この世界で生きるということは 1
忘れたい。
けれども忘れたくない。
忘れられない。
忌まわしい、呪われた記憶。
『……父さん……母さんっ!』
『……憎いか、小僧』
『ねぇ……起きてよっ! ……嫌だよ……ねぇっ!』
『両親を殺した私が、憎いだろう?』
『……』
『……いい瞳だ。そうだ、その憎悪を忘れるな』
『……許さない……殺してやる』
『殺す? そうだな……私を殺したかったら、強くなることだ』
『……ゆるさない……絶対に……』
『今の貴様には到底私になど敵わぬ。敵討ちをしたいのならば、強くなれ。……人を躊躇い無く、殺せるほどにな』
『……ころす』
『そして……"禁断"を求めろ』
『殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス……』
『"禁断"が、やがて私とお前を引き合わすだろう』
『……シネ』
『忘れるな、小僧。憎悪と憎しみ、復讐……そして"禁断"がお前の心を癒して救うのだ』
『……死ねっ!』
……この心は、今だ悪夢に囚われ続ける。
悪夢から覚めるには"禁断"しかないのなら、俺は世界に背いてでも、神に逆らっても"禁断"を求めるだろう。
そこに、救いが有ると信じて。
◇◆◇◆◇◆
ボーダ大陸・アンジェラ王国
ロゼリット平野
アンジェラ王国の王都へ繋がるロゼリット平野。
王都へ続く道は三本あるが、その中で最も大きく木々も生い茂り、緑豊かでここはのどかな平野だ。魔物の出現率も低く、アンジェラ王都へ向かう商人や旅人の多くはこの平野の道を好んで利用している。
勿論ローズたちも例外なく、この安全度の高い平野を王都へ向かって歩いていた。
「う゛ぉー……腹痛ぇー。ムリ、歩けねぇよ……」
「……うっとおしいし、うるさいわねぇ。歩かなきゃ王都に着かないのよ? 黙って歩きなさいよ」
ロゼリット平野の一本道を、のんびりと歩くローズたち。しかしユーリは一人真っ青な顔をして、ふらふらと覚束ない足どりで皆の最後尾を歩く。額は汗だくだ。そんな彼を、マヤは面倒臭そうな顔で振り返りながら「ホラ、早く。遅すぎて迷惑」と、鬼のような口調で急かす。
「だぁーっ! 腹痛ぇっつってんだろ! この悪魔! 鬼っ!」
ユーリは半泣きで、お腹を押さえながらそう彼女に訴えた。そしてマヤが心底興味なさそうな冷めた眼差しでユーリを見遣る。
「……腹痛だぁ~?」
「昨日の夜に見つけた、あの怪しい木の実にあたったのではないか?」
「あー……アレかぁ」
ローズがユーリの顔色を心配しながら、冷静に分析する。彼の意見にマヤが「なるほど」と納得して頷いた。
「昨日アーリィが見つけてきた、不気味な紫の斑模様木の実ね……」
マヤがそう言いながらアーリィを見遣る。すると彼は相変わらずの自由さで一人、空を飛ぶ白い蝶を珍しそうに目で追っていた。
アーリィが昨日の野宿の晩に、怪し過ぎる胡桃サイズの木の実を何処からか見つけてきた。そして夕食の準備をしていたマヤと、彼女を手伝っていたローズは、その奇怪な木の実の始末に小一時間ほど悩んだのだ。結果捨てたらアーリィが傷つくだろうと思い、マヤの「ユーリの分の夕食にだけ混ぜちゃおう!」の一言で、彼の夕食のスープだけ不気味な色合いの木の実入りとなったのだ。ユーリの腹痛の原因は、考えるまでもなくそれが原因だろう。
「あの怪しげな木の実、ユーリのスープにだけ入れたからかな? ……やっぱりそうして正解だったわ~」
「なっ!? あ……あの怪しい木の実、俺のにしか入ってなかったのかよっ!」
「うん、ごめんね」
反省皆無な笑顔でマヤは両手を合わせる。だがユーリはもう怒る元気も体力もないようで、ただ泣きそうな顔でうなだれていた。
アーリィはまだ蝶が気になっているようで、ロッドを振り回して蝶を捕まえようとしている。彼がこっちの会話を聞いてないことを確認して、マヤは「いいじゃん。アレ、アーリィがせっかく見つけてきたのよ? アーリィの努力、無駄にしたくないでしょー?」と、こそっとユーリに言った。
「そ、それはそうかもしんねぇけど……何で俺のだけに入れるんだよ」
「えー……だってアタシ食べたくないもん。危なそうだったしー。あんたなら平気かなと思って。ローズだって止めなかったし」
しれっと言い切るマヤに、ユーリはこの女には何を言っても無駄だと悟り、ローズを恨めしそうに見た。
「ローズぅ……何であの女の横暴を止めねぇんだよぉー」
「イヤ、すまん。俺もお前なら、何となく食べても平気かと思ってな」
「おい……」
全く根拠のないことを口にするローズに、なんだかユーリはどっと疲れるのを感じた。しかし彼は本気でそう信じていたようで、腹痛をおこしたユーリにひどくすまなそうな顔をしている。こんな顔されては、さすがにユーリも文句を言えなくなる。彼の隣に立つマヤは、笑って全く反省していなかったが。
「とりあえず王都まで後少しだし……歩けるか?」
「無理。ムリムリムリムリ」
ついにしゃがみこんで、ユーリはぶんぶんと首を横に振った。
「もー歩けねぇ……死ぬぅ……」
「うぜぇ……」
内心を隠す事なく口にするマヤは、やがて大きな溜息をついて一人蝶を追い掛ける自由人・アーリィを呼んだ。
