幸せの定義 8
◆◇◆◇◆◇
――……コンコン
「?」
もう日も暮れ始めて、リナが早めに店じまいの準備をしようと思っていた時だった。
店の戸が少し控えめにノックされる。扉を叩いて入る客などいないはずなのにと、リナは首を傾げた。
「……ど、どうぞ?」
とりあえずドアの向こうへ声をかける。すると、ゆっくりと木製のドアが開いた。
「リ、リナさん……どうも……」
「クゥ君っ!」
クゥの突然の訪問に、リナは驚きの声を上げた。
「どうしたの、心配してたのよ? 今日はフィーナに会いに来てくれないから……」
「ご、ごめんなさい……」
リナが慌ててクゥへと駆け寄る。彼は苦笑いしながら小さく頭を下げた。
「そんな事よりどうしたの? 服、泥だらけだし破れてるわ!」
「あ、な、何でもないです! それより、フィーナはまだ起きてますか?」
「フィーナ? えぇ、勿論。今日はあなたが来ないからって、ずっと心配して起きてたわよ」
不思議なクゥの姿恰好にリナは眉をひそめるも、クゥの問い掛けには直ぐに答える。
「あの、上がっても大丈夫ですか?」
「それは勿論構わないけど……」
「あ、それじゃあお邪魔します」
「あ、クゥ君?」
リナが呼び掛けるも、クゥは半ば走るような足どりで二階へと上がっていってしまう。
何故かボロボロのクゥの姿に、リナはひたすら首を傾げて走り去る少年の姿を見つめた。
「フィーナ、お邪魔するよ?」
「!? クゥ君っ!」
控えめなノック音と共に訪れた少年。フィーナはベッドの上で膝を抱えてずっとうずくまっていたが、今日はもう会えないと諦めていたクゥの姿に、勢いよく顔を上げた。
「クゥ君っ! よかった、もうっ……もう来てくれないかと思った!」
フィーナは泣きそうな顔で立ち上がり、クゥへと駆け寄り彼に抱き着く。
「ちょっ、フィーナ!? 大袈裟だよ……それに、君まで汚れちゃうよ?」
突然フィーナに抱き着かれ、クゥは少し赤くなりながら困ったように言った。しかしフィーナはクゥの胸に顔を埋めたまま俯き、首を左右に振る。
「だって……私、何だかもうクゥ君が二度と私に、会いに来てくれなくなるんじゃないかって……凄い不安だったのよっ!」
勢いよく顔を上げ、クゥを強く睨み付ける彼女。しかしその瞳は微かに涙で潤み、クゥは思わず呟いていた。
「ごめん……」
「それに……そうよ、何でこんなに泥だらけなの? 服だってボロボロ……」
アーリィに怪我は治してもらっていたクゥだったが、しかし服などは着替えずにローズ達と別れてすぐにここへ赴いたのだ。フィーナの顔がさらに心配で泣きそうに歪むのを見て、クゥは慌てた。
「それは……」
何か上手い言い訳を言おうとしが、何も思い付かない。何より自分を下から睨む、フィーナの視線が物凄く痛い。
「ごめん。今日、ちょっと鉱山へ行ってたんだ」
「鉱山っ!?」
クゥのこの告白に、フィーナは大きく目を見開いて叫んだ。思わず大声を上げてしまい、彼女は軽く咳込む。
「だ、大丈夫?」
心配そうにフィーナの背中を摩るクゥだが、ギロリと怖い視線を向けられてしまう。
「ばか! クゥ君のばか!」
「ば、バカ……?」
「ばか、ばかばか! 鉱山なんて危険な場所に、何で行ったのよ!?」
思いもよらず激昂するフィーナに、クゥは呆気にとられ思わず正直に答えてしまった。
「その……シャムロックを探しに」
「シャムロック?」
予想外の彼の言葉に、フィーナは怒りも忘れてキョトンとする。
困ったように頬を指先で掻くクゥは、説明を求める彼女の瞳に、仕方ない様子で全てを話すことにした。
「……昨日フィーナに話しただろ? 妖精の話」
クゥの言葉に、フィーナは黙って頷く。
