この世界で、僕らは生まれた 16
それを聞き、リリシャの表情が変わる。
彼女は何故か悲壮な面持ちで、無表情を向けるシアンを見つめた。
「……言っておきますがね、さっきも言ったようにわたしはあなたほど優秀な科学者ではない。だからあなたの造った"あいつら"よりも優秀な兵器など生み出せない。だが"上"はそれを許さない……それが悔しいし釈に触るので、ついでだから死ぬだけですよ」
「だったら……だったらあなたも一人で、勝手に死になさいよ……っ!」
「いいじゃないですか。だからついでですよ、ついで」
激昂するリリシャに対し、シアンはついに機嫌よく笑い出す。
一体この男は何を考えているのか……リリシャはシアンを睨みつけたまま、無意識に一歩後ずさった。するとシアンはすぐに笑うのを止めて、打って変わって落ち着いた表情を作り、どこか怯えた様子を見せるリリシャを眺める。
「ところで、死ぬのは止めませんが……一つ聞いていいですか?」
リリシャは返事を返さない。シアンはかまわず、彼女へ言葉を続けた。
「あなたの娘さんは……どうする気ですか?」
「……」
シアンの言う娘とは、彼女の本当の子供である"マアサ"のことだ。
リリシャは一瞬辛そうに表情を変え、目を伏せる。彼女は静かな声で、「知り合いのとこに預けてあるから大丈夫」と答えた。
「……そうですか」
シアンの声のトーンが落ちる。その呟きに宿る彼の感情の意味を理解したリリシャは、小さく笑って白衣のポケットを漁った。
彼女が取り出したのは、幼い黒髪の少女が笑う一枚の写真。
「なんなら最後に見とく? ほら、マアサの写真」
リリシャはシアンへ写真を差し出して、一緒に淋しげな笑顔を彼へ向ける。
シアンは無表情に、「なんでわたしが……」と小声で呟いた。それを聞き、リリシャは淋しげな笑みを苦笑へと変えて息を吐く。
「……だって、マアサはあなたの娘でもあるのよ?」
「……」
リリシャは口元に笑みを湛えたまま、「あなたとの関係はもうだいぶ昔に終わったことだけど、マアサがあなたの娘であることはずっと変わらないわ」と言ってシアンを見つめた。
シアンは黙したまま、しばらくは動かずに壁に背を預けていたが、不意に彼は苦い表情を浮かべて彼女へと近づく。
「……写真など見なくても、先日本人を見たからな……」
リリシャから写真を受け取りながら、シアンはそう独り言のように呟く。するとリリシャは少し笑って、「あ、やっとその気持ち悪い喋り方止めてくれた」と言った。
「あなたのその『わたしは~』とかいう喋り方、すっごい嘘臭くて気持ち悪いから嫌いだったのよ」
感情を隠した眼差しで写真を見つめるシアンに、リリシャは可笑しそうに笑いながらそんな言葉を向ける。
そうして彼女は彼との過去を思い出すように、こうも言葉を続けた。
「昔あんたと結婚してた時はさ、家と外でのその喋り方のギャップに何度も吹き出しそうになったわよ」
「……いつ、どういう喋り方をしていようが俺の勝手だろう」
リリシャの笑い声に、シアンは少し不機嫌そうな表情で写真から視線を上げる。
彼は「大きくなったな」と言いながら、リリシャにマアサの写真を返した。
「……でもさ、なんで普段はあんな気持ち悪い口調でいたの?」
マアサの写真を受け取りながら、リリシャは疑問と好奇心半々といった表情で、シアンへと問う。
シアンは眉を潜めた難しい表情で、「とくに理由はない」と答えた。
「ただ、あのほうが科学者っぽいだろう」
「……それだけ?」
「それだけだ」
「ばっかみたい。バーカ」
「ほっとけ」
死を覚悟した時だというのに、二人は妙に穏やかな気持ちで、軽く言い合う。
やはり"最後"だからなのか。ついに二人は、同時に吹き出して笑った。
「あははははっ! 私、あんたのそういう意味のわからないとこが大っキライだったわ!」
「俺はお前の食事もロクに作れないところが嫌いだった。それなのに妙に威張っていて……あと、家事以外はなんでも俺より上手くやるところもな」
「なにそれ、嫉妬?」
「あぁ」
シアンは押し殺した声で笑うのを止め、目を伏せて「嫉妬していた」と呟く。
どこか悲しげな色を宿した彼の瞳を見て、リリシャも笑うのを止めた。
「お前のその、魔術師としても科学者としても恵まれた才能に嫉妬していたよ。どうして俺はお前よりも下なのか……あぁ、これは嫉妬ではないな」
シアンは額にかかる前髪を掻き上げ、「憎かった、が正しい」と言葉を漏らした。
「お前ほど才能がなかった自分が憎かった。俺にお前ほどの才能があったら、お前に"神"を造るなんて大罪を犯させることもなかった……」
「……止めてよ。最後にそういう言葉、卑怯よ」
どこか独白めいたシアンの台詞にリリシャは俯き、硬質な声音で言葉を返す。
シアンも固い表情で、「そうだな、すまない」と呟いた。
「私はあなたのそういうことも大嫌いだった。いつも私のこと好きなのか嫌いなのか、褒めてるのか苦しめてるのかよくわかんない態度ばかりで……でも、最後にはいつも優しい言葉をなげかけてくる。私はあんたのその部分に騙されて、うっかり結婚しちゃったのよ」
苦々しそうに、だけど愛おしそうにも悲しそうにも見える複雑な表情で、リリシャはそう想いを吐き出す。
シアンは何も言わず、ただ静かに目を伏せた。
