届かぬもの、忘却の 6
「お姉さんはレヴィナの花が好きなのかしら?」
「レヴィナ?」
不意に声をかけられて、アーリィは顔を上げる。”お姉さん”と呼ばれたことは不本意だが、しかし今はそれよりも「レヴィナ」という単語の方が気になったアーリィは訂正よりも問い掛けを優先した。
「その花の名前だよ。白くて……本当に美しい花よね。おばさんも大好きなのよ」
「……レヴィナ……マジカに形、似ている」
マジカが大きくなったような感じだと、アーリィは思ったままに口にする。すると店主の女性は「そりゃそうだよ」と笑った。
「レヴィナもマジカも同じレヴィナ科の植物だから。レヴィナの花言葉は『唯一の愛』、マジカの花言葉は『純真な心』……どちらも綺麗な花よね」
「……」
おばさんの話を聞きながら、アーリィはレヴィナの花にそっと触れる。そしてレヴィナの花に鼻先を近づけた。
「……やっぱ、似てる」
そういえばジェクトは自分に何かを渡す為に、今は誰もいないという家に帰ったことをアーリィは思い出す。もしそれが本当ならば、自分も何かを渡すべきなのだろうか? と、彼は考えた。
その時アーリィの脳裏に、喜んでレヴィナの花を受け取るジェクトの姿が浮かぶ。それを想像して、自然とアーリィの口元が無意識に綻んだ。
やがてアーリィは立ち上がり、女性の方へと顔を向ける。そしてレヴィナの花を指差して、そっと呟いた。
「……これ、いくら?」
◆◇◆◇◆◇
「ハァ……ハァ……」
嬉々とした表情でジェクトは細い住宅街の道を走る。
その少年の手には、大きな紅い宝石の付いたペンダントがしっかりと握られていた。
繊細な銀細工で宝石の周りが飾られ、とても丁寧な造りをしたそれは、今は亡き母親の形見のペンダント。それを時折見つめながら、ジェクトは息を切らしつつローズたちが宿泊している宿屋へと向かう。
母親の形見である大切なペンダント、そこに埋め込まれた紅い宝石は光の加減で緑色にも変化を見せるとても珍しい宝石だった。
ジェクトはその宝石が大好きで、同じ宝石が剣の柄に飾られた父親の短剣をよくねだっていた記憶がある。
魔族であった父と同じ緑色の瞳を持つ自分は、宝石が紅から緑へと変化するたびに「自分の瞳と同じ色だ」と言って喜んでいた。そして父も一緒になって笑い、その度に母親が「そんなにその宝石が好きなら、大きくなったら私のペンダントをあげる」と言っていたのだ。
しかしそんな母は自分を逃がしてマーダーに殺され、父も自分たちを守るために戦って死んだ。
数日間一人でマーダーから逃げ回った後、自宅に戻ったジェクトが目にしたのは――変わり果てた両親の姿と、赤い海に溺れた家。
「……っ……」
残酷な記憶を思い出してしまい、ジェクトは不意に涙を零す。
しかし彼は直ぐに袖で涙を拭い、立ち止まることなく走り続けた。
ジェクトは走りながら、右手に握りしめたペンダントへ視線を落とす。
(お母さんのペンダント……大切なものだけど、でも……)
でも、大切なものだからこそアーリィに持っていて貰いたいと思った。
何故なのかはジェクトにもよくわからない。けどアーリィの瞳が綺麗な紅で、そして自分が緑だと気付いた時、なんとなく彼はこの宝石をアーリィにあげたいと思ったのだ。
それに自分には父の短剣がある。なによりアーリィに2つある宝石の内の1つを持っていてもらいたいと、少年はそんな想いを胸に走る速度を上げた。
(……アーリィ、喜んでくれるかな?)
ジェクトの中に受け取ってくれるのかという不安はあったが、しかし短剣よりもペンダントの方が受け取ってくれるような気がした。
(アーリィは女の人だし、アクセサリーの方が嬉しいよね。……でもなんで自分のこと『俺』なんて、男の人みたいに言うんだろう?)
