届かぬもの、忘却の 3
なぜか感心したように発言する彼女の様子に、ローズは眉をひそめて考える。
「……その、それは褒められているわけではないよな?」
「そんなことないですよ、ほめてるほめてる」
「……そうか?」
なにか腑に落ちないローズだったが、とりあえず彼は頷いておくことにした。
「……で? 勘がいいと言うことは、本当になにかあったのか?」
さらに続くローズの問い掛けにマヤは苦笑いし、彼女は小声で小さく呟く。
「さすがにごまかされないか、ローズでも」
「ん?」
「あーいえいえ、なんでも無いわよん。んーそうねぇ……さっきちょっとユーリに人生相談なんかしてもらっちゃったのよ」
「ユーリに?」
予想外の答えが返ってきて、ローズは驚きつつ首を傾げた。
「どういうことだ?」
マヤは少しだけ苦笑いを浮かべた後、すぐにひどく真面目な表情に切り替えてローズを見上げた。
「あなたもアタシたちと同じ人間だっていうこと、ユーリに教わったのよ」
「……?」
マヤの言葉の意味がわからず、ローズは困惑した表情を返す。そんなローズの様子に対して、マヤは可笑しそうに笑いながら「ま、あんまり気にしないでよ! つまりはユーリがあなたのことよーく見てるほどあなたを好きだってことだから」と、そう言って愛らしくウインクをしてみせた。
「……なんだそれは」
「うふふ、いいわねー二人は仲良しさんでぇ~。マヤちゃんヤキモチ妬いちゃう」
ふざけた様子で笑いながら、マヤはローズの肩を力任せに目一杯叩いた。
遠心力まで利用したマヤの気合いの一発に、ローズはおもわず小さくよろける。
「?」
一体ユーリにどんな話を聞いたのか物凄く気になったローズだったが、ニヤニヤと不気味な程楽しそうなマヤを見ると、なんだか真面目に聞いてもとんでもない捏造話を語られそうな気がしたので、これ以上詳しく問うことは止めておいた。
ただ、なんだかよくわからないがとりあえず、後でユーリに礼だけは言っておこう……そう考えて、彼は小さく笑った。
「あっ、とこんでさぁ……なんかローズ、さっき冴えない顔してたけど~……どうしたの? 財布でも落とした?」
ふと思い出したように、マヤが笑顔から疑問の表情へと切り替えてローズに問い掛ける。
一方ローズは甘い林檎の香り、その誘惑に勝てなかったようで、マヤから先程貰ったアップルパイを一切れ頬張りながらマヤを見返した。そうして彼はアップルパイを頬張りながら、「あぁ」と言いながら首を横に振る。
「いや、別に財布は落としてないが……」
「んー? じゃあどうしたの?」
自分の顔を覗き込むマヤを見返しながら、ローズはアップルパイを頬張ったまま何か苦い顔をした。正直、自分があまりさえない表情をしていた理由はいいものではないので積極的には語りたくはなかったのだ。だが折角気まずくなった空気が元に戻ったのに、再び嫌な雰囲気になるのはローズも嫌だった。そう考え、ローズは素直に口を開くことにした。
「その、ジェクトの事なんだが……」
「ん?」
僅かに目を伏せて静かな口調で語るローズの横顔を、マヤは黙って見つめた。
「そう……そっか……。ジェクトの預け先、まだ見つからないんだ」
「……ああ」
ローズの話が終わり、マヤはどういう表情をすべきか困ったように曖昧な笑みで返事をした。ローズの話はマヤの予想以上に深刻で、そして急を要する問題だったのだ。
「困ったわね……危険だとわかってるアタシたちの旅に、彼は連れていけないし」
「……その、すまない」
マヤが眉根を寄せて呟くと、ローズは何故かマヤへと謝罪の言葉を口にした。
ローズのいきなりの謝罪に、マヤはますます困ったように声をあげる。
「な、なんでローズが謝るのよ……」
するとローズは進めていた歩みを、突然止めた。
マヤもつられたように、その場に立ち止まる。そして不思議そうに、隣に立つローズを見上げた。
澄んだ黒水晶のようなローズの瞳と、なんの前触れもなく視線がぶつかる。その瞳の中には、ひどくつらい感情が滲んでいた。
「……ローズ?」
こちらまで心が痛くなるようなローズの表情に、思わずマヤは疑問を顔に浮かべたまま彼の名を呼ぶ。
するとローズは目を伏せ、搾り出すような声で静かに呟いた。
「何とかすると言ったのに……結局俺はなにも出来ない」
