届かぬもの、忘却の 7
「それって……」
「危険だが、放っておく訳にもいかない。……ジェクトを旅に連れていこうと思う」
「もちろん、ユーリやアーリィにも相談しなくてはいけないが」と付け加えて、ローズは晴れやかな青空を見上げた。
自分のこの判断は果たして正しいのか……ローズは天を仰いだまま、そっと目を閉じた。
自分たちの旅は常に危険と隣り合わせで、しかも終わりがあるかもわからない。そんな旅にまだ幼いジェクトを巻き込むのは、正直言って危険過ぎる。連れていくべきではない、のかもしれない。
でも、それでも、だ。
「……ここに一人であいつを置いていくよりは、ずっといい気がする」
目を開ける。漆黒の瞳が見上げたのは、突き抜けるような青い空だった。
青と白のコントラストが織り成す、どこまでも続く広大な自由の世界。
「ここより、もっと自由な世界があるということを見せてやりたいし……」
空の青から目を逸らし、ローズはマヤを見つめた。マヤはローズの視線に黙って頷き、そして笑う。
「みんな反対なんてする訳ないよ。ローズが決めたことだもん」
微笑み、「ジェクトもきっと喜ぶよ」と、マヤは先程までの疲れた表情など嘘のように明るくローズへと語りかけた。
「ね、そうと決まったらジェクトを探しに行かなきゃ! きっとあの子喜ぶよ。だってほら、あんなにアーリィに懐いてたし! アーリィもきっと表情には出さないけど、喜ぶ!」
「おい……話ちゃんとに聞いていなかったのか? もし見つからなかったらって……」
嬉しそうにはしゃぐマヤに、ローズは苦笑いを浮かべる。そんな彼に「あーはいはい、わかってますよ」とマヤは返事し、今度はローズの腕を強く引っ張った。
「じゃあ、あともう少し頑張ろう? どちらにしても、ジェクトが一番幸せになれる方法を見つけるのが最優先……こっちのほうも諦めないで、ジェクトを預かってくれる所探そう!」
「……あぁ」
マヤの微笑みに、ローズもまた応える。
「じゃあ、行くか」
マヤに腕を引っ張られながら、ローズは笑顔で頷く。
残酷なくらいに晴れやかな空の下で、彼らは何もしらないままに歩き出した。
◇◆◇◆◇◆
「……あれ? あの人だかり、なにかしら?」
「ん?」
不意に立ち止まり、マヤは暗い裏路地へと続く道の一角を指差す。
ローズがマヤの指差す方向を見ると、そこにはなにやら野次馬のような多くの人だかりが出来ていた。
ただの薄暗い通路でしかないそんな場所に、不自然に出来ている人の集まり。ローズとマヤは互いに顔を見合わせ、そしてどちらからともなく人込みへと近づいていく。
一瞬二人の脳裏にジェクトと初めて出会った時の光景が浮かび、なんとなく二人は嫌な予感を胸に感じた。
ローズが先導するような形で、二人は人込みを掻き分けていく。その間聞こえる、すれ違う人々のざわめく声は、数が多すぎてなにを話しているのか聞き取れない。ただ皆一様に、不吉な表情で路地裏を覗き込んでいた。一体この先に何があるのか。
薄汚れた路地裏への入口付近、人込みの最前列へとやっと二人はたどり着いた。
そしてローズとマヤは、暗く視界の狭い路地の奥を同時に覗き込んだ。
そして二人はその光景を目にし、驚愕と絶望に固まった。
「……な、んで……」
ローズの耳に、マヤの掠れた声が届く。だが、それ以外の音は無い。
街のざわめきも、人々の話し声も、自分の呼吸音でさえも聞こえない。
ただ彼の目は、薄い闇の中を凝視していた。
闇の黒と石畳の灰色、そして――赤。
やけに鮮明な赤が、灰色の大地をその色へと静かに変えていた。
「……ジェ……クト……?」
呟いた自分の声もひどく枯れたもので、まるで別人だとローズは他人事のように感じた。
そして自分は夢でも見ているのか? と、錯覚する。随分とタチの悪い、そしてリアルな悪夢だと彼は思った。
「……ジェクトッ!」
突然マヤが我を取り戻したように叫び、路地の中へと駆け出した。そのマヤの声にローズも我に返り、一緒になって走りだす。
「ジェクト!? ねぇ……嘘でしょうっ!」
絶叫してしゃがみ込む彼女の正面には、変わり果てた幼い少年の姿があった。
光を失った虚ろな緑色の瞳、力無く煉瓦の壁に背を預けた身体、そしてその身体を胸元から貫くのは、まだ真新しい銀色の片手剣。この小さな身体から全て流されたものだとは信じられないような量の鮮血が、その胸元の傷から溢れて周りを血の海へと変えていた。
