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神化論  作者: ユズリ
追憶の咎
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この世界で、僕らは生まれた 6

「まま、つかれたの? ……だいじょおぶ?」


「……ごめんね、かあさん」


 マヤは先程までの元気はどこへやら、しょんぼりとした顔でリリシャの白衣の裾を引っ張る。ウィッチもしゃがみ込み、ほんの少しだけ表情を悲しそうにして、リリシャの顔を覗き込んだ。

 二人のそんな顔を見てしまったら、「疲れた」などと弱音を吐いている場合じゃない――リリシャは力強く床を踏み締め、鼻息荒く立ち上がった。


「ぜんっぜん平気。よゆーよゆー」


「まま、めがねがずれてる」


「白衣もよれてるよ、かあさん」


「お、そうかそうか」


 マヤとウィッチの突っ込みを受けて、リリシャは平然を装いながらも眼鏡の位置を直し、白衣を羽織り直した。

 その時、開け放たれたままだった扉の外から、「リーダー」と女性の呼び声が聞こえた。


「ん?」


 振り返り、廊下に視線を向けたリリシャの目に映ったのは、やはり白衣を羽織った若い女性の姿。


「リーダー、シアンさんが……その、『まだか』とおっしゃってまして」


「チッ、あの男……わかった、すぐ行くからってあの男に伝えておいて」


「はい、わかりました」


 リリシャの指示を受け、女性は足早にどこかへと立ち去っていく。

 女性の姿がなくなると、リリシャは目を伏せて深い溜息を吐いた。すると彼女の足元で、抑揚の無い少年の声が聞こえる。


「……かあさん、じっけん?」


「!」


 ウィッチの問い掛ける声に、リリシャは辛そうに目を伏せたまま、「ええ」とか細い声で頷く。


「今回もね、"一人"でいいの。……ウィッチ、マヤ、片方はここでお留守番、片方は……ママと一緒にきて」


 出来るかぎり笑顔を作り見せ、二人を不安にさせぬよう振る舞うリリシャだが、子供たちは彼女の内心を何となく察しているのだろう。ウィッチは無表情に、マヤは不安そうに大きな瞳を揺らして、リリシャを見上げた。


 本当はこんな幼い子供たちに、"あんなこと"させたくはない。

 だけど仕方ないのだ。こんな言葉、本当は使いたくないのだが、二人が造りだされた理由を思い出せば――仕方ない。

 これを拒否すれば、二人は不要な存在として破棄されてしまう。すなわちそれは、二人の存在をこの世から抹消すること。そうはさせないために、二人の存在理由を維持させるために、"実験"を受けさせなくてはならない。


「っ……」


 やり切れない気持ちを隠しきれず、リリシャは思わず唇を噛み締めた。


「……かあさん、ぼくがいくよ」


「ウィッチ……」


 ウィッチの声に反応してリリシャが彼を見つめると、ウィッチは静かな声でもう一度「ぼくがいく」と言う。


「でも、あなたはこの前も……ううん、ずっとあなたが実験を受けてるんだよ? いいの?」


「いいよ」


「……」


 二人の子供に対しての"実験"が始まった時から、それを今まで受けていたのは全てウィッチだった。その主な理由は、彼はすでにいくつかの魔術が使え、魔力もある程度コントロールすることが可能だから、というもの。それと、ウィッチが自主的に『自分が"じっけん"を受ける』と言うために、彼が今まで全ての実験を受けていた。