自分を責める彼の一言に、マヤもまた辛そうに表情を歪めた。
この周辺にたった一つあるという孤児院を先程一人で訪れたローズは、そこでこの衰退した世界の現実を目の当たりにしたのだった。
養ってもらうべき親をマーダーや魔物に奪われ、路頭に迷うこととなった子供たちは国の施設である孤児院が保護をする。しかし魔物が横行しマーダーが法を無視するこの時世では、孤児院はそんな子供たちで溢れて常に満杯の状態だ。
そんな中さらに人手が足りず、国支給の分では食料も満足に行き届かない。そして院内は常に薄汚れていて異臭が混じり、衛生的にもいいとは言えない……ローズが見てきたここの小さな孤児院は、まさにそんな状態だった。
食料品露店のおばさんから事前に現状を聞いていたとはいえ、しかし実際にそれを目の当たりにするとでは心に抱く感情がまるで違う。あのような環境を実際に見てしまったら、どうしてもジェクトをそこに預けるという気にはなれなかった。
『審判の日』という、世界の半分以上が突然のマナの暴走で失われた地獄から、今のこの世は復興の努力によってだいぶ元へと戻りつつあるように見える。だがそれはやはり一部の、目に見える”表”の部分だけであって、裏にはまだ癒されることのない世界の傷跡が存在する。それは自分が今まで見ようとしなかった現実で、それを知らないままに少年を保護すると軽々しく判断した自分の軽率さを反省した。
「……あんなにえらそうな事を、お前に言ったのにな」
溜息と共に吐き出されたローズの言葉は、自分自身を嘆いているようにマヤには聞こえた。
やがてローズはマヤにこれ以上余計な気を使わせないようにと、思い出したように無理に笑ってみせる。その表情を見た瞬間、マヤの口は無意識に開いていた。
「ねぇ、ローズ」
「ん、なんだ?」
「アタシも……明日、アタシも一緒に探すよ!」
「え?」
突然の提案に目をしばたかせて驚くローズに、マヤはにっこりと微笑みを浮かべた。
「だからアタシも一緒に探すの! ジェクトを受け入れてくれる所をさ。明日まだ一日くらい時間あるでしょう? アタシも今度は手伝うから大丈夫!」
強気に胸を叩き、マヤは何故か自信満々にそう宣言する。そのマヤの迫力に圧され、ローズは目を丸くしたまま「あ、あぁ」と曖昧に頷いていた。するとマヤはそんな彼を見つめ、不意に優しい笑みを向ける。
「……諦めるのはまだ早いよ。それに、ローズらしくないわ」
澱み無い海底の深い蒼、それを連想させるマヤの瞳が優しげに細められた。
予想外の励ましにまた驚き、ローズはしばし放心する。マヤはそんなローズの反応か可笑しかったのか、すぐにいつものふざけ半分な口調で笑った。
「なぁんてね! ま、そーいう訳だから明日は一緒にがんばろー」
「マヤ……」
「ね?」
愛らしい少女の笑みで、マヤはローズに同意を求める。
ローズは数秒考えて、やがてゆっくりと頷いた。
「……じゃあ、よろしく頼むよ」
薄く口元に笑みを浮かべつつ、ローズは言った。
たまにこの少女は笑顔一つで、自分の迷いや不安を払拭させてしまう。落ち込んでいた自分が馬鹿らしくなるほど簡単に、暗い混沌とした思考を繰り返す自分をこうして光に導いてくれるとローズは思う。そしてそれに自分はすごく救われているということも。
「ありがとう、マヤ」
本当に不思議だと思いつつ、ローズはマヤに礼を述べた。それにマヤは軽く髪を掻き上げながら、「いいのよ」と目を細めた笑顔で返事を返す。
しかし彼女の笑顔は唐突に、真面目な表情へと変化する。その変化を不思議に思ってローズが声をかける前に、ぽつりとマヤの方から言葉を発した。
「そういえばさ……アタシも孤児院育ち、なんだよね」
突然に呟かれた言葉は、まるで予想していなかった一言。
「え?」
衝撃に思わず目を見開いて、ローズはマヤを凝視した。
「そう……だったのか?」
「うん。とは言っても十歳くらいまで孤児院で育って、その後は子供が出来なくて悩んでいた夫婦さんの所に運よく引き取られたんだけどね」
何気ない口調で、マヤはそう自身の生い立ちを告白する。
ローズやマヤたちは今まで皆互いに、積極的に自身の事を話すことは一度として無かった。それなのに突如マヤが自分の過去を語り出したこと、そしてマヤが孤児だったということに二重にローズは衝撃を受けた。