「……っ……どうして……っ!」
既に手遅れだという事を理解し、マヤは声を荒げて叫んだ。彼女は俯き、硬い石の地面に両拳を叩き付ける。
赤い鮮血が、音無く跳ねた。
「マヤ……」
哀しみに涙を流す訳でもなく、ただ怒りに震えるマヤをローズは見つめる。
『どうして?』という無意味な問いをひたすら繰り返しながら、彼女は赤い大地へと力無く座り込んだ。
「どうしてよ……ねぇ、どうしてこの子がこんな目に遭わなきゃ……」
絶望仕切った瞳でジェクトを見つめながら、マヤは譫言のように問い掛けを続ける。
ローズも彼女の側へとそっと膝を付き、ゆっくりと少年の瞼を指先で下ろした。
「マヤ、とりあえずジェクトを……どこか別の場所へ」
人目につかない場所へ彼を移し、どこかでちゃんと亡きがらを葬るべきだと、ローズはマヤへと語りかける。しばらく無反応だったマヤだが、やがてゆっくりと顔を上げて力の無い瞳でローズを見上げ、「そうね」とやはり掠れた声で呟いた。
『……あの子、ゲシュの……ホラ……』
『あぁ、なんだ化け物の子か』
『可哀相だけど……でも異端に関わるのはごめんね』
『むしろ俺は清々したよ! あの一家はこの街の汚点だったからなぁ』
「……っ!」
ローズたちの背後で聞こえる、人々の呟く声。それは目の前のこの現実よりも、もっと残酷な人の心の声。"ゲシュ"という異端の血をどれだけここの住人……いや、人間が嫌っていたのかを物語るものだった。
「……異端だから……だから、殺せ?」
「……マヤ?」
人々の話し声に混じり、マヤの押し殺した声がローズの耳に届く。
少女の声はやはり怒りに震えていた。
「それが、世界のルールなの? だから……だからジェクトは殺されたの?」
「……」
答えのない問いを口にする彼女の声は震えていた。
憎しみと哀しみ、そして怒りとやる瀬なさが複雑に入り交じった少女の瞳がローズへ向けられるも、ローズには何も答えられなかった。
マヤの問いへと応える変わりに、ローズは優しく少年の身体を支えて、胸へと無惨に突き立てられた剣を抜く。やがて引き抜いた剣を石畳へと力任せに突き立て、ローズは随分と軽くなった少年の身体をそっと抱き上げた。
「ほら、マヤ……行くぞ」
「……ん」
ローズの呼び掛けにマヤは緩慢な動作で立ち上がる。血だまりの中にしゃがみ込んでいた彼女の足やスカートは赤く汚れていたが、マヤは気にする様子もなく歩き出した。ローズもそんな彼女の後ろを、ジェクトを抱きかかえたまま歩き出す。しかしすぐにマヤの足が止まr、ローズの歩みも止まった。
「マヤ?」
不思議に思ってローズがマヤに声をかけると、次の瞬間彼の表情が強張った。マヤも驚きに目を見開き、硬直している。
ローズとマヤの視線の先には、野次馬の人込みに紛れて大きな花束を抱えたアーリィが、こちらをじっと見つめて立っていた。表情無く、そしてひどく空虚な眼差しで。
「あ、……ア、ーリィ……」
マヤの今だ掠れた声が、恐る恐る彼の名を呼ぶ。するとアーリィの両手から花束が滑り落ち、石畳の床へと次々に白いレヴィナの花が落下した。
大きな白い花びらが風に舞って、甘い香りと共に辺りを包む。
「アー……リィ……」
「……マスター……ジェクト、どうしたんですか?」
硝子のような瞳を抱えられたジェクトに向け、アーリィは問い掛ける。普段は抑揚の無い口調だが、まるで歌うような口ぶりの問い掛け。なにかの劇を演じるような台詞口調のアーリィに、二人はなにか不吉な予感を覚えた。
「どうしてジェクト、眠っているんですか?」
アーリィの口元には微笑みすら浮かぶ。だがそれも、不自然で無機質な笑み。
アーリィの変化にマヤは「いけない」と小さく呟き、彼女は慌てたようにアーリィへと駆け寄った。
「アーリィ、これは」
「アリア様だっ!」
「!?」
その時周りを取り囲んでいた野次馬の中から、二人が恐れていた叫び声が上がった。
「まずいっ……」
その叫びにローズが咄嗟に反応して呻くも、ジェクトを抱えたままで身動きが出来ない。
アーリィを見た群衆の一人が、アリアを連想し彼へと駆け寄る。あとはもう連鎖のように、人々は「アリア様」を口々に叫んでアーリィを取り囲んでしまった。




