1−4 全員、ぶっ◯す!
「ゲーム実況者かぁ」
気まぐれな空を眺めながら、リンファが教えてくれたことを小さく呟く。
わたしの声に反応してか、グリテフが身体を捻って顔をペロペロと舐めてきた。
うわぁ、やめろよぉ。
お前、肉食ったばっかだから息が獣臭いぞ?
「ねぇ、グリテフ。どうすればいいと思う?」
聞くとグリテフは不思議そうに瞳を揺らして「くぅ〜ん」と鳴いた。
それがわたしの質問に対しての答えなのか、それともただもっとご飯を食べたいというおかわりの催促なのか。
もし後者だとしても、今日買ってきた肉はあげ切っちゃったからこれ以上のご飯は無理なんだが。
「そうだよなぁ。お金は欲しいよなぁ」
結局ずっと、わたしの中の結論は最初から変わらない。
ゲーム実況とやらがお金を稼ぐための手段なら、最適な決断など決まっているはずだ。
リンファの誘いに乗って、ゲーム実況とやらを始めてみるべきだ。
それなら、何でわたしがゲーム実況を始めることに悩んでいるかというと――。
「リンファが何を考えてるか、よくわからないんだよなぁ」
たぶんだけど、ゲーム実況を始めるのにもそれなりにお金がかかる。
映像魔法に必要な魔晶レンズに始まり、それを映像魔法で映し出す投影水晶の使用権も安くない。
あとお金だけじゃなく、えーと、宣伝費? を要求するお店とのやり取りとかも大変だろう。知識はなくてもそう想像することはできる。
他にも面倒事はたくさんあり――。
でもリンファはそれらの雑事を「全て私にお任せください」と嫌な顔ひとつすることなく引き受けた。
「……」
それにゲーム実況を始めたからといって人気者になれる保証なんてどこにもない。
極端な話をすればリンファの努力が全部無駄になる可能性だってあるのだ。
なのに、そんな心配すらもリンファは「その時はその時です。ミスティ様は気にしないで大丈夫ですよ」と微笑みながら受け流してしまった。
わからない。
なんでリンファがそこまでしてわたしにゲーム実況者になって欲しいのかわからない。
答えなんてすぐには出ないその問いに、わたしが悶々と悩んでいると――。
「おんやぁああ? そこにいるのは頭のおかしい金ピカのチビではないですかぁあ?」
聞きたくない声が聞こえて、無意識にわたしの口は動いた。
「グリテフ、やれ」
「わおんっ!」
元気なわたしの愛狼は鋭い吠え声で返事をし、現れた人物に迅速に噛み付いた。
途端「ぎゃぁあああああ!?」という雑音が辺りに響く。
何だよ、うるさいなぁ。
わたしが煩わしい視線で声の方に振り向く。
そこにはグリテフに噛まれ、頭から血を流した男子生徒がいた。
「こらぁああっ、ミスティ=ゴールドぉおお! 貴様、ペットの躾くらいきちんとしておくべきではないですかぁああああああっ!?」
「はっはっは、躾がなってるからその程度にすんでるんだろ。グリテフが本気を出せばお前の頭なんて潰れたリンゴみたいになってるぞ? 感謝しろよ」
「するわけないではありませんかぁあああ!」
あーもう、いちいち叫ぶなよ。元気だなぁ。
「で、断る前提で聞いてやるけど、今日は何の用だ?」
「……相変わらず話の通じないチビですね。私の要求はこれまでと同じ、そちらの餓白狼をそろそろ譲ってくれませんか?」
「やっぱりそれか。何度来たって一緒だよ。グリテフを渡す気はない。ほら、さっさと帰った」
わたしは、しっしと虫を払うかのように手を振った。
この男子生徒。
名前はペーター……あれ、ベーターだっけ? どっちでもいっか。
ファーストネームは知らん。興味もない。
何でも魔法生物学を専攻しているらしく、絶滅危惧種である餓白狼の研究がしたくてグリテフを譲ってくれないかとしつこく交渉してくるやつだ。
「それで『はいそうですか』と引き下がるわけにはいきません。私にだって魔法使いとして成し遂げたいことがあるのですから」
何やら恰好つけた台詞を言っているが、グリテフに噛まれたままだから絶妙に恰好悪いな。
額からは血がタラタラと流れ落ちている。
「ベーター。なんでお前はそんなグリテフが欲しいんだ?」
ペーターだかベーターだかわからんかったから、二択を直感で選んで呼んでみると。
「私の名前はベクターです。いい加減覚えてくれませんかねぇ?」
そもそも答えはその二択になかった。
謝らないぞ。覚える気もない。
「どうでもいいよ。で、質問の答えは? まあ、どんな回答だろうとグリテフを実験動物なんかにしてやるつもりはないけど」
「……あなたは何か勘違いをしているようですねぇ」
わたしの言葉に、ベーター……じゃない、ベクターは眉を下げながら不機嫌な顔を作った。
心外だ、とでも言いたげに。
「確かに魔法生物学者には、魔法生物たちに非人道的な実験をする人たちがいるのは事実です。それは認めましょう。ですが、私をその枠には入れないでいただきたい。私の目的は、その餓白狼の保護なのですから」
「……保護?」
わたしの聞き返しに、ベクターは「はい」と頷いて。