しばらく走ると、ジェクトは住宅街の道から裏道へと入っていく。
一刻も早くアーリィにペンダントを渡したかったジェクトは、宿屋への近道である裏道を通ることにしたのだった。
「……で、こっちを右に曲がって……」
後少しで宿屋へとたどり着く。アーリィの喜ぶ顔を想像して、ジェクトは疲労しているのも忘れてさらに足を速めた。
しかし、唐突に少年の足は止まる。
「……あ……」
角を曲がった先を、少年は唖然とした表情で見つめる。
走り続けて乱れた呼吸が、緊張と恐怖でさらに乱れた。
ジェクトの異端の瞳は、一人の人影を捉らえていた。
「……おぉ? バケモノ一匹はっけーん。……ガキのほうか……」
薄暗い路地裏に、血走った眼をこちらヘ向けて立つ男。それは三日前に自分を暴行したマーダーの一人。しかしその男の手には、あの日には無かった真新しい長剣が握られていた。
殺戮の刃が鈍い光を放ち、その存在を強く主張する。
「あ……あ、あっ……」
「クックック……そうだ、バケモノの退治しなきゃなんねぇんだ。世界の平和のために、なぁ……?」
ゲラゲラと狂ったように笑う男。明らかに正気ではない男の様子に、ジェクトは危険を感じて逃げようとした。来た道を戻ろうと、ジェクトは後ずさる。しかし逃げようとする思考とは裏腹に、少年の体は恐怖に竦んで動かなかった。
ペンダントをしっかりと握りしめ、ジェクトはガタガタと震える足をなんとか動かそうとする。だがその間にも狂気に駈られた男は不気味な銀光を放つ長剣をかかげて、ゆっくりとその距離を縮めるように近づいて来た。
「た……すけて……」
男の歪んだ笑みと、不吉な刃が徐々に迫る。唇の両端を吊り上げて笑う男の口元がゆっくりと開き、男のいびつな列びの歯が見えた。
「ゲシュ……世界の枠から外れた異端者……きもちわりぃなぁ本当によぉ」
「……アーリィ……たすけ……」
廃墟の間から覗く、四角く切り取られた青空を見上げる。
四角い空に浮かんだのは、狂った正義を叫ぶ男と鈍く輝く銀色の殺意。
「死ねよ、異端の化け物」
狂気の刃が銀光を纏い、振り下ろされた。
◆◇◆◇◆◇
ほんの少し汗の絡んだ前髪を掻き上げ、マヤは静かに溜息を吐き出す。近くの煉瓦造りの壁に背を預け、彼女は歩きっぱなしで疲れた体を少しだけ休憩させた。
「はぁ……」
溜息が続く。珍しく疲労した表情で、マヤは忙しなく行き交う人々の波をぼんやりと見つめた。
(……やっぱり、そう簡単ではない……か)
ジェクトを保護してくれそうな場所を何件か当たるも、やはりどこも『ゲシュの子供は預かれない』の一点張り。
ゲシュの子供を預かってくれる場所を探すことは容易ではないと覚悟していたマヤだったが、しかしほんの少しの希望を抱いていたこともまた事実で。
だから、余計にこう感じるのだろう。
「……きっついなぁ」
ここまで強く"異端"を拒絶する世界に対し、マヤは苦笑いを浮かべて呟いた。
果たして思わず口から出たその言葉は、今の状況に困っての台詞なのか、それとも……
「……マヤ」
「ふぇ?」
自分でも答えの見つからない問い掛けに思考していると、ふと誰かに名を呼ばれる。
マヤが顔を上げると、ちょうど正面からローズが人の波を掻き分けて走ってくる所だった。
「……どう?」
挨拶は省き、マヤは率直にローズへと問い掛ける。
彼の浮かない表情から答えはもうわかっていたが、しかし問い掛けずにはいられなかった。
案の定、ローズは無言で首を横に振る。
「そう……アタシも同じ。……困ったわ」
三度目の溜息と共に吐き出されるマヤの言葉。
「一応教会にも行ってみたけど、あそこが一番反応最悪だったわ。ゲシュは魔族との混血だもんね……嫌われるのはわかるけど、それにしたってなぜかアタシが説教されたわよ、意味わかんないっつの」
大きく息を吐き、そうマヤは疲れと苛立ちを声にしてローズへと報告をした。
ローズもマヤに習って彼女の隣へと移動し、壁に寄り掛かりながら「どこも似たような反応だったよ、俺も」と淋しげに呟く。その言葉に続けて、マヤが遠慮がちにこう口を開いた。
「……ねぇ、ローズ……もし、今日中にジェクトを預かってくれる場所が見つからなかったら……」
正直自分には、どうすればいいのかわからない。ローズはどう考えているのだろう。
するとマヤの不安げな表情に対して、ローズは少しだけ笑ってこう返事を返した。
「あぁ、俺もそれを今お前に言おうとしていた所だ」
ローズのその言葉に、驚いてマヤは目を丸くする。




