語り合う夜 6
「そんなつまらん話を俺にしてどうする」
一気に酒を飲み干したマギの酒杯が空になる。ジューザスは直ぐに彼の酒杯に酒を注ぎ、酒杯を透明なアルコールで満たしながら「何と無くね」と呟いた。それを聞き、ジューザスはまた少し不機嫌そうな表情を浮かべる。
「ジューザス、俺は曖昧な言葉が嫌いだ」
「知っているよ、ごめん。ただね、彼女のその義理の弟さんもゲシュだったんだよ」
「……」
マギが少し話に興味を持ち、彼はジューザスが注いだ酒を無言で煽る。
「彼女の弟さんは彼女が生まれた故郷では、はじめ人間の子供の孤児として孤児院で育ったんだ。だけど彼がゲシュだということが途中で発覚し、孤児院から彼は不条理に追い出されることとなってね……行く場所がなかったその彼を、ゲシュに偏見はなかった彼女の一家が新たな家族として受け入れたそうだよ」
あまり他人のことに興味がなかったマギは、ジューザスに誘われてヴァイゼスへと入った今も、他のメンバーのことを詳しくは知らない。興味がなかった為に自分から彼らのことを、これといって詳しく聞いたことはなかったのだ。しかしいざ彼らの事情に耳を傾けてみると、今ジューザスが中心となって動いているこの"ヴァイゼス"というところがどんな場所なのか、そういうものがわかってきたりして少し興味深い。
「あの女もゲシュ絡みでここにいるのか」
「そうだね。ヴァイゼスの最終的な目的はゲシュの救済……彼女もそれを目的として、このヴァイゼスに入ったんだ」
「フンッ……」
マギは黙って酒杯を煽る。ジューザスは彼女の話を続けるかどうか迷った末、簡単にだが先の話の続きを語った。
「さっきも言ったが、弟さんは体が弱くてね。ある日重い病気を患ってしまったんだけども、村の医者は彼を"ゲシュだから"という理由だけで診てはくれなかったんだ。彼女の家族は仕方なく大きな街の病院へと弟さんを連れていったんだけれども、そこでもゲシュは診れないと断られて……それでも彼女の家族は諦めなかったんだ。せめて薬だけでも手に入れようと、彼女の両親は家に彼女とその弟さんを置いて薬を求めて各地を旅したそうだよ」
ジューザスの話はある意味ではこの世界ではよくある話だった。ゲシュを助けようとする人間は少ないが、しかしゲシュが差別を受けるのはこの世界では必然なこと。だからマギには、彼の語るこの話の結末が容易に想像出来てしまった。そしてそれはやはり、彼が予想したとおりの結末を迎える。
「ヒューマン用の薬の一部はゲシュには効かないよね。だからそういう薬はゲシュ用の薬が裏で製造されているけど、こういう薬は表立って販売されないから入手がとても難しいし、作れる者が少ないから数が出回らずとても高価になる。弟さんの病気を治す薬も、このゲシュ用のものを手に入れないといけなかったらしくてね」
「結局手に入れられなかったわけか。……あるいは手遅れになった」
「うん……結論を言うとね」
少年は助からなかった。両親の帰りを待つエレスティンに見守られ、彼は帰らぬ人となったのだ。
「……それもよくある話だ」
抑揚無い声でそういうマギの言葉に、ジューザスは「この世界ではね」と付け足す。
「でもゲシュだって生きているんだ。理不尽な死を押し付けられたくはない。……エレスティンは弟の死からゲシュが差別されるこの世界に疑問を感じるようになり、そしてそれを変えるためにヴァイゼスに入ったんだ」
「なるほどな。だが俺には心底どうでもいい話だな」
マギのその言葉にジューザスは苦笑しながらも、「でもどうでもいいと言いながらも、結局最後まで聞いたね」と言う。その言葉にマギはあからさまに不機嫌になり舌打ちをした。
「貴様が勝手に最後まで喋ったんだ」
「はは……いやね、君とエレって顔を合わせる度に喧嘩してるからさ。だから少しは彼女と仲良くなってもらいたいと思って、彼女のことを話してみたんだけど」
ジューザスは酒杯の中で波打ち揺れる酒を見つめながら、「あまり効果はなかったかな?」と呟く。マギは彼のその言葉に、何も言葉を返さなかった。代わりに彼はテーブルの上に強く酒杯を置き、「それよりジューザス」と言って目の前のジューザスを鋭く睨み付けた。
「くだらん昔話やどうでもいい女の話はもういい。そんな話よりも貴様、始めに言っていたことについてをさっさと話せ」
ギロリと鋭い眼差しで睨み付けられ、ジューザスは僅かに肩を竦めて「あぁ、そうするよ」と言う。
久しぶりにマギがたわいもない話に付き合ってくれたのが嬉しくてついついジューザスは本題とは関係ない話を続けたくなったが、しかしこれ以上はマギももう話に付き合う気はないらしい。長い付き合いのために、ここで本題に入らないとマギの機嫌は急降下すると理解しているジューザスは、"余計な話"はここまでにして本題を口にした。
「ウィッチを復活させたあとの話、だったね」
「何なんだ、一体。そもそもお前はあいつを本当に信用しているのか?」
僅かに問い詰める口調となったマギの言葉に、ジューザスは本音の見えない微笑を口元に湛えて「ウィッチは仲間だよ」と答える。マギは納得いかなそうに目を細め、「仲間、か」とどこか皮肉げに呟いた。
「お前はあの小僧を復活させればこの世界に再びマナが満ちると言っていたな。だが具体的にどのような過程でマナが復活するのか、それを俺はまだ聞いていない」
「あぁ。だから今日はそれについてを君に話そうと思ってね」