「マヤはまだ魔法を使えない。ぼくは使える。……だからぼくがいくよ、かあさん」


 ウィッチは小さな手を伸ばし、リリシャの白衣の裾を掴む。リリシャはしばらく言葉を詰まらせた後、なんとか「わかった」とだけ言って頷いた。


「うぃっち……」


「……大丈夫だよ、マヤ。すぐ戻ってくるから、少し一人で待っていて」


 マヤが不安そうな目でウィッチを見つめる。

 今にも泣き出しそうな彼女に、ウィッチは精一杯の笑顔を見せた。


「泣いちゃだめだよ、マヤ。ぼくはちゃんと、戻ってくるから」


「でもぅ……やだよ、いつもまや、ひとりで待つの。さみしいもん……うぃっちと一緒にいたい」


「わがままはだめだよ、マヤ。……かあさんを困らせちゃいけない」


「でもぅ~……」


 大きな青の目いっぱいに涙を溜めて自分を見つめるマヤに、ウィッチは「ごめんね」と言って彼女の頭をそっと撫でた。


「ん~……すぐかえってきてね。やくそくだからね。……あ、もどったらお家ごっこのつづきやるんだからね!」


「……うん。続き、やろうね」


 マヤは泣くのをなんとか堪え、念を押すように「はやくね!」とウィッチに言う。

 ウィッチはもう一度頷き、そして顔を上げてリリシャを見上げた。


「かあさん、いこう」


「……うん、いこっか」


 ウィッチに促されて、リリシャは上手く笑顔にならない笑顔で、ウィッチの小さな手をとる。


「それじゃあマヤ、またね」


「……すぐ、戻るよ」


 扉が閉まる直前、ウィッチはマヤに向けて小さく手を振る。

 一人部屋に残されたマヤは、自分とリリシャたちの間に隔たった赤の扉が閉まるのを、震える瞳でただじっと見つめることしかできなかった。


「……はやくもどってきて、うぃっち」


 願うのは、そればかり。




 先程来る時に通った廊下を、リリシャはウィッチの手を引きながら戻っていく。

 人気の少ない廊下は、二人の規則的な足音がやけに大きな音となって響いた。


「……ウィッチ、ごめんね」


 部屋を出て互いに沈黙していた二人だったが、不意にリリシャはウィッチに声をかける。

 ウィッチが彼女を見上げると、リリシャは前を向いたまま、「辛くない?」と問うた。


 辛くないわけないとわかっていながら、それを問う自分が情けない。


「実験、辛いでしょう……ごめんね、こんな思いさせて」


 リリシャは歩く足はそのままに、前方に向けたオッドアイを悔しそうに細める。

 ウィッチは苦渋に満ちた彼女の横顔を見つめ、「そんなことないよ」と答えた。


「平気だよ。……痛いのも苦しいのも、もうずっと前に慣れたから」


「ウィッチ……」


 体が痛いのも、心が苦しいのも、全部もう慣れた。それに体の痛みは堪えればいいし、心が苦しいのは心を閉ざしていればいいんだと知ったから、最初の頃に比べたら、今はそんなに辛くない。


「だからかあさん、謝らないで」


「……」


 ウィッチの手が、繋いだリリシャの手を強く握り返す。


「それにね、ぼくはいいんだ。ぼくは平気。堪えられるもの。でもね……"あんなこと"、マヤが受けることになったらって思うと、ぼくはそっちのほうがずっと怖いし、辛い気持ちになるんだ」


 自分が少し我慢すれば、マヤはあんな実験を受けなくてすむ。ならば自分は、進んで実験を受けよう。

 マヤを守れるのなら、痛みも苦しみも、全て堪えられる。マヤが笑っていられるのならば、全然、平気。


 だけどもし、マヤがあんな実験を受けるようなことになったら……そうなったら、自分はなにを仕出かすかわからない。だからすごく、怖い。

 マヤを苦しめるような奴、自分は絶対に許さないから。もしもそんなことをする奴がいたら、自分はきっとそう……そいつを殺してしまうかもしれない。いや、"かもしれない"だなんて可能性論じゃない。自分は絶対、そいつを殺そうとする。


「だから、平気だよ。本当にぼくは平気。かあさん、心配しないで」


 マヤの笑顔を守れるのなら、自分はどんな痛みにも堪えられる。


「……わかった」


「ありがとう、かあさん」


 苦痛に堪えるような表情で頷くリリシャに、ウィッチは苦手な笑顔を向けて礼を述べた。


 広大な敷地面積を誇る研究所内を、二人は足早に進んでいく。

 二人の目の前に灰色の鉄扉が現れ、リリシャは白衣の胸ポケットから銀色のカードを取り出した。


「だからね、かあさん」


 リリシャが銀色のカードを灰色の扉の前で翳すと、数秒の間を置いてから灰色の扉が開かれる。中は長方形の形をした、人が五人も入ったらそれでいっぱいになってしまいそうな、小さな空間が広がっていた。

