72.恩人へのお礼
「でも、私を見守るって、どうやって? アトラス王国とあなたの領地は、だいぶ離れているけれど……。転移魔法を使うにしても、その距離だとかなりの魔力が必要になるわ」
アイリスの素朴な疑問に、ライラは変わらず笑みを浮かべながら答える。
「距離という概念は、私にとってはさほど意味がないものなのよ。自然の水があるところなら、どこへだって行けるから。それに、自然の全てが私に情報を持ってきてくれるの。木々や動物たちが、いつもあなたのことを教えてくれたわ」
『恵みのライラ』は、自然を操る魔法を得意とすると師匠から聞いたことがある。彼女が人族と共存関係を築けているのも、自然の恵みをもたらす力があるからなのだろう。
「すごいわね……流石は四大魔族……」
「うふふ。他に聞きたいことはある?」
ライラにそう聞かれ、アイリスはグランヴィルについての情報を集めることにした。彼に関して、いろいろと気になっていたことがあったのだ。
「グランヴィルが『アトラス王国を滅ぼうとした時、魔族に邪魔された』って言ってたんだけど、それってあなた?」
「いいえ、私じゃないわ。それはオズウェルドね。あの二人、仲が悪いのよ」
「オズが!?」
ライラの言葉に、アイリスは驚いて思わず声を上げた。
オズウェルドとは幼い頃から七年もの間一緒に過ごしてきたが、アイリスは彼から一言もそんな話を聞いたことがなかった。彼も彼で、アイリスやアトラス王国を守ってくれていたのだ。その事実に、胸の奥が温かくなる。
するとライラは、ふと思い出したようにこう言った。
「そういえば、オズウェルドはあなたの師匠だったわね」
「何でも知ってるのね……」
「あなたに関することは大抵ね」
苦笑するアイリスに、ライラは可愛らしくウインクしながらそう言った。すべてを知られていることに若干の恥ずかしさを覚えつつ、アイリスは質問を続けた。
「あと、グランヴィルはどうして私がここにいるってわかったのかしら。それに、『仮面の魔法師』が私であることを知ってたみたいだった」
「ここ最近の事件に絡んでいる魔族が、グランヴィルに教えたのかもしれないわね」
「人間から情報を得たという可能性は?」
「グランヴィルが人間と手を組むことは絶対にないわ。それほどに人族を嫌っているから」
そう答えるライラは、どこか複雑そうな顔をしていた。何かしらの誤解があるとはいえ、家族を人間に殺されたと思っているのであれば、彼が人族に対して憎悪の念を抱くのもやむを得ないだろう。
「でも、グランヴィルに私のことを教えた魔族って一体何者なのかしら……最近の事件に絡んでいる魔族のことも気になるし……」
「私の方でも調べを進めてみるわね。何かわかったら教えるわ」
「……ありがとう、ライラ!」
ライラの言葉に、アイリスは言いようもない嬉しさを感じた。
これまで事件の裏に魔族の存在があることはわかっていたが、どうにも調査の仕様がなかったのだ。四大魔族の協力を得られるなんて、これほど心強いものはない。
それに、ライラと協力関係を築けたということは、魔族との共存にまた一歩近づいたのではないだろうか。そう思うと、早くローレンに伝えたくてたまらなくなった。
そんなことを考えていると、ライラがアイリスの服にべったりと付いた血を見ながら、怒ったように口を開いた。
「それにしても、グランヴィルも容赦ないわね。こんな可愛い女の子を串刺しにするなんて」
「あ! そのことなんだけど!」
ライラの言葉に、アイリスは思い出したように声を上げた。いろいろ新情報がありすぎてすっかり忘れていたが、グランヴィルとの戦闘において理解できないことがあったのだ。
「私が刺された時のことだけど、グランヴィルが剣を抜いた時、何が起きたかわからなかったの。私の防御魔法は破られてなかったし、彼の剣身だって私に届いてなかったわ。ライラ、なにかわかる?」
「ああ、宝剣エンヴィスね? あれは、必中必殺の奥義なのよ。だから、防御魔法を展開してようが何をしてようが、あの技を使われた時点で終わりなの」
「なにそれ……そんなの、防ぎようがないじゃない! どうすればよかったの!?」
アイリスが困り果てたようにライラに詰め寄ると、彼女はなんてこと無いようにこう言ってのけたのだ。
「あら、簡単よ。彼に奥義を使わせる隙を与えなければいいのよ。あの技にはどうしても所定の動作が必要だから、休みなく攻撃を与え続ければ、彼もあの技を出すことはできないわ」
「そんな無茶な……」
全く参考にならないライラの言葉に、アイリスはガクリと肩を落とした。グランヴィルに隙を与えないことができる人物など、他の四大魔族くらいではないだろうか。
アイリスの反応に、ライラはクスクスと微笑んだ後、優しい眼差しをこちらに向けた。
「さて、そろそろ行くわね。お話しできて楽しかったわ、アイリス」
「待って! 命を救ってもらったんだもの、何かお礼をさせて」
今にも帰ろうとするライラを、アイリスはとっさに呼び止めた。四大魔族に対してできる礼など無いかもしれないが、命の恩人に何も返さないわけにもいかない。
「あら、お礼をされるほどのことはしていないけれど……そうね……」
アイリスの言葉にライラは少し考え込むと、とても良いことを思いついたようにニコリと笑った。
「じゃあ、あなたの魔力を頂戴するわ!」
ライラはそう言うと、徐にアイリスに近づき唇を重ねた。アイリスはその瞬間、ズッ、と体中の魔力を吸われる感覚に襲われた。
(あ、やば……)
ほぼ全ての魔力を吸われてしまったアイリスは、座っていることすらできず地面に倒れ込んだ。
対するライラは、満面の笑みを浮かべながらペロリと唇を舐めている。
「エマには絶対にもらえなかったの! 『黒髪緋眼』の魔力はやっぱり別格ね、とても美味しかったわ。ご馳走様!」
「それは……なによりよ……でも、全部持ってかなくても……」
満足そうなライラに、アイリスは苦笑しながらかろうじてそう答えた。
「ふふ。じゃあ本当にもう行くわね。あなたの騎士さんが来てくれたみたいだし。またね、アイリス」
ライラはそう言い残すと、池の中にザブンと飛び込みそのまま消えてしまった。水を通してどこへでも行けるというのは本当らしい。
アイリスはなんとか起き上がろうと試みたが、完全に魔力切れで指先ひとつ動かすことはできなかった。
(これは……しばらく動けなさそうね……)
諦めたアイリスは、ただただ雲ひとつない秋空を眺めるのだった。




