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神化論  作者: ユズリ
最後の審判
524/528

これからもこの場所で 4

 ジューザスと重ねた手を解き、カナリティアは振り返ってエレスティンを見る。エレスティンはまだ潤んだ瞳から溢す涙を拭っていたが、カナリティアの視線を受けると不思議そうな眼差しを彼女に返した。

 カナリティアは少し悪戯な表情を見せ、笑みながら彼女へとこう聞く。


「エレ、あなたジューザスにちゃ~んと伝えたんですか?」


「え……?」


  何を……と、咄嗟にそう疑問に思ったエレスティンは、しかしカナリティアの悪戯っぽい視線からその問いの意味を察して、彼女は涙目のまま動揺して顔を赤らめる。その忙しいエレスティンの変化にカナリティアは小さく笑い、彼女はそのままエレスティンの後ろへと走る。


「か、カナ……っ!」


「エレ……私、今言いましたよね? ジューザスには幸せになってほしいって。だから……」


 カナリティアは後ろに回ったエレスティンの背を押して、彼女をジューザスへ近付ける。

  激しく動揺するエレスティンに、カナリティアは本当の子供のような楽しそうな笑顔で、「ちゃんと伝えてくださいね」と言った。


「それでジューザスを幸せにしてあげてくださいね」


「え、え……えっ!? か、カナ……っ!」


 カナリティアはそれだけ言うと、動揺したままのエレスティンと目を丸くして立ち尽くすジューザスの二人を残して、一人部屋を出ていく。

  部屋に二人を残して廊下に出たカナリティアは、二人のいる部屋のドアに背を押しあてて、笑顔の眼差しに薄く涙を光らせた。


「幸せに……私もきっと、幸せに生きるから……」


  悲観することはもうしない。

  自分もユトナと同じように、自分の思うとおりにこれからは生きてみようと、そうカナリティアは胸に誓う。

  後悔の無い選択をして、今度は自分の為に幸せに生きてみようと、そう思いながら彼女は静かに涙を溢した。



「あ……あの……ジューザス、さま……」


 カナリティアが勝手に部屋を出ていき、ジューザスと二人きりとなったエレスティンは、ひどく緊張しながらジューザスと向き合っていた。


「あ……えっと……」


  彼の死を予感した時、自分は彼へこのまま想いを伝えられずに終わってしまうのかという恐怖に駆られた。そして意識朦朧とする彼に対して、自分は……


「そういえばエレ、君が私を助けてくれたあの日、君は私に何かとても大切なことを伝えると……そう、聞いたような記憶があるのだけれども」


「あっ! あああれ、あれはっ……!」


 やはりあの時に自分が咄嗟に言ったことをジューザスは覚えていたのだと知って、エレスティンはますます動揺する。

  今日までユトナとカナリティアのことに負い目を感じ過ぎていて、エレスティン自身"あの時"の伝えたい言葉についてジューザスとの会話で一切話題に出さずにいたのだ。ジューザスも今まではずっとカナリティアのことが気がかりで、おそらく自分にこのことを問うタイミングが今になってしまったのだろう。


(ど……どうしよう、私……)


 一度落ち着いてしまうと、やはり自分の想いをジューザスへ伝えるのには大きな勇気が必要となる。今はまだ恥ずかしくて言えないから次こそ伝えようと、一瞬だけエレスティンの脳裏にそんないつもの考えが浮かんだ。だけどそれでは駄目なのだと、彼女は思い直す。


(……もうあんな恐怖と後悔はしたくない。それに、このままじゃ私……いつまで経っても伝えることが出来ない……次でいいなんて考えてたら、ずっとそのまま後回しよ……)


 何より、たった今カナリティアが自分の背中を押してくれた。彼女の応援が、今のエレスティンには最大級の勇気となって自分の心を励ます。


「……ジューザス様……いえ、ジューザス」


「……うん」


  初めて何の敬称も無く自分の名を呼ばれて、ジューザスもエレスティンが自分に何を伝えようとしているかに何となく気が付く。そして同時に気が付く。自分はエレスティンの想いに薄々気付きながら、しかしずっと気付かぬふりをしていただけだ、と。

