届かぬもの、忘却の 4
だがマヤはそんなローズなどお構いなしに、いつもと変わらぬ口調と態度でさらりと続けた。
「あら、別に孤児院育ちなんて珍しくないでしょう? まぁ、こんなご時勢だし」
「ん、それはそうだが……」
首を傾げながらそう問われ、ローズは何となく素直にこう答える。
「なんていうか、その……。う~ん、意外だったというか」
「ローズ、昨日からそればっかねぇ」
何故だか可笑しそうに笑ってぼやくマヤに、ローズは困ったように苦笑いを返す。
いつも太陽のようにマヤは明るく、時に元気過ぎるほど彼女が元気なせいだろう。全くそんなイメージが彼女には無かったのだ。彼女だけはこの衰退した世界の闇には紛れず飲まれず、光だけを受けて生きている……そうローズは思っていた。
だから尚更、マヤのこの告白は彼にとって意外だったのだろう。
「んー、気付いたら孤児院にいて、しばらくしておじ様たちに引き取られた。別に自分が孤児院育ちだというのに特別不幸だとかを感じなかったし、むしろ引き取り手がいた分アタシは幸運だったからかなぁ……あんまり気にしてなかったんだけど。そっかぁ、アタシが孤児院育ちって意外なんだぁ」
マヤはそう独り言のように言ってから、「やっぱり元気がいいから?」と、悪戯っぽい瞳でろーずを見上げる。それにローズは迷わず頷いた。そのローズの反応に、マヤは思わず苦い顔を返す。
「な、なんかそう真顔で肯定されると、アタシがただのお気楽脳天気みたいじゃないのよ」
「いいやそういう訳じゃ……む、言葉というのは難しいな」
真面目な顔して悩むローズに、マヤはまた表情をころころと変えておかしそうに笑った。
「あはは、ローズってマジに考え過ぎ! ま、そこがいい所かもね。……からかいやすいし」
「から……それも褒められているのか?」
「もちろんよ。完全に全力で褒めておりますわ」
「……そうか?」
なにか引っ掛かるものがあったローズだったが、無理矢理に自分を納得させておいた。
やがてなぜかマヤはご機嫌に鼻歌を歌いながら歩き出す。そんなマヤと並んで歩きながら、ふとローズは「そういえば」と抱いた疑問を口にした。
「なんで急に……俺にそんな事を話してくれたんだ?」
「ん? あー……うんと、そーだなぁ……」
問われ、マヤは顔を上げて考え込む。
「んー……上手くは言えないんだけどさ、これは別に隠すことでもないから。まぁ、何と無くよ。……あぁ、ユーリの影響もあるかもしんないけど」
「ユーリか……本当に何を話したんだ? お前たちは一体」
「あら、聞きたい? いいの? 聞いちゃって本当にいいの? 後悔しないわね? んん?」
やはり意味ありげににやにやと不気味な笑みを浮かべるマヤに、ローズは無言で首を横に振って拒否した。なにかこの反応はこの反応で聞きたくなるものであったが、しかしこの様子では彼女は正直な話はしない気がしたのだ。
そうしてローズが諦めながら前を向いて歩みを進めると、こちらもまた前を向いたマヤが口元を綻ばせながら独り言のように呟く。
「全てを知ろうなんて貪欲に思っちゃダメなのよね。ただ自分が話したいことだけ伝えて、相手が話してくれた時に聞いてあげるだけ。そうやって相手を受け入れ、同じように自分を理解してもらうのが大切なこと……だよね」
「ん? なんだそれは」
「さぁね。ただの独り言よ」
不思議そうに問うローズに、マヤは得意げに笑ってそう答えた。
またなにか上手くはぐらかされたなと思いつつ、ローズはまぁいいかと再度自分を納得させる。
結局ローズにはよくわからなかったが、だがマヤが自分のことを話してくれたことは信用されているようで素直に嬉しくなった。
しかし同時に自分だけ過去を隠す事に、罪悪感も生まれたことは確かだった。そんな暗い思考を振り払おうと、ローズはひとつ気にはなるのだが少し問いにくい質問を思い切って問うことにした。
「なぁ、マヤ……」
「あら、今度はなぁに?」
穏やかな表情で自分を見上げるマヤを見て、ローズはやはり一瞬問うべきかどうか躊躇した。
