58.怒りの炎
ルーイは、アイリスとドミニクのやり取りをただ後ろから眺めることしか出来なかった。
杖を構えるドミニクをなんとかして取り押さえたかったが、下手に刺激を与えればドラゴンの子や生徒たちに危険が及ぶ可能性があったからだ。
歯噛みしながら二人の会話を聞いていると、アイリスが完全にキレた瞬間があった。ドミニクに、国王であるローレンを侮辱されたときだ。
すると彼女は静かにドミニクを嘲笑し、そして杖を構え直した。
「あなたは……私がここで潰す」
(怖えぇ……)
アイリスの言葉に、ルーイはひゅっと身の縮む思いがした。この位置ではアイリスの後ろ姿しか見えず、どんな表情をしているかわからないのだが、その声は氷のように冷たいものだった。
(ある意味、氷姫だな……)
そう思った矢先、二人の戦闘が始まった。いや、戦闘とは言えないかもしれない。アイリスの力が圧倒的だったからだ。
「《大地よ、その巨大な岩石を鋭い槍として昇華し、無数の雨を降らせん。ロックスピア》!」
杖を構えたドミニクがそう唱えると、岩で出来た何本もの槍がアイリスに向かって飛び出した。しかし、アイリスは既に無詠唱で防御魔法を展開しており、全ての槍は彼女に当たる前に砕け散った。
どうやらアイリスは、自分だけでなくルーイや檻の周りにも防御魔法をかけてくれたようだった。戦闘の隙に皆を安全な場所に避難させようと思っていたが、その必要は無くなったらしい。ルーイは、勝敗のわかりきったこの戦いを見守ることにした。
「どうしたの? その程度? 天才が聞いて呆れるわね」
「くっ……!!」
アイリスの嘲笑混じりの言葉に、ドミニクは苦々しい表情を浮かべながら次の魔法を唱える。
「《深淵より古の力を呼び覚まし、大地の怒りを集約せよ――――》」
ドミニクが詠唱を唱えるにつれて、奴が構える杖の前に、徐々に巨大な岩が形成されていく。
「《我が手に宿りし魔力を解き放ち、今こそ岩の大砲を打ち放て。ロックキャノン》!!」
ドミニクが詠唱を唱え終わり、まさに巨大な岩がアイリスに向かって発射されようとしたその時――。なんと岩石はその場であえなく崩壊し、無数の小石となってその場に崩れ落ちていったのだ。
その光景に、ドミニクは信じられないという表情でうろたえている。
「なっ……何故だ!? 確かに魔法は発動したはずなのに!」
「発動に時間をかけ過ぎなのよ」
ドミニクの言葉に、アイリスは溜息混じりにそう返した。
ルーイも正確に何が起きたかは把握できなかったが、この様子だと、どうやらアイリスがドミニクの魔法を打ち消したようだった。
すると、ドミニクはすかさず次の魔法を仕掛けようとする。こんなにも実力差があるとは思わなかったのだろう。奴は焦りに顔を引き攣らせながら、冷や汗を流している。
「《古の叡智を喚び起こし、大地の力を呼び覚まし、鉄の巨人を作り上げん。――――》」
この詠唱は、土属性魔法を使わないルーイにも聞き覚えがあった。確かゴーレムを創り出す魔法だ。
こんな天井の低い場所で発動させれば、地下室ごと崩れる可能性だってある。ドミニクはとうとう、なりふり構わずアイリスを潰しにかかろうとしたのだろう。
ドミニクの魔法が発動すればかなり危機的状況になるが、ルーイは全く焦らなかった。恐らくこの魔法は、発動すらさせてもらえない。
するとルーイの予想通り、ドミニクが詠唱を唱え終わっても特に何も起きず、その場にしばしの沈黙が流れた。
そして、その沈黙を破ったのは、目の前の出来事が信じられず絶句していたドミニクだった。奴は顔を歪めながら、焦りを滲ませた声で叫ぶ。
「バカな……なぜ魔法が発動できない……なぜ!?」
「そんな長ったらしい詠唱なんか唱えているからよ。人族の詠唱は、やはり長すぎるわね」
困惑し戸惑うドミニクに、アイリスは淡々とそう答えていた。彼女は、お前の実力はその程度か、と少しがっかりしているようにも見えた。
(これが、『黒髪緋眼』の力か……)
「かっこいいな…………そして、綺麗だ」
アイリスの凛とした佇まいに思わず見惚れてしまったルーイは、いつの間にか心の声を漏らしていた。
人族の中で、彼女に勝てる魔法師はいないのではないだろうか。
すると、魔法が効かないと悟ったドミニクは、最後の足掻きに出た。ナイフを取り出し、アイリスに突進していったのだ。
「くっ、このおおおお!!!」
しかし、ドミニクが数歩進んだ時、アイリスの険しい声がその場に響き渡った。
「《跪け》!!!」
アイリスがそう叫んだ途端、ドミニクは膝から崩れ落ち、その場で跪いた。
「あ、足が、動かない……」
四つん這いになり絶望しているドミニクに、アイリスが一歩、また一歩と近づいていく。するとドミニクは、化け物でも見るかのような表情をアイリスに向け、悲鳴を上げた。
「ひいっ。くっ、来るな!!」
情けないことに、ドミニクは恐怖のあまりガタガタと全身を震わせている。そんなドミニクに、アイリスはしゃがんで顔を近づけると、氷のような冷たい声で問いかけた。
「ドミニク。あなたが命を奪った彼らの声が聞こえる?」
「え……?」
アイリスの言葉に、ドミニクはさらに顔を引き攣らせて小さく声を上げた。そんなドミニクに、アイリスは少し笑っているようにも聞こえる声でこう言った。
「ほら、あなたの後ろに、近づいて来ているわ。あなたを地獄に連れて行くために。自分が犯した罪は、自分で償わなきゃ……ね?」
「………………」
ドミニクはアイリスの発言の意味が理解できない様子で、ただただ震えながら彼女を見つめ返している。すると、アイリスは徐に立ち上がってドミニクを見下ろし、怒気をはらんだ声で言葉を放った。
「さあ、《亡者の嘆きを聞きながら、地獄にその身を落とせ》!!」
アイリスがそう叫ぶと、ドミニクは突然頭を抱えながらのたうち回った。
「ひいっ! やめろおおお! 来るなあああ!!」
ドミニクは恐怖に目を見開きながら、苦しみもがいている。まるで、何か恐ろしいものに襲われているかのようだ。アイリスは、そんなドミニクをただただ見下ろしていた。
(これ、大丈夫なやつか……?)
目の前に広がる異常な光景に、ルーイは止めに入るかしばらく躊躇した。しかし、ドミニクがとうとう白目を剥いて泡を吹き始めたので、流石に看過できずアイリスの腕を掴んで止めた。
「お嬢さん!!」
そう言ってルーイが制止すると、アイリスはゆっくりとこちらを振り返った。その瞳にハッとする。
仮面越しでもわかる、全てを燃やし尽くす炎のような緋色の瞳をしていた。
「殺しちゃ、だめだ」
アイリスの瞳の激しさに、思わず眉を顰めながらルーイがそう言うと、彼女の炎は次第に弱まっていった。
そして完全に怒りの炎が消えると、彼女はどうしようもなく悲しい表情を浮かべたのだった。




