あなたと手を繋ぎ、そして 3
予想外のローズの返答と様子に、マヤは虚をつかれたような顔で彼を見つめた。しかし直ぐに「そっか」と、掠れそうな小さな声で頷く。
何故か『どうして言えないの?』とは問えなかった。
それはひどく疲れたようなローズの声と、そしていつも優しく何でも答えてくれる彼が、こんなにもはっきりと答える事を拒んだからだろう。だから先程の問いはしてはいけないものだったと理解し、『どうして』とは言えなくなっていた。
そしてローズが言葉と態度でこんなにもはっきり拒む姿に、マヤは先程質問してしまった事を心から後悔した。
心から申し訳なさそうに、同時に何故か自分を気遣うような目で顔を覗き込んでくるローズ。そんな彼の姿に、ますますマヤの中で後悔の念が大きくなっていった。その想いはどこか罪悪感にも似た感情でで。
マヤは自分を見遣るローズに、小さく微笑みを向けた。
「ごめん……いいんだ。言いたくないなら別に無理に聞こうとは思わないし」
「本当に……すまない」
視線を落として呟くローズに対してマヤは声の音量を上げて、「だからーいいってばぁ! んもー謝んないでよぉ!」と、いつもどおりを装うように元気な声でローズにそう言葉を返した。
だが、その言葉を返した瞬間、何故か彼女は胸が痛くなるのを感じる。
心から申し訳なさそうな表情で立ち尽くすローズを見ていると、彼女の心は言いようのない痛みを訴え、思わずマヤは反射的に胸の辺りを両手で押さえた。
一瞬、僅かにマヤの笑顔が引き攣った。
物理的な痛みは我慢できても、慣れない精神的な苦痛が容赦なくマヤの心を襲う。
何故か理由はわからないが、しかし心は確実に痛みをマヤへと訴えた。
マヤは葛藤する痛みをローズに気付かれないよう、さらに明るい声で早口に続ける。
「アタシこそ変なことで呼び止めてごめんね! そろそろユーリが起きるかもしれないし、やっぱりさっさと部屋に戻ろう!」
「……あぁ」
明るく笑うマヤの姿に、ローズも少しぎこちなくはあるが笑みを浮かべて頷いた。
「うんうん。じゃあ行こう!」
まだ、胸の痛みは治まらない。
「そうだな……戻ろう」
まだ、彼の表情はぎこちない。
それでも……と、マヤは薄暗い闇夜の中一歩を踏み出す。
(……今はただ、互いに笑って何も無かったかのように演じ合うしかない)
ただ純粋に疑問に思った事、その一言が何故かローズの心を大きく揺さぶってしまった。
あの一言は彼にとっておそらく、言ってはいけない言葉だったのかもしれない。しかしマヤがいくら後悔しても、もう言ってしまったのだから遅いのだ。
先程のやりとりで、二人の間には明らかに溝が生まれていた。
何事もないよう二人は振る舞うも、しかし一緒に歩くだけでも、なにか互いに遠慮しあうような違和感を二人は感じていた。
そんなモヤモヤとした形の無い隔たりを感じながらも、しかし今の二人にはそれをどうにかする手立てなど無い。解決する方法を、今の二人は知らなかった。
だから唯一、二人に出来ることは何事もなかったかのように、表面上だけでも振る舞う事だけ。
たとえ根本的な解決にはならなくても、少なくとも二人きりの今だけは気まずい雰囲気になる事を恐れ、二人は自分の心を偽った。
そのまま二人は、相手に話し掛ける事を恐れるように、何の会話を交わす事なく真っ直ぐに宿へと戻って行く。途中、ほんの少しマヤの後方を歩いていたローズが小さく「すまない」と呟いた。しかしマヤは、その声を聞きつつも聞こえないふりをした。
十六夜の月だけが何事もなく、変わらぬ銀色の光を地上へと降り注いでいた。
◆◇◆◇◆◇
宿から少し離れた場所、町のほぼ中央に小さな小川が流れている。そこに架かる同じく小さな橋の上で、アーリィとジェクトの二人は、マヤたちと同じ白銀の月を眺めていた。
橋に寄り掛かるようにして、無言で月明かりを浴びるアーリィ。
そして彼の隣ではジェクトが同じように、頭上遥か上の月を見上げていた。
昼間の喧騒とは全く違い、川のせせらぐ音しか聞こえない静かな橋の上。二人はそこで先程から、特に会話もなく並んで月を眺めていた。