「アーリィ、ちょっときてぇー」
「……なんですか、マスター」
ロッドをブン回して蝶を捕まえようとしていた彼は、マヤに呼ばれてそれを中断する。どうでもいいがアーリィはロッドをブン回してどうやって蝶を捕まえようとしていたのかと、ローズは一人真剣にそれを悩んだ。
「アーリィ、ちょっとこの馬鹿に何か一言言ってやって」
アーリィを呼んだマヤは、彼の耳元でそう小さく囁く。彼女の示す馬鹿とは、勿論ユーリだ。
「あぁーもう超腹痛ぇー……」
唸るユーリを冷たい目で見下ろすマヤの視線の意味を理解して、アーリィは頷いた。彼の瞳もまた、零下の瞳へと変わる。そして彼はおもむろに、しゃがみ込むユーリへと近づいた。
そうして、アーリィは静かに彼へと一言。
「……いいから歩けよ」
「はいっ! 喜んで歩かせていただきますっ!」
辛辣にアーリィが吐き捨てるとユーリはスッと立ち上がり、青い顔のまま姿勢よく歩き出した。
「……」
冷や汗だらだらで、しかし無理な笑顔を浮かべながら歩くユーリと、『バカ、歩きましたよ』な視線でマヤへと振り返るアーリィの二人を、ローズはなんともいえない表情で見つめる。
さすがにさっきの一言はユーリが哀れにも思ったが、しかしもう歩き出せばなんでもいいか……と、しばらくして色々とどうでもよくなったローズは、マヤたちに続いて再び王都へと歩き出した。
◇◆◇◆◇◆
アンジェラ王国
―――王都・ヴェロニカ
アンジェラ王国、その中心に存在する王都ヴェロニカは、やはり国の中心とあって多くの人々で溢れていた。茶色を基調とした、土壁と煉瓦で出来た建物。その間を行き交うヒューマンや、少数民族である褐色の肌色をした砂漠の民、鋭い牙を口元から覗かせる亜人種の者……
「……やっぱり王都って賑やかね」
珍しい色の、鮮やかな織物などを売る露店を覗きながら、マヤが感嘆の溜息と共に呟いた。
「そうだな……ヴェロニカは王都でもあるが、このアンジェラの北と南を繋ぐ中心でもある。そのために、貿易も盛んらしい」
「へー」
ローズの説明に、露店の品物を見つめたままマヤは頷く。因みに彼女の後方ではぼんやりと人の波を眺めるアーリィ、そしてほぼ気合いで立っているユーリがいた。
「あ、このクローク可愛い! おじさん、これちょうだい!」
「ん? マヤ?」
ローズの目の前でマヤは、覗いていた露店の品物を一つ手にとる。
それは白いレース編みに、所々に黒や灰色の糸でアネモネの花が刺繍されている大きなクローク。見るからに高級そうな一品だと、隣で見ていたローズにもわかった。
「それはお嬢さん、二十万ジュレだよ。いい品だろ? 南のアサド大陸の品さ」
「にっ……!?」
露店の店主の言葉に、ローズは一瞬言葉を失う。二十万ジュレもするクロークとは一体何なのか。しかしマヤは平然とした顔で、驚くローズに言った。
「大丈夫よ、ローズ。ちゃんとアタシのお小遣いで買うから。……ハイ」
そうローズに笑いながら言ったマヤは、懐から自分用の白い資金袋を取り出して、露店の主に何枚もの硬貨を支払った。
「まいどありー」
ニコニコと笑う店主に、マヤも品物を片手に笑顔で手を振る。ローズはそんな彼女を不思議そうな眼差しで見つめた。
「それはどうするのだ?」
やがて露天から少し離れると、買ったばかりのクロークを見ながらローズがそうマヤへ問う。その質問に、マヤは意味ありげに笑ってこう答えた。
「こうするの……アーリィ!」
マヤは後ろを振り返ると、ユーリと共に後ろを並んで歩いていたアーリィを呼ぶ。彼は即座に「はい」と返事をして彼女へと近づいた。マヤはそんなアーリィに、先程買ったクロークを頭からすっぽりと被せる。
「ほーら可愛いー!」
「か、わい、いぃー……」
マヤがにっこりと微笑みながらそう言うと、アーリィの隣でふらふらなユーリが辛そうながら賛同していた。まだお腹を押さえて全身からイヤな汗を流しているにも関わらず、彼は妙な根性で頑張っているようだった。
一方でローズとアーリィは、彼女の行動の意味がわからずにただひたすらに首を捻っている。するとそんなローズに説明するように、マヤが小さく彼へ耳打ちをした。
「……アーリィの容姿、こういう多く人が集まる場所じゃトラブルになりやすいから。だから、ね」
マヤのその説明を聞き、ローズは「なるほど」と頷く。
アーリィの顔を隠すように頭から被された白いクロークには、そういう意味があったのかとローズは理解した。アーリィの容姿が"聖女アリア"にそっくりなことは、マヤが言うように人の多く集まる都などでは変に目立ったりするために、最悪トラブルの元になる可能性がある。しかもここアンジェラ王国は信仰する宗教が特に無いからなのか、人々の多くは"聖女"を信仰の対象としていると聞いた。ならば余計に"聖女"に間違えられてもおかしくないアーリィの容姿は、余計な面倒に巻き込まれないようにするためにはなるべく隠しておいたほうがいいのだろう。
「……変に目立ったり、熱狂的な"聖女信者"に見つかったらトラブルになって大変だからか」
「そーいうこと」
小声でマヤへとローズは言葉を返す。それにマヤは静かに頷いた。




