の山道の真ん中。そこにはいつの間にか、見た目十歳前後の少女が無表情に佇んでいた。ピンクのリボンで結った長い緑色の髪を軽く掻きあげ、少女はユーリに向かって深々とお辞儀をする。
「……カナリティア……さん……」
「お元気そうで……安心しました」
驚愕の眼差しを向けるユーリに、カナリティアは少し淋しげな笑みを浮かべた。
「なんなのだ、おまえ達は一体……」
次から次へと出てくる謎の人物の登場に、状況が把握しきれないローズがしびれを切らして問い掛ける。すると今度はレイリスたちと同様の黒い外套を身に纏ったカナリティアが、ローズの方へ向き直りつつ口を開く。
「突然の事で驚かれているかと思います。それについては、私のほうからお詫び申し上げます。しかし私たちが何者なのかは、私の口からは言えません。正確には、私の独断ではお伝えできないということをご理解ください」
カナリティアは再度深く頭を下げる。顔を上げ、彼女は大人びた口調でさらに続けた。
「ただ、私たちにはどうしても"アーリィ"さんが必要なのです。それだけはお伝えしておきます」
そう言ってカナリティアは横目でレイリスへと視線を向ける。
「レイリス……だから、その方にあまり手荒な事は……」
「はいはーい。全くカナリティアは優しいんだから……」
カナリティアに咎められ、レイリスはアーリィへと突き付けた短刀の力を緩めた。だが、アーリィに刃を突き付ける事だけは止めない。カナリティアは小さくため息をつき、視線をローズたちへと戻した。
「……それに、私たちのことなら後ほどユーリさんの口から聞けばよろしいかと思います」
「っ……」
僅かに目を伏せ、カナリティアは静かに呟く。
その言葉にユーリは、思わずローズへ視線を向けた。瞬間、漆黒の瞳と視線がぶつかる。
「ユーリ……」
「……」
ローズの困惑した視線に耐え切れなくなり、ユーリは視線をそらす。するとレイリスが可笑しそうに笑い声をあげながら、「ユーリがあたしらのことを話すとは思えないけど」と呟いた。
「っ……俺は……!」
「なんにせよ、あたしたちにはこのエセ聖女が必要だから頂いていくわよ。そう……"魔法"が使える、この子をね」
ユーリの叫びを嘲笑うかのように、彼の言葉にレイリスが言葉をかぶせる。するとユーリは、レイリスの口から零れた"魔法"という一言に大きく反応した。
「魔法……? まさかアーリィちゃん、魔法を……?」
ユーリの呟きに、それを聞いていたアーリィは微かに眉をひそめる。"魔法"という今では異形の力と化したその単語に、何故かユーリは過剰なまでに反応し、そして悔しそうに表情を歪めた。
その反応を、やはりレイリスは楽しそうに目を細めて見つめる。
ユーリとレイリス、二人は静かに睨み合った。
「……魔法?」
するともう一人、"魔法"という言葉に強く反応した者がいた。
「あなたたち、"魔法"が目的なの?」
凛とした少女の問い掛ける声。マヤだ。
先程よりは落ち着いた面持ちで、彼女は顔を上げてレイリスに問い掛ける。
いや、落ち着いたというよりは疑問の表情を浮かべているといったほうが正しいのかもしれない。アーリィを捕らえられた事に対する怒りよりも、なにか別の思考が彼女の脳を支配したようだった。
数秒の沈黙のあと、レイリスは「そうよ」と頷く。
「まぁ……それだけって訳でもないけど、あまりベラベラと喋るなって言われているから、とりあえずはそれが目的って答えておくわ」
意味深な笑みを浮かべつつ、レイリスは告げた。するとマヤは、一瞬なにかを思考するように黙する。
「マヤ?」とローズが不思議そうに声をかけると、彼女はどこか遠くを見つめるような瞳でぽつりと呟いた。
「……なぜ、アーリィが"魔法"を使えると知っているの?」
誰に問い掛ける訳でもなく、眉根を寄せて彼女は呟く。
この世界で"魔法"が異形の力と化していることは、承知の事実だ。だからアーリィには"魔法"を使うときは魔物が相手、あるいは人を『殺す』時にだけ使用する事と、簡単な約束を設けている。そのため多少の例外はあれど、しかし大体はその制約を守って彼は魔法を使用している。それに今の人々は"魔法"がどんな力だったのか知らないのだ。魔法を忘れた現在の人々にとっての魔法とは、ただ漠然とした『奇跡を起こす力』という認識しかない。だから例えその力を使ったとしても、それを即座に"魔法"だとは認識できるはずかない。
「なのに、なぜ……?」
素早く思考をまとめ、彼女は憶測だが答えを導き出す。
先程ローズといた時に彼女が感じた"嫌な予感"が再度頭をよぎり、マヤは険しい表情で顔を上げた。
「まさか、あなたたち……」
「?」
マヤの様子の変化に、この時初めてレイリスは口元の笑みを消す。
するとその時、レイリスによって拘束されたままのアーリィがマヤに向かって「マスター!」と叫んだ。その声にレイリスは、ハッとしたようにアーリィを注視する。だが気にすることなく、アーリィは言葉を続けた。
「こいつら、"アンゲリクス"って……!」
「!?」
アーリィの口から放たれたのは、ローズやユーリが聞いたこともない単語。そのため彼の叫びに、二人はただ疑問の表情を浮かべる。しかし、ただ一人マヤだけはその一言に落雷にうたれたかのような表情を浮かべた。
少女の唇が静かに揺れる。
青の双眸が衝撃を受けたかのように見開かれた。
「まさか、お前たちは……」
「なに……」
見開かれたマヤの瞳には、憎しみとも恐怖ともとれる複雑な感情の色が浮かぶ。その様子を見て、ローズがなにかを問おうと口を開きかけた。しかし、同じタイミングで彼女の唇が動く。
その瞬間少女の唇からは、深い深い憎悪の言葉が吐き出された。
「お前たちは、あの男の差し金か……っ!」
憎悪に満ちた謎の言葉と共に、マヤの双眸が憤怒に塗り込められる。すると、彼女の唇から零れた憎しみに満ちた言葉に呼応するかのように、辺り一帯のマナが音無くざわめいた。まるで大気が熱をもったかのように、ローズたちを包む空気の温度が一瞬にして上昇する。
全てを焼き尽くす業火・火のマナと最も相性の良い彼女に反応し、不可視のエネルギーがその形を灼熱の炎へと変化させようとしていた。
ただ、マナを体内に取り込んで魔力と結合させる為の魔術スペルも無しに、マナは姿を変えようとしている。そのため、おそらくこれはマヤが明確な意図をもってやっているのではなく、強烈な彼女の意思にマナが自然と感化されて起こっているのだろう。
「っ……マヤ?」
今までに感じたことの無い熱を持った空気に、驚いたローズが彼女に声をかける。だが、ヤは射るような瞳でレイリスたちを睨みつけたままで、全く反応を示さなかった。
「な、なに……この空気、変……」
「大気が震えて……熱い……」
レイチェル、そしてカナリティアが不安げな表情を浮かべて呟く。彼らもまた、この大気の異質な変化を肌で感じているのだろう。
エルミラが銃をかまえたまま、怯えた表情で不意に天を仰いだ。彼の頭上では、木々たちが不自然なざわめきをみせる。風も無く、木の葉がハラハラと灰色の大地に舞い散った。