「シャムロックの葉……四つ葉でなくてもいいから、シャムロックさえ有れば……。妖精と契約だなんて夢見事じゃなく、その葉で君の病気を治す薬を作ってあげようと思ったんだ」
「……」
「シャムロックの葉は万病に効く薬草でもあるって、昔母さんが言ってたから……」
「……それで、鉱山へ?」
フィーナの呟きに、今度はクゥが無言で頷いた。
じっとクゥを見つめるフィーナの咎めるような視線を、クゥは黙って受けとめる。
暫く二人の間には、空虚な沈黙だけが流れた。
「……やっぱり、バカ」
「……え?」
二人の間に流れていた沈黙を破るフィーナの一言。クゥは間の抜けた声を上げる。
そして気づくと彼女は悔しそうに涙を流していた。
「フィーナ……」
「バカよあなた……そりゃ、私だって元気になって、それでクゥ君と一緒に外とか遊びたいわよ……」
大きな瞳からポロポロと溢れ出す涙。それを手で拭いながら、フィーナは一つ一つゆっくり言葉を紡いだ。クゥを真っ直ぐに見つめながら。
「でも、あなたに何かあったりしたら……それこそ私、もう一生元気になんてなれないのよ!」
「……フィーナ」
「ホント、男の子って勝手ね。どうして、私の一番の願いをわかってくれないの?」
「……一番の、願い…?」
クゥの困り果てた情けない顔を見て、フィーナは涙を完全に拭いながら笑う。
少女の強い笑みに、クゥは思わず見とれた。それは気高い、とても美しい笑顔。
病弱でか弱いフィーナという、クゥの知っている少女はもうここにはいなかった。
変わりに自分の中で何よりも譲れない、強い想いを心に持った少女がいた。
「私は……ずっとクゥ君と一緒にいたいの。それが一番、私の願うこと」
フィーナは気丈な笑みをたたえたまま、呆然とするクゥへ告げた。
「そんなにあなたが考えるほど、面倒なことは願っていないわよ?」
「……そうだね」
もう涙の無いフィーナの表情。微笑む彼女に、クゥは苦笑いを返した。
この少女にはなにもかも、敵わないと思いながら。
「ごめん、フィーナ。俺、軽率すぎたね」
「謝ってばかりよ、クゥ君。もう、いいよ」
ぎゅっ…と、少女は再び少年に抱き着く。今度は彼も優しく、彼女の体を抱きしめた。
「神様も世界も、私にこんな理不尽な運命を与えたわ。この体では他のみんなみたいに元気に外で遊ぶことはできない。でも……私は神様を恨んだりはしない。少なくとも、あなたと出会えたことくらいは感謝してるもの」
「………神様なんて、いるの?」
「さぁ……でも、もうどうでもいいよ」
フィーナの笑い声と小さな呟き。クゥも彼女につられるように笑って、更に強く彼女を抱きしめた。
「俺も君がいれば、どうでもいいかもしれない……」
◆◇◆◇◆◇
ガルガトの街
――宿屋前
次の日、昨日もう一晩宿屋を借りたローズ達は、朝早くから次の場所への出発の準備をする。
そして準備が整うと、早々に宿を後にする事にした。
「……アーリィ、ホントにもう大丈夫なの?」
「はい。心配かけました、マスター」
宿屋の扉の前で、マヤがアーリィへと心配そうな顔で話し掛ける。
一方アーリィはすっかり顔色も回復し、マヤへと大丈夫ということをアピールするために笑顔を返す一晩休んだだけなので、それでもマヤはまだ不安そうに彼の顔を覗き込んで言った。
「無理はもうしないでね? 約束よ」
「……はい。約束……です」
"命令"ではなく"約束"。
その言葉にアーリィは何だかくすぐったい感じを覚えたが、それが何なのか今の彼にはわからなかった。
「大丈~夫っ! 今度アーリィちゃんに何かあっても、この俺様がバッチリ守ってあげ……」
「うるさい」