 中に誰もいないのを確認し、リリシャはウィッチの手を引きながらその中へ乗り込んだ。


「かあさん、お願いだからマヤにじっけんを受けさせないでね」


 自動昇降機と呼ばれる建物内の移動装置に乗った二人は、ほんの僅かに聞こえる機械の駆動音を聞きながら、研究所内を降下していく。


「ぼく、いっぱい魔法をおぼえるよ。もっともっと勉強して、今よりもうまく魔法使えるようになる。だから、マヤは……マヤには楽しい世界だけを見せてあげて」


「……」


 耳鳴りと錯覚してしまいそうな駆動音が唐突に止み、一瞬の浮遊感が二人の体を包む。

 停止した昇降機の扉が開き、リリシャはウィッチの手を握ったまま、一歩を踏み出した。


 昇降機を下りる直前、視界に入れた昇降機の液晶画面には、地下を示す記号が映し出されていた。その隣には、黒い液晶画面に浮かぶ赤い色の数字。


「痛いのや辛いのは、ぼくが受ける。もう、前ほど苦しいとは感じなくなったから。だからお願い。……他はなにも望まないから、マヤがずっと笑っていられるならぼくはそれでいいんだ」


 昇降機を下りた二人の前に、先程とは打って変わった雰囲気の通路が広がる。

 床と壁、一面の黒。照明は少なく、全体的に暗さばかりが目立つ。ただ装飾類がなく、簡素なところは"上"の通路と共通していた。


 通路に人の気配はない。そのせいか、通路の暗い雰囲気も相俟って、通路を進む二人の足音が不気味なほどに大きく響く。音を吸収しない金属に囲まれた無機質な廊下は、二人の足音を反響させて、二人の他にも誰か歩いているんじゃないかという錯覚を起こした。


 ほとんど一本道の黒い通路は、迷うことなく進める。

 ウィッチはリリシャに手を引かれるような形で歩きながらも、もう何度も通ったこの道を頭で覚えていたので、時折現れる分かれ道にも迷いなく、自分の行きべき方向を選んでリリシャと共に進んだ。


 やがて二人の目の前に、またも進行を妨げるかのように大きな扉が現れる。いや、これは扉というよりも檻に似ていた。

 天井から床までけっこうな高さがあるが、その天井と床の隙間を埋めるかのごとく、何十本もの黒い鉄の棒が二人の行く道を塞いでいた。

 子供の手首ほどの太さの棒の表面には、時折薄い白に発光する古代呪語の文字が刻み込まれている。

 リリシャはウィッチの手を離し、彼に「ちょっとだけ、下がって」と告げた。リリシャの指示に従い、ウィッチは一歩二歩と後ずさる。彼が離れたことを確認し、リリシャは柔らかな金色の髪を掻き上げた。


「……ウィッチ、あなたがそれを望むなら、私はマヤに実験させぬよう手配する」


 リリシャは右手を前方に突き出し、自分たちの行く道を阻む鉄の棒の一本に触れた。その瞬間、棒の表面で光っていた文字が、一層強い白の発光を見せる。


「でも、そうしたらあなたは彼女の分まで辛い思いをすることになる。……本当に、いいんだね?」


 リリシャの掌から細い光りの筋が生まれ、それは瞬く間に数を増やす。

 幾条にも絡み合った光りの筋は鉄の棒を巻き込み、さらに複雑に絡む。やがて鉄の棒を浸蝕した光りの筋は、鉄の棒と共に光りの粒となって音もなく消えた。

 そして現れた、さらに奥へと続く黒の通路。


「いいよ」


「わかった。なら私は、あなたの願いを……叶えるわ」


 二人は再び、歩き出した。


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