ジューザスはそう言うと、突然右手をテーブルの上に置き、そして何かを握りしめる動作を行う。次に手が開かれた時、彼のその掌にはどこから現れたのか不明だったが、一枚の黒い羽根が出現していた。
「メルキオールか」
「あぁ」
ジューザスの掌の上で、重力に逆らいふわふわと浮かぶ小さな黒い羽根。それはウィッチと手を組むとした時、ウィッチから"契約の証"として渡されたいわくつきの武器"メルキオール"だった。
何故ジューザスが突然その武器を出現させたのか、それを疑問に思いつつもマギは無言でジューザスを見つめる。
するとジューザスは掌の羽根をもう一度握り直し、その手を開くと同時に漆黒の羽根は黒に光って形を変え、それはメルキオールの武器形態である黒い刃の剣となる。
「ウィッチは私たちにこの"呪われた武器"を契約の証としてくれたね」
黒の剣を静かにテーブルの上に置き、ジューザスはそうマギに言う。マギは軽く鼻を鳴らし、そして彼もまたおもむろに右手を掲げた。すると今度はマギの右手の指先に、突然黒く光る"何か"が現れる。それは徐々に形を成していき、やがてそれは鈍色の肌を持つ小さな人間のようなものへと変化した。
それは背に透明の羽を四枚持つ、古に消えたとされる幻想種族"妖精"。
「貴様のそれと俺のこのカスパール、そしてもう一つあの小僧が持っているらしい悪魔の宿った呪いの武器"バルタザール"。これら武器は魔法の力を無効化する力があり、同時にあの小僧ともう一人の神もどきを消す力を持つ……」
妖精の姿をしたマギの武器カスパールは、マギの手から飛び立ち、彼の頭上を一回転すると忽然と姿を消す。
「あぁ、そのとおりだ」
「で、なんだ? この武器がなんだというのだ?」
マギは僅かに眉根を寄せ、椅子の背もたれに寄り掛かりながら腕を組む。
ジューザスはテーブルの上に置いた剣に指先で軽く触れながら、「マギ、私はね……」と静かな声で口を開いた。
「君と同じことを考えているよ」
「?」
白藍色のジューザスの左目が、不意に細められる。疑問の眼差しを返すマギに、ジューザスは意味深な笑みを向けた。
「私はウィッチとある取引をしたんだよ」
「取引だと……?」
「そう。……いや、これは賭けと言ったほうが正しいかもしれないな」
「……どういう意味だ?」
曖昧な言葉ばかりではっきりとは言わないジューザスに、マギは苛々した様子を見せる。そんなマギに小さく笑い、ジューザスは浅く息を吐きながら自身の長い前髪を軽く掻き上げた。
「私はウィッチと手を組むと決めた時にね、このいわくつきの武器を持つ者にしか出来ない賭けの約束をウィッチとしたんだよ」
普段は長い前髪に隠れて見えないジューザスの右目が、前髪を掻き上げたことであらわになる。
「……なんだ、その約束とは」
訝しげられたマギの瞳が見つめたのは、左右で色の違う男の瞳。
ジューザスは異質な金色の右目と、白藍の左目を糸のように細めて笑った。
「君が望むことだよ、マギ」
◆◇◆◇◆◇
「それでさ、結局どーすんだ?」
四人での話し合いもそろそろお開きにしなくては、明日の旅に影響しそうな時刻となってきた。そのためユーリが大きく伸びをしながら、今回の話の"まとめ"を求める言葉を発する。
「どうするとは?」
ユーリの言葉を受けて、ローズが焼き菓子に手を付けながら聞き返す。ユーリは「いや、だから次はどこに行くんだってこと」と答えた。
「パンドラ探しは一時中断なんだろ? じゃあ次はどこに向かうんだ?」
「あぁ……」
旅の目的が"パンドラ"から"ウィッチ"へと変わった今、その行き先を示す指針もまた変わってしまった。
「そうね……どこへ向かうかがまた問題ね」
マヤは腕を組み、少し難しい顔をして考え始める。
「ふむ……とりあえず今の段階で道しるべとなるものは二つだな」
焼き菓子を二つに割り、ローズはその二つに割れた焼き菓子を片方持ち上げた。
「一つは"ウィッチ"」
次にローズは、もう片方焼き菓子を持ち上げる。
「そしてもう一つは"ヴァイゼス"」
どちらも確かに指針となる大切なワードだが、しかしその二つはそれぞれマヤとユーリにとってはある意味では近付きたくないもの。だけどもその二つに近付かなければ、この先"ウィッチ"を倒すという旅は出来ないし、目標を成し遂げることも出来ない。
「……ウィッチは……アーリィが生まれた場所"忘却の大陸"に今も封印されているはずよ」
考えていたマヤは、ローズの言葉を聞きこう言葉を返す。ほんの少し表情の強張っている彼女に、ローズは「そうか」と気を使うような声で返事を返した。
「ヴァイゼスの奴らは……ボーダ大陸の北辺りに小さな島がある。カナン島っつ言われてんだが、そこに奴らの拠点があるんだ」
ユーリもまた自分の知る"もう一つの指針"についてを、小さな声で呟くように語る。彼も出来ればまだその場所に近付きたくはないのだろう。しかし選択肢が二つしかない以上心の準備がまだだとしても、どちらには近付かなくてはならない。
「どちらかに行ったらウィッチが何を目的としているのかのヒントくらいは掴めるかしら?」
「まぁこのままここで考えるよりは、手掛かりを探しに行ったほうがいい気はするかもな」
そう返事をするローズに、マヤは「そうね」と頷く。
「そのどちらかに向かってウィッチの目的が掴めるかはわからないけど、でも今のままでいるよりは動いた方がいいね」
何よりじっとしている時間はないと、マヤはカップに残ったお茶を飲み干して思った。