アーリィの後ろで、二人の会話に入るタイミングを伺っていたユーリ。しかし会話に割り込んだ途端に、一言でアーリィに斬って捨てられた。
「……拒否するの早いよアーリィちゃん」
心底彼に関わりたくなさそうな表情で、アーリィはぐったりするユーリを見る。先ほどまではマヤにかわいい笑顔を返していたのに、今は虫けらを見るかのようにその表情とまなざしは冷たかった。彼のその物凄い二重人格っぷりに、彼らを黙って眺めていたローズが思わず呟いた。
「どうやら元気なようだな」
「……みたいね」
ローズの呟きを聞いていたらしいマヤが、いつの間にか彼の隣で笑っていた。
「お前も、な」
何となくローズはそんなことを言ってみる。するとマヤは一瞬びっくりしたように目を丸くしたが、直ぐにニヤリと意地悪い笑みに変えた。
「あら、アタシはいつでも元気よん」
完全にいつものマヤのようだ。ローズは苦笑いを浮かべて「そうだな」と頷く。
「……」
その直後、ローズはこちらを見つめるアーリィの視線に気づく。彼は怖い眼差しでローズをじっと睨んでいた。
「どうした?」
「……ムカつく」
「?」
アーリィは問い掛けるローズに、ただ一言だけ簡潔に返した。ローズは反応に困り、とりあえず首を傾げる。すると隣でマヤが「やだアーリィ、やきもち?」と、にっこりと楽しそうな笑みを浮かべながら、そんなことをアーリィへと聞いた。しかしアーリィは言葉の意味がわからないらしく、不思議そうな表情で小首を傾げる。そんな彼に苦笑いするマヤはそっとアーリィに近づくと、彼に小さく語りかけた。
「うーん、わかんないか。……でもアーリィ、ムカつくなんて言いながらローズの事も少しだけ、気になってるんじゃなぁい?」
「え?」
「だって、あなたローズのことを身を挺して庇ったじゃない」
マヤは軽いノリで、しかし真剣な眼差しをそこに隠して彼へとそう問う。
アーリィが何故自身の命をかけてまでローズを庇ったのかは疑問であり、そして彼女にとって心配な出来事でもあった。今後もこんなことが起きないように、アーリィに指示を出す立場としては疑問は解決しておきたいのだ。しかし、返ってきたアーリィの返事にマヤの疑問は更に深まる。
「……俺、そんなことをしたんですか?」
「へ?」
心から不思議そうな様子で、アーリィはマヤの言葉に首を傾げていた。
「怪我した訳、覚えてないの?」
「……ぼんやりとしか」
アーリィは僅かに眉をひそめて考え込むも、そう答えて首を横に振った。
「何となく体が動いたような……でも、よくわかりません」
「そ、そっか……」
申し訳なさそうに呟くアーリィに、マヤは「まぁ気にしない方がいいかも」と無理に笑って彼に言った。アーリィも無表情に、そして曖昧に頷く。そんな二人の会話を断片的に聞いていたローズは、二人の話が終わるのを見計らって声をかけた。
「何だ?」
「あ、ううん。こっちの話。気にしないで」
ローズの疑問の表情に、マヤはごまかすような曖昧な笑顔を返す。
アーリィのこの一件はまた今後、ゆっくりと考えなければいけない。けれども今はいいか…と、マヤはとりあえずこの事は保留にする事にした。
「あ、そーいやあのアホくさい魔族は?」
今までヘコんでいたユーリがふと思い出したように顔を上げ、そう言葉を呟く。彼のその疑問を聞き、「そういえば」とローズも首を捻った。昨日マヤの命令でアーリィをこの宿屋まで運んだ後、彼がどうしたのか二人は思い出せない。すると二人の疑問に答えるように、マヤがこう言葉を告げた。
「あの魔族なら夜の間にさっさと帰したわよ。昨日はもう夕方っつーか、人もいない時間だからよかったケド、さすがに朝とかは普通の人に見つかるかもしんないからね~」




