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神化論  作者: ユズリ
妖精寓話
19/528

幸せの定義 3

 ◇◆◇◆◇◆



「……?」


 唐突にマヤは足を止めて、自身の背後を振り返る。そんな彼女の様子に、彼女の前を歩いていたユーリが気づいてこちらも足を止める。そうして振り返った彼のその瞳には、疑問の色が浮かんでいた。


「どうした、マヤ」


「ん……何か今、すっごいイヤな感じがしたんだけど」


 そうユーリの問いに答えるマヤは、眉をひそめて後方の暗闇から目を反らす。ユーリは首をかしげて「そうか?」とマヤに言葉を返した。

 ユーリは何も感じなかったようだが、しかし今確かに感じた不吉な予感に、マヤの表情は険しいままとなる。そうして彼女は数秒後方の闇を見つめ、やがて静かに独り言のような言葉を漏らした。


「……二人共、ホントに何もなければいいんだけど」


 祈りのような言葉は、ただ無意味に闇へと溶けて消える。

 不安と焦燥を振り払うように、マヤはもう一度自分たちが進むべき先へと視線を戻した。



 ◇◆◇◆◇◆




 グール――それは"闇の亡者"の別名を持つ、呪われし魔の側の住人。

 全身火傷のような赤銅色の爛れた肌に、まるで分厚い壁のような巨体。動きこそ遅いが、人に近い形をした両の手には赤黒い染みがついた、まがまがしい形状の大斧が二本存在していた。

 そんなもので斬り付けられたら、人間なんて瞬時に肉塊へと姿を変えられてしまうだろう。

 そんな魔物が、今。


「……グール、か」


 凹凸の無い、おそらくその生き物の頭部から覗く丸い灰色の瞳。

 瞳孔のない死者のように濁った双眸が、ローズたちを確実に捕らえていた。

 最悪の可能性が見事当たり、小さく舌打ちしながらローズは目の前に立ち塞がるグールを睨み付けた。

 クゥは自ら持つ松明の明かりに照らされ、浮かび上がる魔物の姿に、顔色を白く漂白して震えていた。

 しかし視線だけは凍り付いたように動かない。


『ア゛……ァアア……ヴァ……』


 濁ったグールの呻き声が、歯の無い口のような穴から吐き出された。

 まるで別名通りの、地獄の亡者が嘆くような苦痛に満ちた声に、クゥは恐怖が増して松明を落としそうになるゆっくりと前へ向き直る。自分で呟きながらマヤは、しかしその嫌な感じの意味が具体的に自分でもわからない様子で、首を傾げていた。