 こんな自分は卑怯かもしれない。だけどやはり彼も先ほどのカナリティアの言葉が心に残り、一瞬臆病となった自分を恥じた。自分はずっと志すものの為だけに、行動していた。だからそれに邪魔となるものは、自身の感情であれば無視してきた。そうやって時に心を殺し、自分自身を偽ってでも目的を達する為に行動してきた。エレスティンの想いに気付かぬふりをしてきたのもその為だ。だけどもうその必要は無くなった。そうやって彼女の想いを見て見ぬふりをしていた自分を反省するのならば、自分はその想いに応えるのが正しいことのように思う。

 それに何より自分に素直になれば、自分もずっと支えてきてくれた彼女のことを好いている。


  誰よりも幸せになってほしいと、彼女は言った。たくさんの人が今の自分を生かしてくれたとそう自覚するならば、幸せになってほしい……と。


「私、ずっとあなたのことが……」


 きっと彼女と……エレと共にこれから先を歩むことが幸せの一つだと、そう思いながらジューザスは泣きそうな顔を見せるエレスティンに微笑みを返した。





  人々にとって彼らが目指した楽園は、今はまだ日常と変化無い世界なのだろう。だけど確かにこの星は変わり、衰退と破滅へと向かっていたこの場所は再生からの希望に溢れている。

  確かに彼らは皆咎人であったが、彼らが罪を背負ったことと引き換えにこの星は変わることが出来たのは事実だろう。

 やがてこの星はマナを全て取り戻し、人はまた魔法というリ・ディールの祝福である力を手に入れるはずだ。そうして失ったものを再び手にして補完すれば、心豊かになった人々はゲシュに劣等感を抱くことはせず、恐れからの迫害をすることも無くなると彼らは信じている。


  人は信じるに値する存在だと、そう判断した女神の意思と同じように。







  青く晴れ渡った空はどこまでも続く。

  蒼穹の祝福はヴァイゼスから離れ、"彼ら"の元にも繋がっていた。



  心地よい暖かさの風が木々の間を抜き抜ける緑の森の中、その中を流れる小川の道沿いを二つの人影がゆっくりとした足取りで歩いていた。

  一人は長身の男で、白に近い銀色の髪を緩く吹く風に優しく靡かせながら、彼は切れ長に鋭い眼差しに優しい感情を湛えて、隣を歩く存在を見る。


「そろそろ休憩するか?」


 そう聞いた彼に、隣を歩く人物は黒く艶目く髪を揺らしながら首を横に振った。


「ううん、大丈夫……」


「そうか? でもずっと歩いてて疲れたろ? ここ川あってちょうど良いし、ちょっと水浴びしながら休憩しないか?」


  男がそう気遣う様子で問うと、美しい少女のような少し幼い容姿をした人物は、深紅の瞳を考えるように伏せる。やがて、再び視線を上げてこう返事をした。


「ユーリがそう言うなら、そうする……」


 ユーリはアーリィのその返事を聞き、少しだけ苦笑いをしながら「それじゃ休憩な」と言った。



  靴を脱ぎ、素足をひんやりと冷たい川の水に触れさせる。


「ど? 冷たくて気持ちいーい?」


「うん……天気が良くて空気が暖かいから、ちょうどいい冷たさ」


  川の中に入れた両足を軽く動かして、アーリィは問いかけるユーリに微笑みながら返事をする。"あの日"からほんの少しだけ伸びた黒髪を心地よさ運ぶ風にふわりと揺らしながら、アーリィは「ユーリも足入れたら? 気持ちいいよ?」と言った。


「そだな。んじゃ、俺も……」


 アーリィに誘われて、ユーリも靴を脱いでその隣に座り、冷たい川の流れに足を浸ける。


「ここら辺は魔物もいなくて、のんびり出来ていいよなー」


「うん。そうだよね……」


  小鳥の囀りが直ぐ側で聞こえ、小川のせせらぐ音と共に穏やかに優しい音色となる。

 ユーリは大きく息を吐いて体の力を抜き、空の青を見上げた。


「……」


  見上げた青の空は、自由の象徴だった。

  今の自分はこの暖かい自由の下で、大切な人と共にいる。幸せだった。自由を恐れていた頃が懐かしいとさえ感じられる今は、彼は自由に生きることの喜びを今までで一番に感じていた。だからやはり自由でいることはこんなにも心穏やかに幸福なことなのだと、それを伝えたいと彼は思う。少しずつでもいいからそれを教えてあげたいと、彼は自由をまだ曖昧にしか知れない天使に視線を向けた。

