望まぬ再会、止まぬ雨 1
その扉は、他の多くの扉とはほんの少しだけ違っていた。
それは一際大きく、不自然なほど汚れの無い真っ白な扉。他の扉から少し離れ、隔離された場所に存在するそれ。そこには決して入ってはいけないのだと、子供たちは皆口を揃えて言った。
「なぜ?」と問えば、返ってくる答えも皆同じ。
『あの扉の向こう側に連れていかれたら、もうこっち側へは二度と戻ってこれない』
重厚な鉄製のあの扉の向こうは本当の"地獄"なのだと、子供たちは口を揃えて言った。
だから、気になったんだ。
その扉の向こうに続く本当の地獄というものが、一体どんなものなのか。
日々数人の子供たちが大人たちに呼ばれ、あの扉の向こう側へと消えていく。
そして呼ばれた彼らは皆噂通り、こちら側へと帰ってくることはなかった。
もしかしたら、俺もいつかあの扉の向こう側へ呼ばれるのかもしれない。今はまだ、別の扉をくぐる日々だけど。
それは、ほんの少しの好奇心。それ以外にはなにもない。
いつか自分が呼ばれるかもしれないその扉の向こう側がどんなものなのか、俺は見てみたかったんだ。
夜中、俺は部屋を一人抜け出す。
そして、あの白い扉へと続く長い廊下を誰にも見つからないように駆け抜けた。
緊張と興奮であがる息を必死に押さえ、俺は見上げるような大きさのあの扉の前へと立っていた。
ドクドクと耳元で自身の鼓動が聞こえる。冷たい鉄の扉に、俺はそっと両手をあてた。
話し声が聞こえた。低い、男の声。
『……は、やはり失敗か』
俺と、向こう側を仕切る鉄の扉。
そこに手をあてたまま、俺は息を殺してそっと耳をすます。
『薬液を注入する量が多すぎた。ああなってしまってはもう、あれは既に――ではない』
『ではどうする? 処分するか?』
『それしかあるまい。壊れた実験体になど用は無い。邪魔なだけだ』
『わかった。ではすぐに始末しよう』
俺は、自分の手が自然と震えていることに気付く。
知らない男達の会話に幼い俺は、具体的な理解は出来なくとも本能的になにか恐怖を感じていた。
『では明日にでも、次の実験体を何人か……』
『あぁ、頼む。……しかし、こうも失敗続きだと苛々するな』
『仕方ない。失われた強大な力を手にするなんて、そう安易なことではない』
『……わかってはいるさ。かつては我々の中にあった"魔法の力"……果たして、どんなものなのだろうな』
『それをこの目で確かめる為の研究だろう。では、私はそろそろ次の実験の準備にとりかからなくては。これで失礼させてもらう』
『あぁ、わかった』
男たちの話を最後まで耳にすることはなく、俺はひたすらに走っていた。
先程駆けてきた長い長い廊下を、今度は部屋に向けてひた走る。心臓はさっきよりもドクドクと激しく脈打ち、息は苦しくて、喉は水分なんて微塵も感じないくらいカラカラだった。
それでも俺は夢中で走っていた。
すでにあの扉の向こう側を覗こうなんて考えは頭からすっぽりと消え、変わりに俺はあの扉の向こうに凄まじい恐怖を感じていた。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
あの扉の向こう側は、"地獄"だ。
次の日。
俺は、あの扉の向こう側へと呼ばれた。
◇◆◇◆◇◆
「……ちょっと、一体どういうことよ!?」
突如として現れた謎の少年の一言に、驚きの声をあげたのはアーリィではなくマヤだった。
ユーリに制されたままだったので前に出ることは出来なかったが、先程の少年の意味ありげな言葉に険しい表情を浮かべる。そして少年に「聖女様」と呼ばれたアーリィは、一瞬その瞳に怒りの色を宿した。
すると今度は青年が頬を軽く掻きながら、マヤをまじまじと見つめてこんなことを言う。
「うわぁ、すっごい美人さん! ふーん、エレも美人だと思ったけど、最近の女性ってのは綺麗な人が多いんだね~。オレ、久しぶりに外へ出たからびっくりしたよ」
この青年の少し空気を読まない自由な発言に対し、マヤもマヤで「アタシが世界一キュートで可愛くて美人なのは世界の常識よ」と、さも当たり前のように平然と言ってのけた。因みに彼女は冗談なんかではなく、本気かつ真剣に言っている。さらに、大真面目な表情なのがまた凄い。
普段の場ならこれに対しユーリ辺りが苦笑いして、彼女になにかツッコミを入れる所だ。だが、相変わらずユーリは殺気を隠すことなく青年たちに向けて、彼らを警戒し続ける。するとそんな様子でいるユーリの代わりのように、フードの少年が青年に向けて「今はそんなこと言って関心してる場合じゃないよ、エル兄」と、呆れた口調で言った。そのまま少年はマヤと、そしてローズへと見えない視線を向けて呟く。
「仲間か……ちょっとマズイかな」
ローズたちに聞こえぬ音量で少年はそっと呟き、そして背に背負っていた大きな白い布包をもう一度背負い直す。それは重厚な金属音を奏でた。