 そういえば自分の松明は先程このグールから逃げる途中で、落としてしまったことにクゥは今気がついた。


「クゥ……松明をしっかり持っていろ」


「! ……う、うん」


 グールを見据えたままのローズの厳しい声に、今度は落とさないようにとクゥは、松明とついでに剣をしっかりと握り直した。


「……やるぞ、アーリィ!」


「いちいち大声で指示するな! 言われなくても殺る!」


『ヴァ……オォアヴァアア』


 グールの呻き声と共演する二人の掛け声の協調性のなさに、クゥはほんの少しだけ不安になった。

 だがしかし、そんなクゥの不安は直ぐに目の前で始まる戦いに意識を奪われて消える。


『アァ゛……ォァア…!』


 ローズがまず、大剣を引っ提げて駆け出す。グールも緩慢な動きながら、向かって来たローズへと両腕を振り上げ、斧で迎撃しようと行動を始めた。

 ほぼ同時に、クゥのすぐ目の前で立っていたアーリィが、何事かを呟く。


『……IceFreEzeFall』


「?」


 クゥがアーリィを見つめて首を傾げると、甲高い金属音が闇に弾けた。

 驚いてクゥが音のした方を見遣ると、二本の大斧を一本の長大剣で防ぐ勇ましいローズの姿。

 刃幅の広い大剣で、血に錆びたグールの斧を器用にも受け止めている。



『BrEakRueleDgE.』


 微動だにして動かない、斧と剣の衝突。それの均衡を破って、グールが片手の斧をもう一度振り上げかけた時、アーリィの紡いでいた呪文が完成した。

 淡いミスラのマナによる青の発光、そして円形の魔法陣がアーリィの前方に出現する。

 クゥは一体どこに視線を向ければいいのかわからず、唖然とした表情でローズとアーリィを交互に見遣っていた。


「……死にぞこないめ、ちゃんと眠らせてやる」


 アーリィの毒を宿した一言と共に、円陣は霧のように弾ける。魔術発動の気配を察したローズが防御を中断、右側方へと即座に横転。

 タイミングを見計らったかのように、アーリィの凍てつく殺意が無数の氷塊となってグールへと迫った。汚泥のように皮膚の爛れたグールの足元にも、冷気が集まり凍り付く。

 対象を拘束しながら鋭い氷の矢を降らせる、アーリィの得意とする魔術の一つ。敵の動きを止めながら攻撃が出来るので、彼の汎用攻撃となっている。

 狭い場所だと稀に味方を巻き込むが、それ以外はそこそこ有能な魔術だ。そう、ごくたまに近くの仲間を流れ弾で巻き込む以外は。

 アーリィは全くローズのことなど気にせずに、そんな魔術を平気でぶっ放した。

 ローズはさらに2、3回ほど回転して、迫る氷塊の流れ弾を必死に避ける。


 目を丸くして立ち尽くすクゥの目の前で、グールが次々と落下する氷の刃に襲われていった。

 矛先のような鋭さを持った氷は、確実にグールの爛れた肌へと突き刺さっていく。

 だがしかし、分厚い上に溶けたゴムのような弾力のあるグールの肌。突き刺さりはするものの、致命傷とはならずにダメージは軽減されていった。

 肌に突き刺さるだけで内部にまでダメージを与えられず、アーリィは露骨に不愉快そうな表情をした。ローズも魔術がおさまると素早く立ち上がり、状況把握をする。あまりダメージのないグールを確認すると、苦い顔をした。

 グールに属性というものはない。そのため、アーリィの魔術も単純に彼の魔力と魔術の威力が武器となる。しかしこんな狭い中で見境なく大きな魔術を発動させるわけにはいかないと、それぐらいローズにもわかっていた。

 威力と効果の大きな魔術程、比例して周りの被害も大きい。それにマナの濃いというこの場所は、ただでさえ暴走の危険がある。いつもより発動の遅い魔術から、アーリィは精密なマナと魔力の練り込みで魔術の威力を抑えてコントロールしているのが伺えた。

 自分の腕力も似たような破壊力を秘めてはいるが、それでも一点を集中して攻撃すればまだマシか、とローズは考える。彼は再度グールへと剣を向けて走った。

 グールも頭部や背中などに生々しく氷塊を生やしながら、突進を再開した。

 しかし素早さでは、動きが緩慢なグールよりもローズのほうが上だ。彼は大振りに斧を振り上げるグールの懐に飛び込んで、白刃をその胴体へと突き刺した。

 振るうのではなく、隙の少ない突き入れる形の一撃。力任せに大剣をぶっ刺すと、まるで粘土に剣を突っ込んだような手応えをローズは感じた。


 不快なその感触に、ローズは眉をひそめて嫌悪をあらわにする。

 直後に頭上から降ってきた斧を回避するために、即座に彼は大剣を引き抜いて再び横転した。


『ヴァア゛アァ……!』


 苦痛に満ちたグールの呻きが、洞窟に反響する。

 剣を引き抜くと同時に、吐き気がするような腐臭と赤茶色の汚液が深い傷口から勢いよく噴出す。


「くっ……何だこれは!」


 粘土のような肉片と、ひどく粘着質なグールの体液。

 横転から立ち上がったローズの顔や腕、そして武器の剣柄や刃はそれらグールの肉と体液で赤茶色に汚れていた。剣を力任せに引き抜いた時、噴き出したそれらを被ってしまったようだ。