何も考えずにずっと月を眺めていたアーリィは、ふと何かに気付いたように、突如月から視線を外した。そして何となく視線を落として、自分の隣で大人しく月を見ているジェクトを見遣る。
「……?」
ずっと黙って月を見ていたジェクトも、アーリィのどこか訝しげな視線に気付いて、視線を彼へと合わせた。そして小さく首を傾げる。
「……お前、何でさっきから俺といるんだ?」
首を傾げるジェクトに、アーリィはたった今抱いた疑問を問い掛けた。今まで数十分も一緒にいたのに彼は、本当に今その疑問を抱いたのだった。一方今更それを問われるとは思っていなかったジェクトは、少しだけびっくりしたように目を丸くした。しかし直ぐに彼は、アーリィの問いに言葉を返す。
「……邪魔?」
ジェクトは真顔でじっとアーリィを見つめながら、そう答える。
アーリィは数秒考え込み、やがて彼にこう返事をした。
「別に邪魔じゃない。ただ俺は、何でここにいるのか聞いてるんだ」
ジェクトの答えは自分の問いの答えになっていないと判断し、彼は少々不機嫌そうにそう言う。
アーリィのその言葉に、ジェクトはほんの少し困ったような表情でアーリィを見上げる。しかし彼は真剣な表情のアーリィを見て、やがて彼の望む答えを返そうと考え込んだ。
「えっと……一緒にいたかったから。……アーリィさんと」
「?」
ジェクトの答えを聞いた瞬間、アーリィはまるで異国の言葉を耳にしたかのような顔をした。
眉をひそめながらアーリィは頭の中で、先程のジェクトの答えを反復して考える。
「……?」
しかしやはり意味がわからず、アーリィは首を傾げて思わず呟いた。
「それはどういう意味だ?」
「え……どうって、そのままの意味だよ?」
「……そのまま?」
やっと二人の間に発生した会話は、しかし会話らしい会話とはならなかった。
ジェクトの言葉の意味をしばらく考えて悩んだアーリィだったが、しかし一向に答えは出ない。やがて彼は面倒臭くなったのか、考えることを放棄して再度月見を始めたのだった。
再び辺りは静寂に包まれる。
ジェクトもその後しばらくは、またも大人しくアーリィの隣で月を見上げていたが、しかし五分ほどそんな沈黙が続くと、急に彼はそわそわとし始めた。ジェクトは意味もなく視線を落ち着きなくさ迷わせる。アーリィの方を遠慮がちに見上げては、また視線を月に戻す……という行動を数回程、彼は繰り返した。しかし、やがて意を決したように、ジェクトははっきりとアーリィを見上げて口を開く。
「ねぇ、アーリィさん」
名前を呼ばれて、アーリィは無表情に月から目を離した。そのまま彼は、ジェクトを見遣る。
「"さん"はいらない。アーリィでいい」
「あ……うん。……アー……リィ」
彼はアーリィに言われた通りにするも、呼び捨てする事になれていないようだった。ぎこちなく「アーリィ」と呼ぶ彼の声は、少し恥ずかしそうで呟くようなものだった。だが全く気にしないアーリィは
「何だ?」と、短く続きを促した。
「えっと……ね、うんと……」
「……言いたい事があるなら、はっきりと言え」
どこか言いずらそうに口ごもるジェクト。そんな彼の様子にアーリィは無表情のままそう言った。
決して苛立ったような口調ではないのだが、なんの感情も篭っていない一言が逆に厳しく感じ、ジェクトは慌てて「ごめんなさい」と呟いて言葉を紡いだ。
「あのね、僕アーリィに聞きたいことあるんだけど……」
「だから何だ?」
「んとね、えと……なんでアーリィは、あんな不思議な力が使えるの?」
「……ふしぎ? 魔法の事か?」
「? ……えっと、うん。その"まほう"ってやつ」
ジェクトはアーリィが自分の前で二度ほど見せた『不思議な力』がずっと気になっていたらしく、控えめながらも好奇心感じられる瞳をアーリィに向けて問い掛けていた。
「……」
少し意外な問いに、アーリィはジェクトを見つめたまま考えた。
『魔法』については、彼はローズやユーリにもかつて何度か問われていた。しかし一度として真面目に受け答えした記憶は無い。別に彼にとってそれは、永久に隠し通すような秘密というわけではないが、だが答える義務も必要も無いともアーリィは考えていたからだ。