「でも……一つだけ。あなたのその黒い髪と目は今も割と好きだから、だからマアサがあなたのその色を受け継いでくれてよかったとは思ってる。顔はあなたに全く似なかったけど」
「マアサの顔が俺に似なくて本当によかったと、今でもそれは思っている。女の子なのに俺に似たら……それは可哀相過ぎる」
顔を上げ、真顔でそう呟くシアンに、リリシャは再び吹き出して笑った。
だがその笑い声はすぐに消え、彼女は切なさの滲んだ微笑で「さて、そろそろお喋りは終わりにしなきゃね」と言う。そうしてリリシャはシアンへ向けて、右手の平を突き出した。
「そんなに一緒に死にたいのなら、死んでもいいわよ。でも、あなたも手伝いなさい」
「……やれやれ」
リリシャの言葉にシアンは小さく息を吐いて、彼女と同じように右手を突き出す。
「あなたと一緒に魔法を使うことになるなんて……」
「昔も、一度もそんなことしなかったからな」
「する気もなかったわよ。でもま、今回は仕方ない……か」
リリシャとシアンは見つめ合い、どちらからともなく笑みを交わしあった。
そして二人は同時に目を閉じ、精神集中へと入る。
「ねぇ……最後に一つ、私からも聞いていい?」
「……なんだ?」
マナとの同調を開始しながらも、リリシャはシアンへと問う声を向ける。シアンも集中状態のまま、返事を返した。
「あなた、あの二人……ウィッチとマヤのことは好きだった?」
二人の高位魔術師の同調に反応し、周りのマナが静かにざわめき出す。
シアンはリリシャの問いに、一言「嫌いだった」と答えた。
「……そう」
「……」
ウィッチとマヤ……元を辿れば二人の存在がリリシャを許されぬ罪悪感に縛り付け、そしてシアンを深い嫉妬の念に駆り立て続けた。だから、大嫌いだった。
だが今は彼女が望むのならば、二人にはこの先も生きてほしいとも思う。
「詠唱、始めましょうか」
「あぁ」
自分の中に渦巻く複雑な感情を振り払うように、シアンはリリシャの合図の声に頷いて唇を動かす。
二人の唇から同時に、古き破壊の言葉が紡がれた。
『I put a heart on him and think that I want to do destruction.』
『I put a heart on her and grant her wish.』
◆◆◆
ごめんね、マアサ。あなたには母親らしいこと、たいしてしてあげられなかった。
でもあなたは私とあいつとのたった一人の子供だから、きっと強く逞しく生きてくれるって信じてる。
身勝手な母親で、ごめんね。ずっと愛してるわ、マアサ。
ウィッチ、マヤ……あなたたち二人には、辛い思いしかさせられなかった。私はあなたたちの"母親"だったのに……ごめんなさい。
あなたたちにはせめて、自分たちが生まれた理由など忘れて自由に生きてほしいと願うわ。
本当にどこまでも身勝手な私だけど、でもそれを願わずにはいられないから。最後くらい私の素直な気持ちを、"神様"にお願いさせて。
私の大切な子供たち。どうかみんな、生きて。
そして衰退に傾きかけたこのリ・ディールの世界を、続く未来へと導いてほしい。破壊ではなく、何かもっと別の方法で。
さよなら。
◆◆◆
「……ママ、泣いてる」
ぽつりと、幼い少女の唇からそんな言葉が漏れた。
「え?」
マヤの唐突な呟きを耳にし、ウィッチは背後を振り返る。彼の後方を歩いていたマヤは、足を止めてもう一度「ママが泣いてる気がする」と呟いた。
「……母さんが?」
「うん。……ねぇウィッチ、本当にママともう一度会えるのかな?」
「……」
少女の青い瞳が、不安を映して揺れる。ウィッチは彼女を安心させるように微笑んで、「大丈夫、会えるよ」と答えた。
「それよりも、歩かなきゃ」
「ウィッチ、ここどこ?」
ウィッチが右手を差し出すと、マヤはそれを掴みながら首を傾げる。
ウィッチの空間転移魔術でやってきたのは、どこか殺風景な肌寒い山道の途中。辺りはまだ暗く、物音は何もない。虫の声も、風の音も、二人の足音と声以外は何も聞こえない。
「……どこぉ?」
ウィッチの手を強く握りしめながら、マヤはやはり不安げに表情を歪める。ウィッチもまだ、空間転移の魔術で詳細に場所を指定して移動が出来るわけじゃないので、正直転送してきたこの場所がどこなのかさっぱりわからない。
ウィッチはマヤ同様少し不安そうな顔をして、「多分、あの研究所からそう離れた場所ではないと思うんだけど……」と答えた。
「ウィッチ……わたし、泣かないよ。泣かない……でも、ちょっと怖いよ」
「マヤ……」
ウィッチは目を伏せるマヤの頭を優しく撫でる。そして涙を堪えて顔を上げる彼女に、ウィッチはやはり笑顔で「大丈夫だよ」と語りかけた。
「もう少し歩いたら、きっと人のいる所にたどり着く。だからマヤ、歩こう?」
「……もう疲れた」
「歩けない?」
「……」
ウィッチの言葉に、マヤは再び頷く。ウィッチは浅く溜息を吐くと、マヤに「じゃあ、僕につかまって?」と言った。
「え? なんで?」
マヤは顔を上げ、ウィッチに疑問の眼差しを向ける。ウィッチは微笑み、彼女の体を抱き寄せた。
「ウィッチ……何するの?」
「転移の魔術は魔力をすごく消費するから、そう何回も使えない。だから……」
ウィッチはマヤの体を抱きしめながら、彼女に「しっかり抱き着いて」と指示する。マヤは困惑しながらも、彼の言うとおりにした。




