届かぬもの、忘却の 2
「あ、ごめんなさい。……あのね、僕ここに来る度にいつも思うんだ」
「なにを?」
「天国ってきっと、こういう所なのかなぁ~って」
ジェクトはまるで照れも迷いもなく、何気ない口調で自分の考えをそう口にした。そんなジェクトの真っすぐな言葉に、アーリィは一瞬目を丸くする。
「……なんだ、それは」
「昔、お母さんがよく言ってたんだ。天国は、神様が僕たちのために用意した"らくえん"だって」
ジェクトはアーリィから視線を離し、そして一面の花園を見渡しながらそう説明する。直後に澄み切った少年の緑色の瞳が、何かを切望するような色を帯びた。
「それにお母さん、いつもこう言ってた。そこはみんな平等で……真っ白な世界なんだって」
「白い……世界……」
「うん」
ジェクトが微笑みながら頷くと、同時に少し強い風が辺りに吹き付ける。その暖かな風に吹かれて、真っ白なマジカの花びらがいくつも舞い上がって二人を包んだ。
鼻をくすぐる甘い花の香りが心地よく、アーリィは髪を押さえながら静かに深呼吸をした。
優しいマジカの花の白、そして香り。
それらを全身で感じ、やがてアーリィはそっと目を閉じる。そうすると確かに――ジェクトの言う"天国"では無いが――何かこの世界とは別の楽園に、今自分が存在しているような錯覚を感じた。
「だからね、僕……ここにいると、お父さんお母さんと一緒にいるような気持ちになるんだ」
ゆっくり目を開けると、目の前にはマジカの花びらが風と共に舞う。それはさながら、純白の羽根のようで。
「お父さんとお母さんは先に、神様に導かれて天国に行っちゃったけど、でも二人は真っ白な世界で僕のことをいつも見守っててくれてるって……僕、そう信じてる」
「……ジェクト」
「ん? なあに?」
アーリィに呼ばれ、ジェクトは顔を上げて彼を見上げた。ジェクトが見上げたその先には、柔和な笑みを静かに浮かべるアーリィの姿。それは彼が決して、例外であるマヤ以外には見せることのないやさしい表情だった。
「……」
母親のような優しさに満ちた紅い眼差しは、いつか彼がたった一度だけ目にしたことのある女性と同じもので、ジェクトは思わず一瞬息を飲んだ。いつか見た"聖女"の絵――そこからそのまま抜け出したような人物の、優しく汚れの無い微笑みが少年の瞳に強く焼き付く。
滅多に他人には微笑むことの無いアーリィだが、しかしジェクトには不思議と躊躇うことなく笑顔を向けて静かに口を開いた。
「……お前が神に祝福される存在ならば、俺はこれからもずっとお前と一緒にいてやる」
「アーリィ……」
驚きに目を見開き、固まるジェクト。構わずアーリィは、神託を告げるかのように凛とした声で言葉を続けた。
「そして、お前を守る」
白い、白い――どこまでも汚れの無い場所。
その言葉は静かに、しかしはっきりとこの楽園に響いた。
甘い、マジカの香りと共に。
◇◆◇◆◇◆
「んもう……どこ行っちゃったのよ、ローズぅ……」
沢山の人が行き交うその雑踏を掻き分け進みながら、マヤは溜息交じりに呟く。
王都という場所の性質上仕方ないことだが、それにしてもあまりに多い人の波にマヤは少しうんざり気味だった。しかしどうしても今からローズに会って話しをしたい彼女は、キョロキョロと眉をひそめながら必死に人込みを見渡した。
そんな彼女の右手には、先程宿から飛び出した時にはなかった見慣れない紙袋が大切そうに抱えられている。その謎の紙袋を抱え直しながらマヤは、「んもー」と再度溜息をつきながら背伸びをしながら足を進めていった。
「あ……ごめんなさい」
ドンッと大柄な商人の男に肩がぶつかり、マヤは小さく頭を下げながら謝罪をする。商人の男は一瞬不機嫌そうな表情をマヤに向けるも、愛想のよいマヤの笑みに一変して口元を緩めた。そして「お嬢ちゃん、気をつけな」と言って、男は軽く手を振る。
「ありがとー」
自分の笑顔が他人にどう見えるかを理解している彼女は、その笑顔のまま商人の男に手を振り替えした。そうして彼女が男の後姿から視線を外しかけると、その男の姿の向こう側に見えたものに思わず反応した。
「ん?」
人込みに消えていきそうになる男の向こう側に、確かに彼女は見知った黒い頭髪の人影を見つける。