「……それで、お前たちは一体なんだ? なにか俺達に用か?」
「ん?」
微妙に進まない会話と、そして一向に掴めない話の展開に、今まで沈黙していたローズが一歩前に出て問い掛ける。少年はローズの方へと顔を向け、彼の問いに「んー?」と首を傾げるそぶりを見せた。
そして、少年はローズを見つめてこう答える。
「えっとね、正確にはお兄さんたちに用じゃなくて、その後ろにいる聖女さまに用があるんだ」
少年はそう言うと、少年に鋭い眼差しを向けるアーリィを指差す。途端にアーリィはあからさまな不快感を表情にしてあらわす。
「聖女じゃない。俺はアーリィだ」
アーリィが怒りをあらわにしながら嫌悪を吐き捨てるようにそう答えると、少年は「じゃ、アーリィって呼ばせてもらうよ」と言って薄く笑った。すると今度はマヤが、再び閉ざしていた唇を動かす。だが彼女は先程とは打って変わって落ち着いた雰囲気を身に纏い、冷徹な蒼の瞳を男たちに向けていた。
マヤは驚くほど平坦な声で、彼らに問い掛けを向ける。
「……あなたたち、アーリィに何の用なの?」
先程までとはまるで違う冷ややかな少女の声と、そして静かだが確かな威圧感に、少年と青年は一瞬動きを止めた。マヤが時々垣間見せる、それはとても外見相応の少女が発しているとは思えない強烈な圧力。これにはローズとユーリも気付き、二人は思わずマヤへと視線を向けた。
少女の顔には、一切の感情が消えていた。あったのは、目の前の相手を問い詰める温度の無い直線の視線だけ。それはごまかしや曖昧その他一切を全て許さない、"絶対"の瞳だった。
そんなマヤの様子に、ローズたちも僅かに呼吸を忘れて彼女を凝視する。普段とは違う静謐な威圧感を放つマヤに、二人は自身も気付かないうちに恐怖というものを感じていた。
制されていたユーリの腕が下がると同時に、マヤは一歩前へと踏み出す。
「いきなりなんなのよ、あんたたち」
少女の強い視線に耐えながら、少年の代わりに今度は赤い髪の青年がゆっくりと口を開いた。
「……俺達はその子に少し聞きたいことがあって。それと……」
マヤ、ローズ、ユーリ、そしてアーリィが続く青年の言葉をそれぞれ緊張した面持ちで待つ。
やがて四人の瞳を順番に見つめ返しながら、青年は声のトーンを僅かに落として彼らに告げた。
「それと、オレたちと一緒に来てほしい……かな?」
「なっ……」
青年の湖水のような色の瞳が僅かに狭まり、四人を見据える。青年の一言にユーリが小さく声をあげ、ローズもまた驚きに目を見開いた。
だが当の本人のアーリィと、そして青年を威圧するように静かな視線を送るマヤは先程と変わらぬ表情で立っていた。
だたアーリィは、ロッドを握りしめる両手に力を込める。アーリィのロッドを握る指先が白く変色し、マヤもさりげない動作ながら肩にかけた刺突剣の柄に手をかけた。それは完全に、青年と少年を"敵"と認識した証拠だった。
「……お前たちは何者だ?」
ローズの問い掛け。青年は、僅かに唇の両端を吊り上げ答える。
「それは、悪いが言えない」
平坦な声の回答が、乾いた風と共に流れた。
「じゃあなぜアーリィを……?」
「……それも、言えない……かな?」
「じゃあ……お前たちは一体なにが目的なんだ?」
「もういいよ、ローズ」
答えの無い問答に痺れを切らしたのか、低く感情を押し殺したかのようなマヤの声が間に割り込む。
いつの間にか、凛とした鈍色の輝きを放つ愛剣をその手に構え彼女は立つ。彼女の大空の色を宿した瞳に、静かな激情の影が重なった。
「こいつらが何者だろうと、アタシには興味無いわ。でも……アタシからアーリィを奪おうとするのは絶対に許さない」
小柄な少女は青銀に輝く刺突剣の剣先を男たちに向けて、怯む様子もなく彼らに拒絶の一言を言い放った。
少女の双眸に宿る強い意思の炎に、青年は一瞬気圧される。
しかし彼も彼女のプレッシャーに負けないよう、薄い虚勢の笑みを口元に浮かべた。
「そうか。でもまあ、普通はそういう反応だよね。突然訳のわからない人間にこんなこと言われたら、拒否するのは当たり前だ」
場の空気が変わる。
マヤの静かな激情に、大気中の僅かなマナが反応しているのか、空気が硬度を増す。
正直荒事や争いの場の空気というものに慣れていない青年だが、それでもこの場で今感じる緊張の空気に、彼はなにかを察する。彼はズボンのポケットに右手を滑らせた。黒い外套の下に感じる小さな掌サイズの塊に、青年は手をかける。青年の双眸が、緊張に染まった。
「でも、オレたちが"それ"を見つけてしまった以上、もうあとにはひけないんだ」
青年は外套のポケットから手を出し、そして掌に握りしめた小型の凶器を自身の前方へと固定した。
「いかなる手段を使ってでも、その子を手に入れるよ」
黒い光沢を放つ拳銃、その銃口をマヤたちに向けて突き付ける。
いつの間にか少年も同様に、背負っていた大きな白い布包みを脇に構えて、四人に対峙していた。




