1-9.監察官リューエル
季節の変わり目を知らせる風が、軍司令所の旗を静かにはためかせていた。
レオンは文書の束を捌いていたが、その手がふと止まる。扉を叩く無機質な音が聞こえたのだ。
「……まさか」
予感は的中した。扉が静かに開かれ、黒の軍服をまとった男が姿を現す。
帝都中央監察局より派遣された、リューエル・イゼルファート監察官。あの冷徹な眼差しが、再びこの地に現れた。
「お久しぶりです、中尉」
「……リューエル監察官。今回は視察ではなく、滞在でしょうか?」
「ええ。短期ではありますが、こちらでの“実地調査”を命じられています。先日の簡易報告では、いささか曖昧な点が見られましたので」
曖昧。レオンはその言葉にわずかに眉を動かした。あの日、リューエルと交わした言葉が頭をよぎる。
『この街には“信仰の病”が巣食っている。』
彼の目に映る世界は、ただ統制と秩序によって区切られている。
リズナのような土地、精霊という存在、そしてそこに寄り添って生きる人々は――きっと、誤差に過ぎないのだろう。
「では、何かお手伝いできることがあれば」
「……その言葉、誠実に受け取りましょう。ただ、私は“客人”ではありませんので、配慮は無用です」
言葉は穏やかだったが、空気はどこまでも張り詰めていた。
リューエルはその場に短く一礼すると、視線を巡らせた。
「この地に来て、変化はありませんか? 例えば、民の様子に目立った動きがあるとか」
「不穏な動きは確認されていません。ただ……祭り以降、空気が変わったのは事実です」
「“芽吹きの祭り”──でしたね。なるほど、文化行事を隠れ蓑にした集会、という可能性も否定できません」
「……彼らにとってはただの“希望”だったのかもしれませんよ」
「希望は、時に反逆に転じます」
リューエルは一歩前へ進み、声の調子を落とした。
「この地では、“信仰”という名の幻想が人々の心を支配している。
だが、それを許せばやがて帝国の根幹が蝕まれる。あなたも――このままでは済まないと、そう思っているのでは?」
レオンは答えなかった。ただ、その視線だけが微かに揺れていた。
やがてリューエルは背を向け、扉の前で足を止めた。
「報告は日々提出をお願いします。私はあなたの行動を監視しているわけではありません。ですが……あなたの“心”の動きは、興味深い観察対象です」
その言葉を残して、彼は部屋を出ていった。
残された空気は重たく、冷たい。
レオンはゆっくりと息を吐いた。
彼の胸の奥に、確かに小さな火が灯り始めていた。
それが何に燃え、何を焦がすのかはまだ分からない。




