あなたと手を繋ぎ、そして 7
しかし驚くジェクトとは対照的に、白い布の下に隠されたアーリィの表情はひどく冷め切っていた。
アーリィはそんな表情のま、袋の口を閉じながら静かに呟く。
「……十五」
「え……?」
アーリィの呟きにジェクトが顔を上げ、そして店主の男が不思議そうにアーリィへ視線を向ける。するとアーリィは僅かに顔を上げて、袋をテーブルへと置いた。そうして彼は、きっぱりとこう言い放った。
「最低でも十五万ジュレくらいにはなるはずだ。それじゃ少なすぎる……話にならないから他をあたる、返せ」
「えーっ!?」
「なっ……」
ジェクトにとっては十万ジュレなんて相当な大金なのに、しかしアーリィはそれには満足してないようで、さらなる額を要求する。そしてこんなアーリィの無茶発言には店主の男も驚いたようで、口をあんぐりと開けて困惑しきた表情をしていた。
「お、おい……十五って、十万でもかなり上乗せした金額なんだぞ?」
慌てる店主の男に、しかしアーリィは冷めた表情のまま小さく首を横に振る。
「いいから十五出せないなら返せ」
ものすごい強気の、この発言である。実はアーリィには、『品物を買い取ってもらう時はなるべ~く高値でね!』というマヤの教えが完璧に仕込まれている。そのため彼は、まず絶対に買い取り額の値上げをするのだ。勿論、マヤの命令的な教えに従って。
「な……事情ってアンタなぁ……」
「どうなんだ? 十五出すのか出さないのかはっきりしろ」
ここまで傍若無人で強気な客には初めて遭遇した店主は、アーリィの言葉に困り切った表情で「う~ん」と唸っていた。
そして怒って追い出されるんじゃないかと、アーリィの言い草にドキドキしていたジェクトの心配をよそに、意外にも男はアーリィの要求に対して考える。
「……仕方ない……折角の貴重なドラゴンの鱗だ、こっちだって手に入れてぇしな。……十三万では駄目か?」
男が言うように、ドラゴンの鱗は様々な用途に使える高価かつ貴重な素材なのだ。薬師などに売れば、とんでもない高値で売れる場合もある。そして男も「頼むよ」と手を合わせるその様子を見るかぎり、どうにも売り付けたい人間がいるのか、無茶を言われようと手に入れたそうだった。
一方でアーリィは顔色一つ変えずに、きっぱりと言い切る。
「十五だ」
「……十三と……五千」
「十五」
「……じゃあ、十四!」
「じゅーご」
「くっ……」
「……何かすごい」
店主とアーリィの謎の攻防を眺めながら、ジェクトは唖然とした表情で一人呟いた。
帰り道、ずっしりとした布袋を両手でしっかり持つアーリィの隣で、ジェクトがただただ驚いたような顔で彼を見上げながら歩いていた。
「……アーリィってすごいね」
「? 何が?」
「……んと、色々と」
数人の賊をあっという間に退けたり、人の傷を治したり、ユーリを雷で感電させて気絶させたり、質屋の主人にこちらの言い値でモノを買い取らせたり……一体アーリィのどこまでを感心していいのかわからず、ジェクトはアーリィを見上げたままそう答えた。
「……何だ、色々って」
ジェクトの言いたい事が全くわからず、アーリィは眉をひそめて呟く。
「お前の言動は昨日の夜からよくわからない事が多い。言いたい事があるなら、はっきりと言えばいいだろ」
「あ……ご、ごめんね……」
アーリィのぶっきらぼうな言葉に、途端にジェクトは困ったような表情で謝る。そんな彼の様子を見て、アーリィは小さく溜息をついてこう言い直した。
「別に謝る事じゃ……ただ、俺は曖昧だとよくわからないから……」
しかしそこまで言いかけて、突如アーリィの動きが止まる。
「? ……アーリィ?」
立ち止まったアーリィを不思議に思い、ジェクトも足を止めた。
「どうしたの?」
「ぁ……ぅっ……」
アーリィの持っていた布袋が、どさりと音を立てて地面へと落ちる。
「アーリィ……?」
突然頭を抱えて地面に膝をつくアーリィの姿に、ジェクトは心配そうな声をあげて彼に駆け寄る。そうして彼が覗き込んだアーリィの顔色は、目に見えてわかるほどに蒼白だった。
「アー……リィ……?」
「……」