 するとアーリィは何故か視線を自分に向けたり、川の流れに向けたりと、そわそわとしている。


「どうした、アーリィ」


「え?! あ……あの……」


 ユーリが問いかけると、アーリィは動揺した反応を見せた後に、少し考えるように俯く。


「? 何でも、気になることがあったら言っていいよ?」


「んー……じゃ、じゃあ!」


 ユーリが優しく声をかけると、アーリィは何かを決意したように勢いよく顔を上げる。僅かに高揚した頬を見せながら、アーリィは少しお尻を浮かせてユーリに密着するように座る。そうして自分の上体を、隣のユーリに凭れかけさせた。


「ただ……こうしたかったの……」


  寄り添うアーリィが、恥ずかしそうに俯いたまま小さくそう呟く。その可愛いアーリィの行動と言葉に、ユーリは物凄い愛しさを感じる。その勢いで、この男は男の性丸出しになって思わず暴走した。


「ひあっ!」


  突如視界が反転し、アーリィは動揺しながら小さく悲鳴をあげる。


「ユーリ?!」


  仰向けに草の上に倒された自分の上にのし掛かるユーリに、アーリィは訳がわからず困惑した視線を向ける。一方で突然アーリィを押し倒してのし掛かったユーリは、胡散臭いほどの笑顔で「いや、なんか……つい……」と、ますますアーリィを困惑させる意味不明な事を言った。


「つい?!」


「つい……アーリィが可愛い事するんで、こう……ねぇ?」


  『ねぇ?』と一体誰に聞いているのか全く意味不明だが、ユーリはそう言った後に突然真剣な表情となってアーリィを見つめる。その真剣な彼の表情に全力でときめきながらも、アーリィは「何なの……?」と不安そうにユーリへ聞いた。するとこの男はぶっちゃける。


「うーんと……なんかすごく……したい」


 こんないい天気の野外で自分は何言ってんだろうと思いながらも、でも自分に正直に生きることも自由の一つだよね? と、自分的意味不明解釈して、ユーリはそう堂々と言い切ってみせる。アーリィは即座には彼が何を『したい』のかわからずキョトンとしていたが、ユーリが顔を間近に近づけると「え、キス?!」と赤面と共に困った様子で言った。


「いや……それもしたいけど……もっとほら、それ以上にあるじゃん」


「……ハッ!」


 ここでやっとアーリィは、ユーリが何をしたいと言っているかに気が付く。そして今度は赤面を通り越し、アーリィは青ざめた顔色でフリーダム過ぎるユーリに言った。


「だ、ダメ! あれは……えぇ? だってあれ……うそ……あり得ないよね、こんなとこで……」


 アーリィは青ざめたまま、「あれはしばらくダメ……」と、何か心に大きなトラウマでも抱えたかのように力無く言う。その予想外の反応に、ユーリはちょっと真面目に心配になった。


「え……待て待て可愛いアーリィちゃん、深呼吸して落ち着いて? 何でそんなに怯えてるの? あの……そんなに恐いことがあったような記憶は、俺には無いんだけど……」


「だ、だって、なんかやっぱり私とユーリ、違ってたんだもん……あんなの、私に無いもん……」


 アーリィはついに泣きそうな顔になって、「私、やっぱり男じゃなかったんだ……」と震える声で呟く。そのアーリィの主張に、ユーリは何とも言えない複雑な顔となった。


「うん……そうだね……確かにねぇ……って言うか、え? もしかして、そんなに痛かった? それで怖くなったとか?」


  焦りだしたユーリは、本気で申し訳なさそうな顔になって「ごめん、俺すっげー優しくしたつもりなんだけど」と言う。

 とても天気の良い穏やかな日の昼間に一体この人たちは何を話しているのかと、そうツッコむ人はどこにもいなかったので、この二人のアレは話はまだまだ続いた。


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