 ぬるりと体液で滑る剣の柄は握りにくく、それ以上に死者の腐臭と腐った肉片がそこら中にこびりついていて不快極まりない。気持ちの悪さにローズは小さく「クソッ」と悪態をつく。直後、今だ呪いの叫びを上げていたグールが再び動きだした。

 即座に反応したローズが、横なぎへ振り払おうと構えたグールの斧の刃先を視界に捉らえる。死を誘う殺戮の刃から逃れようと、ローズは回避の動作をとろうとした。

 だがしかし、グールの体液で汚れた剣の柄が滑り、掴み直したローズに一瞬の遅れと隙が生まれる。

 何も手が無く立ち尽くすアーリィが、そんなローズの動作を目撃した直後、最悪のタイミングでそれは起きた。

 カラン…という乾いた音と共に、突如として洞窟内の視界が狭まる。洞窟上部がまるで照らされていない。真っ暗なこの鉱山内部の現状を把握する唯一の松明光は、ローズやアーリィの上半身下程度しか照らしていなかった。


「!」


 驚いたアーリィが自分の足元へ視線を向けると、そこにはクゥが手にしていたハズの松明が転がっていた。


「あ……あぁ……」


 少年が初めて見る魔物の血肉、そして吐き気をもよおす悪臭。それらにクゥの恐怖心が極限まで達したのだ。固まったクゥの手から、松明が離れていた。

 そしてあれほど大切に彼が持っていた銀の剣も、その松明の隣で紅色を刃に反射させて落ちていた。


 闇に、風を斬る轟音。


「ローズ!」


 殆ど闇と化している視界の先へ、アーリィが叫ぶ。だが返事はなく、代わりに聞こえたのは、視界が半ば奪われた空間に響く甲高い金属音だけだった。


 回避が遅れたローズの腕が閃き、大剣を掲げて一本目の斧を弾き返す。しかし汚液で汚れた地面に足を滑らせ、彼はバランスを崩す。さらにぬるつく剣の柄を握る手が弾いた衝撃で滑り、彼の大剣が大地へと落下する絶望的な音がアーリィの耳に届いた。そんな好機をグールが逃す筈もない。

 地獄の死者は、もう片方の大斧を再び振るう為の動作へと入った。



 ――……ローズを、守りなさい。



「!?」


 次の瞬間、アーリィの紅い瞳が雷鳴に打たれたかのように見開かれる。

 彼の脳内で突然再生される、それは彼に与えられた命令という言葉。

 いつも無機質な瞳が、何かに取り付かれたかのように凄絶な意思の光を宿した。


「……マモ……ル」


 機械的な声音の呟きを掻き消すように、二度目の闇を裂く音が疾走した。



 ◆◇◆◇◆◇



 マヤとユーリは大きな石壁を目の前に、それぞれ困った顔で立ち止まっていた。

 道中手強い敵とも遭遇することなく、ずっとここまで奥へ奥へと突き進んで来たのは二人にとって幸いだろう。だがしかし、大分洞窟を突き進んだ所で突然現れた石造りの壁が、これ以上の進行は不可だということを二人に示していた。


「……どうすんだ? 行き止まりっぽいぜ」


「見りゃわかるわよ。……ちょっと待って、今考えるから」


 困った様子のユーリの呟きに、マヤもまた考える様子で両腕を組んで返答する。

 そうして彼女はしばらく無言となり、立ちふさがる壁をじっと観察し始めた。

 やがてマヤは剣に装飾された宝珠の明かりを近づけて、何やら壁を指で触って調べ始める。ユーリは後ろでそれを眺めながら首を傾げた。


「何してんだ? なぁ、戻るならさっさと戻ろうぜ。もしかしたらローズたちの行った道が当たりだったのかもしれねぇし……」


 両手を頭の後ろに組んだ姿勢で、そうユーリがぼやく。だが彼の声を無視して、マヤは無言のまま一人壁の調査を続けた。


「なぁー無視すんなってぇ。あっちの道が先に続いてるのかもよ……戻るなら早いほうがいいって、絶対」


「……まだ戻るのは早いかもよ、ユーリ」

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