65.アトラス魔法協会
放課後、アイリスはルーイと落ち合うため、約束通り教室で彼が来るのを待っていた。
既に生徒は皆帰った後で、教室にはアイリス一人きりだ。窓際の席に座るアイリスは、窓から見える紅葉した木々の葉をボンヤリと眺めていた。
「おまたせ、お嬢さん」
廊下の方から声がしたので振り向くと、そこには手を振りながら近づいてくるルーイがいた。
彼はアイリスの前の席に後ろ向きに座ると、こちらの顔を覗き込みながら心配そうに言葉をかけてくる。
「なんだかお嬢さん疲れてない? 大丈夫? あんまり仕事がんばりすぎちゃ、倒れちゃうよ?」
「誰のせいだと……」
「え、俺?」
アイリスがじとりとルーイを見ながらつぶやくと、ルーイは実に不思議そうな表情を浮かべていた。
実は昼休み後も、なんとかリザとエディの誤解を解こうとしたのだが、言葉を重ねるほどに二人の誤解を深めていってしまったのだ。結局二人の中では『アイビーとルーカス先輩は誰にも言えない秘密の恋仲』という事になっている。
アイリスはやれやれと言うように軽く溜息をついてから、ルーイに本題に入るよう促した。
「なんでもないわ。調査結果、聞いてもいいかしら?」
「そ? じゃあ早速」
ルーイはそう言うと、人差し指を立てながら調査報告を始めた。
「アトラス王家について調べてみたんだけど、現国王は必死に王位にしがみついてる感じだから、あんまり心配しなくても良さそうだよ」
「そう。良かったわ」
アイリスは、半ば予想通りの答えにホッと胸を撫で下ろした。やはり叔父たちは相変わらずらしい。
しかし、ルーイは『でも』と言葉を続けた。
「どちらかと言えば、気をつけるべきはアトラス魔法協会だね。堕落した現国王にかなりの不満を持ってる」
「なるほど、そっちね……」
ルーイの言葉に、アイリスはヒイラギの紋章を持つその組織のことを思い出していた。
アトラス魔法協会とは、アトラス王国の魔法師たちを束ねる巨大組織である。
彼らは政治にも大きな影響力を持ち、アイリスに『国外に出たら死ぬ呪い』をかけたのもアトラス魔法協会の人間だった。そして、アイリスの結婚を最後まで反対していたのもこの組織である。
それらを考慮すると、協会側が『黒髪緋眼』の国外流出を嫌がっていたのは間違いないだろう。
「もしお嬢さんが本物の『黒髪緋眼』ってバレたら、魔法協会側がお嬢さんを王にすげ替えようと動くかもしれない。力を公にするなら、奴らに対策を打ってからの方がいい」
「わかったわ。ありがとう、ルーイ」
(無駄に力のある組織だけに面倒ね……可能性は低いけど、国同士の争いが起きないとも限らないわ。まあ、その時は私が全力で潰しにかかるけれど)
アイリスが眉根を寄せながらそんな事を考えていると、ルーイが言葉をかけてきた。
「随分と不満顔だね」
「だって……さっさと力のことを公にして、堂々と陛下をお守りしたいんだもの」
ルーイの言葉に、アイリスは口をへの字に曲げながらそう答えた。コネリー伯爵家での襲撃事件で思うように動けなかったことを、アイリスはずっと気にしているのだ。
すると、アイリスの言葉を聞いたルーイが、ニコニコと笑いながら言葉を返してくる。
「ハハッ! それは俺じゃなくて、陛下本人に言ってあげてよ。きっと泣いて喜ぶはずだよ」
「それはないと思うけど……」
普段表情があまり大きく動かないローレンが泣いて喜ぶ様というのは、あまり想像が出来ない。どうせルーイのいつもの軽口だろうと思い、アイリスは彼の言葉を聞き流した。
ルーイからの報告も聞けたのでこのまま帰ろうかとも思ったが、せっかくなのでもう少し彼と話していくことにした。基本的にはアベルの側近として活動しているルーイと話せる機会は、それほど多くない。
そしてアイリスは、前々から気になっていた事をルーイに尋ねてみた。
「ねえ。ルーイと陛下って、いつから知り合いなの?」
以前ローレンからルーイの正体を教えてもらった時に、二人がやけに親しげだったことが気になっていたのだ。主従の関係というより、友人同士のような雰囲気だった。
アイリスの問いに、ルーイは『うーん』と言って腕組みをしながら虚空を見つめている。遠い昔を思い出している様子だ。
「もう、十年くらい前になるかなあ。主がまだ即位する前だったから」
「そんなに前!?」
「ああ。城下町で偶然出会って、意気投合したんだ」
「でも納得ね。道理で友人みたいに仲が良いと思った」
十年来の付き合いなら、二人が友人同士に見えたのも頷ける。しかしルーイは、アイリスの言葉に苦笑しながらこう答えた。
「んーどうだろ。あくまで主従の関係だし、友人とは思われてなさそうだけどね」
「そうかしら?」
「主は家族を失って以来、なんでも腹割って話せる人、いないんじゃないかな。即位してから、全然笑わなくなっちゃったし」
ルーイの言葉に、アイリスは思わず表情を暗くする。
以前ローレンから聞いた、過去の話。彼の孤独。そして、すぐに消えてしまった、大切な繋がり。
それらを思い出し、アイリスは胸が締め付けられたように苦しくなった。
そんな様子のアイリスを見て、ルーイが穏やかな表情で言葉をかけてくる。
「でも、お嬢さんが来てからは、ちょっとずつ笑顔が戻ってきてる気がする」
「ほんとに?」
(そうだったら……嬉しいな)
ルーイの言葉に、アイリスは胸のつかえが少し取れた気がした。
何でも話せる相手といえば、側近のエドモントはどうなのだろうか。幼い頃からローレンに仕えているエドモントは、彼からの信頼も厚いはずだ。アイリスはそう思い、そのままルーイに尋ねてみた。
「でも陛下も、エドモントさんには何でも話せるんじゃない?」
「うーん、絶大な信頼は置いてるけど、あの人にプライベートの話まではしなさそうだしなあ」
ルーイは腕組みをしながら思案顔でそう答えた後、こちらを見遣ってこう言ってきた。
「側近に恋の話とかはできないでしょ?」
「恋……?」
アイリスが怪訝そうな顔で問い返すと、ルーイはいつもの胡散臭い笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「お嬢さんの話だよ」
「なっ……」
ルーイの言葉にアイリスはしばらく固まった後、盛大に呆れた顔をして大きく溜息をつきながら返事をした。
「陛下は別に、私に恋なんかしてないわよ……」
「ええ〜? そんなことないと思うけどなあ?」
(好きとか愛してるとか、一度も言われたことないし……別に言われたいわけじゃないけど)
半ばからかうような笑みを浮かべるルーイを睨みつけながら、アイリスは自分の内からモヤモヤした感情が溢れてくるのを感じていた。自分でもよくわからないそのモヤモヤを溜息とともに吐き出すと、アイリスは『でも』と言って、心からの願いを口にした。
「いつか……陛下が独りじゃなくなると良いな」
「そうだね。でも俺は、主の孤独を埋めるのは、きっとお嬢さんなんじゃないかと思ってるよ」
そうアイリスに言葉をかけたルーイの笑顔は、今まで彼が見せた中で一番優しさに溢れたものだった。




