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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

中辛

かえりみち

 端末は便利だ。見るものなどなくても、とりあえず他人の顔から視線を逃がしておける。夕方の乗客は誰も彼も疲れ果てていて、家族連れでもデート帰りでも同級生でも会話のネタがすぐ尽きる。おのおの自分の端末に視線を落とすが、こういうとき一体どれだけの人が本当に端末の画面に集中しているか怪しいものだ。レールの継ぎ目を踏み越える列車の規則的な振動と轟音とが、停車駅までの沈黙を埋めた。

 駅からは無人タクシーを拾う。ドアセンサーに端末をかざすと自宅の住所が読み込まれて、一切の無駄を削ぎ落とされた四角い箱が音もなくマンションの玄関まで送り届けてくれる。空調の効いた車内。一応、靴を脱いでから、正面の座席の柔らかいクッションにかかとを乗せて脚を伸ばす。ふと顔を上げ、道路橋の向こう、タクシーの進行方向と逆に流れ去る照明灯に遮られて明滅しながら水平線に沈んでゆく夕日を眺める。


 今日、仕事を辞めた。毎朝毎朝眠たいところをむりやりベッドから引き剥がされてきた元凶がついに消えたというのに、何もする気が起きない。部屋に帰れば整理すべきものがたくさん放ったらかしになっているが、手をつける気になれない。指先ひとつでアクセスできる無料配信サービスすら観たくない。テレビではもう笑えない。観客の笑い声がたった数パターンの録音素材の使い回しと気づいてしまって以来、ちっとも番組にのめり込めない。

 番組表によると、少なくとも来週までは通常編成になっている。事態の進展が遅すぎて、まだニュース特番を組むほどのネタがないのだろう。どこのチャンネルも夕方から深夜帯までくだらない雛壇バラエティばかり。そんなにタレントの身の上話が気になるか?違うよな?目を背けたいのだ。空から。地球に迫り来る、避けようのない現実から。


 事態は少しずつ悪化していった。「まだ制御できるはず」と専門家は言っていたが、すぐに口を揃えて「制御は難しい」と訂正するはめになった。いま考えれば、人間が手綱を握っておいたほうがずっと安全だったかもしれない。“安全な戦争”。ドローン同士の戦争は地球と無関係のはずだった。土地が足りなくなると、月面開発競争は月面開発()()になった。ドローンがドローンを破壊して基地を奪い合う。地球上なら死人が大勢出るような規模の戦闘が自動的に無人で行われる。月の裏側を舞台に先進諸国の国章を背負うドローンが世界大戦を繰り広げるあいだ、人間は何の危険もなく日常を続けていられるはずだった。

 人間は人工知能の学習能力を見くびっていた。地球から何の資源も追加投入する必要がなく、逆に月からの資源の恩恵さえ受け、あまりにも安全に戦争が進むので、月の裏側で炸裂する兵器が改良に改良を重ねるうち強力になりすぎつつあることに誰も気づかなかった。軍拡の時代、核実験の応酬が幾度繰り返されても地球はびくともしなかったが、月は地球よりも小さく、月で開発された最新型核兵器の威力は、地球上のどんな核弾頭よりも過剰だった。


 月は夜ごとに大きくなっている。もう肉眼でも昨夜からの変化が分かるほどだ。公転軌道を安定させる手立てはない。今さらどんな核爆発を起こしても月の落下を食い止められない。ロケットに乗って火星へ逃げる?宇宙ステーションを作って移り住む?地球にもしものことなんてあるわけがない、夢物語みたいな計画は遠い未来に実現すればいいとのんびり構えているうちに、なにひとつ準備が進まないまま手遅れになってしまった。だから目を背けるしかないのだ。見たくもない端末の画面に視線を落として。

 会社の連中はいつまで働き続けるつもりかな?地球が滅ぶことは間違いないが、すぐ滅ぶわけではないから、明日の予定を立てるのも無駄ではない。でも近々死ぬことが分かっていながら、よく出勤する気になれるものだ。……みんなよく平気で日常を続けていられるものだ。今のところ交通機関は平常どおり動いているし、どこの店も店じまいなど始めていない。コンビニへ行けば幕の内弁当でもミートソースパスタでも、欲しいものが何でも手に入るだろう。今はとても食べる気になれないが。


 マンションへ帰り着くまでに無情にも日は暮れ、そのかわり人類すべてを圧迫するかのような月が、青黒い宵空に煌々と君臨していた。眠れば明日が来てしまう。抗いようのない、見え透いた死がまた一歩近づいてしまう。だがしばらくは何もする気が起きそうにない。終末なんて、こんなものか。

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