それを確認して、彼女はいったんその場に足を止めた。
「……やっぱりローズっ!」
自分の探していた人物の思わぬ発見に、マヤは嬉しそうに「おーいっ!」と大きく手を振る。そうして彼女は急いで、彼の元へと駆け出した。
「……ん? マヤ?」
少し疲れたような表情でぼんやりと街を歩いていたローズだが、前方から満面の笑み付きで疾走してくるマヤの姿を見つけ、驚いたように目を丸くして立ち止まる。
「ど、どうしたんだ……?」
朝の彼女とは打って変わって元気なマヤの姿に、少し戸惑い気味にローズはそう彼女へ声をかける。するとローズの元まで逞しく人込みを掻き分けて来たマヤは、ほんの少しだけ乱れた息を整えつつ、愛らしく彼に微笑みかけた。そうして彼女は元気よくこんなことを彼へ言う。
「ごめん、ローズ!」
「……は?」
突然謝られ、何がなんだかさっぱりわからないローズはただ首を傾げる。まぁそれは当然の反応だった。しかしさっぱり状況のわからないローズをよそに、マヤは「まぁまぁ」と意味ありげな笑顔のままさらに奇妙な行動をとった。
「はい、これはお詫び……というか、仲直りのプレゼント!」
「は……な、仲直り?」
目をぱちくりとさせて戸惑うローズに、マヤは無理矢理に先程から大切そうに抱えていた謎の紙袋を押し付ける。ローズはそれを一応受け取りつつ、困惑した表情のまま紙袋の中をそっと覗いた。そしてそのまま袋の中身を確認して、呆気にとられた表情で一言呟く。
「……アップルパイ?」
袋を開けた途端漂う甘い林檎の香りに、ローズは無意識に少々嬉しそうな顔となってそう答えた。そんな彼に、こちらも笑顔でマヤが言う。
「そ、あったりぃ! ローズ、好きでしょー?」
なんだかやけにハイテンションの彼女の姿に、ローズは内心首を傾げつつ「あぁ」と頷いた。
朝とギャップがありすぎる彼女だが、一体何があったというのか。
「ありがとう……しかし、いきなりなんだ?」
「だーかーら、仲直りの贈り物だってば! ほら、なんかアタシたち朝からギクシャクしてたじゃない?」
唇に指先をあて、ほんの少しだけ声のトーンを落としつつマヤは答える。
「だからさ、これで仲直り! なんかモヤモヤした空気ぜーんぶ無し! ……ダメ?」
上目使いに自分の様子を伺うマヤの姿にローズはどう反応していいのかわからず一瞬固まったが、しかしすぐに我に返って苦笑いを浮かべた。
「いや……こちらこそ変に気を使わせたようで悪かったな。あまり気にしないでくれ。こっちこそ悪かった」
「ふふ、そうかしら……」
ローズとマヤ、二人はお互いに苦笑いを返す。
「まぁ……というわけで、今回の事はこれでスッキリさっぱり無し。オッケー?」
「今回のこと、か。……あぁ」
マヤは彼女なりに気を使って、彼女らしい方法で自分たちの間に生まれた見えない隔たりを無しにしようとしているのだろう。そのマヤの精一杯の気遣いにローズは少しだけ申し訳ない気持ちになりつつ、しかし彼女の気持ちを無下にするわけにもいかない。彼は最後に一言だけ「ありがとう」とだけ口にし、随分気を使わせてしまったことの反省は、今回は自分の内心に留めておくことにした。
今はただ、マヤの気持ちを尊重させてあげる事を優先してあげよう、と。
「じゃ、そういう訳で……ついでだし少し散歩しない?」
「散歩?」
「そ、お散歩!」と、ウインクしながらマヤは言う。断る理由もなかったローズは「かまわないが」と頷いた。
そのまま二人は並んで、人込みの中を特に目的無く歩き出す。マヤはローズに歩調を合わせて、一方ローズはマヤに合わせてゆっくりと歩く。
そうして歩き出してしばらくすると、ふとローズはマヤに聞きたくなって口を開いた。
「しかし、いきなりどうしたんだ?」
「ん?」
ローズの問い掛けに、マヤは疑問の表情で顔を上げる。
「どうしたって、なにが?」
「いや……その、朝と違って元気のようだから、少し不思議に思ったんだが……」
少し言いにくそうに、しかし気になるのかローズは続けた。
「昼間の間に、なにかあったのか?」
ローズがそう問いかけると、マヤは一瞬目を丸くしたあと、少々わざとらしい反応で驚く様子を見せる。
「うっわぁ、ローズってたまぁに勘がよかったりするわよね! いつもはアホっぽいのにー」