光無い瞳はいつも以上に虚ろで焦点が合っておらず、何かに恐怖しているかのように小刻みにアーリィの体は震える。そのただならぬ彼の様子に、ジェクトは強い不安に襲われた。だが自分は一体どうしたらいいのかわからない。
やがて仮面のように表情の漂白されたアーリィの唇が小さく動き、彼は掠れた声で何事かを呟く。ジェクトは思わず身を乗り出して、アーリィの呟く言葉に耳を傾けた。
「そう曖昧はわからない理解出来ないだから自分の中のこの感情の正体はなんだかわからないだってこんなもの自分は知らない自分には必要無いもの知らない知らない知らない必要無いでも自分はこの正体を知りたいけど知りたくない知ってはいけない知りたいけどそれはいけない事なぜだってマスターが……」
「……な、に……?」
蒼白の顔色のまま、譫言のように何かを呟くアーリィ。ここではない何処かを見つめる彼の瞳にぞっとするものを感じ、ジェクトはいっそう恐くなってアーリィの体を揺さぶった。
「アーリィっ! しっかりして、どうしたのっ!?」
「――ッ!?」
やがてジェクトが何度か呼び掛けるとアーリィは一瞬大きく体を震わせる。そして宙をさ迷っていた紅い瞳は、泣きそうに怯えるジェクトの姿をゆっくりと捉らえた。
「……ジェクト?」
どこか不思議そうに自分を見つめるアーリィの姿に、どうやらいつもの彼に戻った事を悟り、ジェクトは安堵の溜息をついてへなへなと地面にへたり込んだ。
「アーリィ……よかったぁ……大丈夫?」
「……何が?」
「え……?」
ジェクトの問いの意味がわかってないよいで、アーリィは困惑した表情を少年へ返す。一方ジェクトはもアーリィの反応の意味がわからず、まだ少し恐怖した表情でアーリィにこう声をかけた。
「アーリィ、今……変だったよ?」
「変? ……あぁ、立ちくらみの事だな」
ジェクトの不安に揺れる質問に対して、アーリィは落とした布袋を拾い上げながら立ち上がって答えた。
「え? 立ちくらみ?」
「あぁ、たまにあるから……でも、体調が悪い訳じゃないから平気だ。いちいち心配しなくてもいい」
アーリィはそう言ってジェクトに手を差し延べる。その手を取って立ち上がりながらも、しかしジェクトは何か納得出来なかった。
「……違うよアーリィ。今のは立ちくらみなんかじゃ……そんなんじゃないよ」
「……何を言ってるんだ? なぜお前が違うと言えるんだ」
本当に不思議そうに目を丸くするアーリィの姿に、ジェクトは「もしかして」と小さく呟く。
「覚えてないの?」
「?」
先程の異常なアーリィの様子を、しかしどうやら当の本人は全く覚えていないらしい。それに気付いてジェクトは引き攣った笑みを作って小さく首を横に振った。
「な、何でもないや。ごめんね、僕の勘違いだったよ」
何だかよくわからないけど、しかし幼いながらに隠したほうがいいのかも知れないと判断したジェクトは、そう早口に答えてアーリィを見つめた。
「……ねぇアーリィ。その……どこか体が悪いなら、ちゃんと一回診てもらったほうがいいよ」
「別に……」
アーリィは「悪くない」と言いかけて、しかしひどく心配そうなジェクトの視線に気付く。
「……その時はマスターに頼む。お前が心配する事じゃない」
言いかけた言葉を変えて、やがてアーリィは繋いだジェクトの右手を強く握った。
「そんなことより、俺の用は済んだ。次はお前に付き合ってやる。行きたい所を言え」
「あ……う、うん……」
繋がれた右手に視線を向けて、ジェクトは戸惑いつつ頷く。
「えっと……じゃあ……」
繋がれたアーリィの左手、その体温の低さに驚きつつ、ジェクトはアーリィの問いに首を傾げて考えた。
◆◇◆◇◆◇
「……」
気分が優れない。
体調が悪い訳では無い。原因はわかってる。
ただ、これは心の問題だ。
「……はぁ……何だかなぁ……」
とぼとぼと重い足どりで溜息を吐きながら、マヤは宿屋への帰路を辿っていた。
彼女は今まで何度と繰り返してきた大きな溜息を再び吐き、そして何と無く頭上高い空を見上げる。
「……まだ帰るには早いよね。でも……」
そんな独り言を呟きつつ、彼女はしぶしぶといった様子で歩みを進める。
何軒か様々な店をまわったり、路上でパンドラ関係の情報を聞いたりもしたが、しかし大きな都という期待に反して、これといってめぼしい情報は手に入らなかった。