果たして自分に、こんなことを聞く資格があるのだろうか、と。
しかしそんな迷いを思いながらも、マヤが言葉の続きを待っていたので、戸惑いつつも彼は続きを口にする。もっとも短い言葉で、彼は遠慮がちに問うた。
「その……両親は?」
ローズの問い掛けにマヤは足を止め、びっくりしたように目を丸くする。
そんなマヤの反応にローズが質問したことを瞬時に後悔すると、しかし意外にもすぐにマヤは不思議と柔らかい笑みを浮かべて口を開いた。
「おじ様とおば様は色々あって、随分と昔に亡くなったわ」
「あ……そうだったのか。それは、悪かった」
返ってきた答えに思わずローズは、無遠慮に聞いてはいけないことを質問してしまったと反省し、反射的に謝罪を述べる。しかしマヤは謝るローズに「気にしないで」と言って、首を横に振った。
「そういえば最近はおじ様たちのお墓参りに行ってないなぁ。前はアーリィと二人で行ったりしてたんだけど……草、ボーボーになってないかしら?」
独り言のように首を傾げてマヤは呟く。
なんだか本当に気にした様子がないので、もう彼女なりに心の整理がついているようだった。
(……本当に逞しいな)
そんな事を思いながら、ローズは関心して頷く。
だがすぐにハッとして、彼は顔を上げた。
「あ、イヤ、そうではなく……」
「んん~?」
マヤはのんびりとペースに歩き出しつつ返事をする。
「本当の両親は……?」
ローズの口から紡がれたその一言に、再度マヤの動きが止まった。
マヤがゆっくりとローズの方へと顔を向ける。その時、なぜかひどく淋しげな笑みを浮かべる彼女と目が合った。そうして彼女は小さく呟く。
「……アタシに、本当の親なんているのかしら?」
「え……」
哀愁を帯びた口元から零れ落ちた言葉。それが意味することを、今の彼は知らない。その真実に気づくことさえないだろう。彼はまだ彼女のことを、本当の意味では何も知らないのだから。
「……マ」
ローズがたった今呟かれた言葉の意味をマヤに問おうとした直後、それよりも先にマヤがいつもと変わらぬ笑顔をローズへ向けて口を開く。
「さ、好い加減今日はもう帰って休もう! さっすがにアタシも一日歩いたら疲れちゃったわ」
そう言ってマヤはローズの腕を引っ張った。
その表情は、やはりいつもとなんら変わらぬ太陽のような笑顔。
「ね? さ、行こ行こ。アップルパイも立ち食いなんかしてないで、宿でゆっくり食べなさい!」
「あぁ……」
結局先程の笑みと言葉の意味を問えぬまま、ローズは彼女に強く腕を引かれながら人込みの中を駆け出した。
◆◇◆◇◆◇
「クソッ……クソ、クソがっ!」
夜のヴェロニカ、その光の一切が無い細い路地裏で、男が一人酔っ払ったように暴れていた。
薄汚れた煉瓦造りの廃墟群の壁を叩き、男はもう一度憎しみと憤怒の塊を吐き出す。
「ちくしょう! なんなんだ、あの女は!」
天上で雲間が切れ、淡く月明かりが地上へと降り注がれる。
細い月光は混沌の闇の中に、吠える男の顔をはっきりと照らし出した。
照らし出された男のこけた頬は怒りに歪み、血走った眼球はこの世のどこも見ていない。
それはローズたちがこのヴェロニカに着いた初日、アーリィが路地裏で出会ったマーダー――ジェクトを暴行していた男のうちの一人だった。
「ゆるさねぇ……この屈辱……ぜってぇ許さねぇ!」
薄い唇から男の憎悪が滴る。男の脳裏にはあのゲシュの少年と、そして突如現れて自分たちをこけにした黒髪の女の姿が浮かんだ。
「……クククッ……ハハハハッ!」
やがて男は笑い出す。汚泥の煮立つような不気味な音を立てながら、男は狂ったように笑い出した。
闇を切り裂くように響く、正気を失った哄笑。そして何かに取り付かれたかのような男の笑い声がゆっくりおさまると、男は再度呪いの言葉を唇から吐き出す。
「……そうだ、復讐してやるよ……」
男の唇は狂気と狂喜に歪んだ。月光は最後に歪んだ男の笑みを照らし出して、また雲の影へとゆっくり姿を消す。
再び一帯に闇が訪れた。
もう、男の姿は見えない。