「絶滅危惧種の餓白狼。その個体数は魔法界全体でももはや10体といないでしょう。その貴重な1体が目の前にいるとすれば、保護に乗り出さないわけにはいきません。絶滅危惧種は魔法生物学者にとって守らなければいけない大切な命なのですから」
「……ほう」
何というか、初めてこいつの話をきちんと聞いた気がするが、割としっかりとした考えを持ってて驚いた。
その守るべき対象に現在進行形で噛まれているという事実に目を瞑れば、なかなかに立派な志のように思える。
だが――。
「それなら別にわざわざ譲る必要はないんじゃないか。グリテフはわたしがきちんと世話してるからさ」
そう言うと、ベクターは目を鋭く細めて――。
「本当にそう思っているのですか?」
そんなことを言ってきた。
「どういう意味だよ?」
「知っていますよ。あなたは金銭的に余裕がなく、その餓白狼に満足な餌を用意できていないことを。それでよくきちんと世話しているなんて言えましたね?」
「うっ……」
痛いところをつかれて、思わず口から呻きが漏れた。
「べ、別に満足とは言わなくても最低限ご飯をあげれてるぞ。いざとなったらわたしの食費を餌代に回すし」
「……わかってませんねぇ。金銭的余裕がないということは、不測の事態に対応できないと言っているようなものです。例えば、その餓白狼がどこからか毒をもらってきたとして、あなたはそれにどうやって対処するつもりですか? 動物治療を専門とする治癒魔術師は数が少なく、その診察には安くない治療費が請求されることをご存知ですよね」
「くっ……」
続けられた正論に、今度こそわたしが口を噤む。
ベクターが口にしたのは仮定の話だが、十分に考えられる話だ。
「私には十分な資金があります。いち生物学者として、保護に必要な知識も有しています。もしあなたがその餓白狼を大切に思っているのなら、私に託すことこそが賢明だと思いますがね」
「……」
わたしは何も言い返せない。
ほんのちょっとだけ、ベクターの言っていることが正しいのかもと思ってしまった。
わたしの不安が伝染ってか、グリテフが心配そうな瞳でこちらを見る。
あま噛みしていたベクターの頭から牙が外れた。
「とりあえず、今日はこのあたりにしておきます。次に訪れた時には色良い返事をお待ちしてますよ」
頭から流れた血をハンカチで拭きながら、ベクターは去っていった。
その背中を呆然と見送って、完全に見えなくなった後――。
わたしの心には途方もない悔しさが溢れかえっていた。
「ああぁあああ、くそぉおおおおおおおっ!!」
急に弾けたわたしの怒りに、隣のグリテフがびくっと身体を跳ねさせた。
ごめん。驚かせるつもりはなかったんだ。
でも、許せなかった。
何に対して、許せなかった?
好き勝手に要求を言ってきたベクターに?
違う。
悔しいけど、あいつの言っていることは正しかった。
ムカつく言い方だったけど、魔法生物学者としての矜持があいつの言葉にはあった。
じゃあ、何を許せなかった?
簡単だ。
あいつの言葉になにひとつ反論できなかった自分自身にだ!
「ちくしょう、やっぱりお金かよ!」
お金だ。とにかくお金だ。
この世界のあらゆる望みはお金で解決できて、逆に言えばお金がなければ簡単な問題すらも乗り越えられない。
悩む余裕なんてなかった。
躊躇なんて挟んでいる暇なんてなかった。
選ぶべき決断なんて、初めから決まっていた。
わたしはグリテフを置き去って走り出す。
目指すべきは女子寮の2階にある、とある部屋。
不用心にも鍵がかかっていなかったので、乱暴に扉を開けてその中に入る。
そして部屋の中で何かの作業をしていた後輩に叫んだ。
「リンファ! わたしはゲーム実況者になるぞ!」
わたしの突然の登場と突然の宣言に驚いたリンファは目を見開いて――。
でもすぐにいつもの無表情に戻り、静かな声音で聞いてくる。
「突然ですね。何かきっかけでも?」
「お金だ! わたしにはお金がいる! そのための手段をもう選ばない!」
プライドなんて捨てろ。
騙すことも媚びることも躊躇うな。
全てを手に入れて笑うためには、どうしてもお金が必要なんだ。
「リンファ! お金を手に入れるためには人気者になる必要があるんだろ!? どうすれば人気のゲーム実況者になれるんだ!?」
「そうですね。まずはたくさんの注目を集めることです」
そこでリンファが机の上にあった羊皮紙に目を通す。
「次のマジアスの開催は8日後。試合形式はバトルロイヤルですね。注目を集める最も確実な手段は大会でいい成績を残すこと。つまり他の参加者を軒並み倒して優勝を勝ち取ることです」
単純だが難しい手段を提示された。
でも、それでいい。
今のわたしにはそれくらいわかりやすいくらいがちょうどいい。
「わかった」
わたしは頷いて腰の魔銃杖に手を伸ばす。
その柄をがっちりと握りながら、まだ見ぬ競技者たちに向けて、まるで宣戦布告かのようにそれを叫んだ。
「全員、ぶっ殺す!!」