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健全者

「ぽよぽよしてる……」

 バルーンの中に入って、ふにゃふにゃの足場を得たカインの語彙がこれである。小学生というより園児だ。体格も他の子どもより小さいから、より幼く見える。

 おそらく、睡眠不足のせいで背が伸び悩んでいるのだ。子どもが夜に寝るのは健康のため、ひいては体を成長させるためであるという。

「見てて」

 バルーン内は壁も弾力性がある。樒は壁の弾力も確認し、それからぽーん、と跳躍した。空中で半回転し、壁を蹴り更に上方へ跳ね、一回転し、着地。

 小学三年生の女の子がする動きではないが、樒はこういうアクロバットが好きだった。女が運動できてもねえ、みたいな顔をされるが、体を動かすのは気持ちがいい。

「どう?」

 うきうきした気持ちで、カインに問いかける。カインは目を輝かせていた。

「……アースソルジャーのソルジャーピンクみたい……」

「アースソルジャー?」

「日曜朝のやつ……」

 ああ、と樒は思い出す。新聞のとあるチャンネルでは、日曜日の朝に子ども向けの番組を放送するのだ。アースソルジャーというのは戦隊ヒーローもののシリーズのタイトルだったはず。

 樒は兄を越えるために、娯楽に浸る暇なんてない、と日曜も朝から勉強をしているから、知らなかった。ただ、新聞に刻まれた明朝体を思い出しただけである。

「っていうか、アンタん家、テレビあるのね」

「今の時代、テレビないとついてけない」

「山の中でしょ? 電波悪かったりしないの?」

「よくわかんない……母さんが時々、テレビばんばんってはたいてる」

「昭和か」

 ブラウン管テレビなどもはや骨董品のレベルだが……実物を見たことがなくても、知識とイメージがあると、自然とそんな突っ込みも出るものだ。

「アースソルジャー、かっこいい。特撮はあんまり好きじゃないけど、アースソルジャーは好き。自然を守るために悪の組織と戦う」

 ぴょんぴょんと緩く弾みながら、カインがそれっぽく構える。

「主人公のソルジャーレッドは熱血でうざい。ソルジャーブルーはなんか気取ってて嫌。イエローはきゃぴきゃぴしてて声が頭に響く」

「いやアンタそれ嫌いじゃん……」

「グリーンはかっこいいけど、役者さんが滅茶苦茶台詞噛む裏話あって台無し」

「うわ」

「ソルジャーピンクはわかりやすいお色気担当で野暮ったい」

「アンタやっぱり嫌いよね!?」

「キャラクター性はあれだけど、スーツアクターがすごくいい動きする。グリーンの役者さんは台詞噛みまくるからスーツアクター専門で今までやってたらしいけど、アースソルジャーで初顔出しすることになったんだって。裏話はあれだけど、グリーンの人はスーツアクターなしでそのままだから、体格差とか気にならないし、動きがキレッキレでかっこいい。アースソルジャーはスーツアクターのレベルが高い」

「アンタまじで小学三年生?」

 樒が言えた口ではないが、小学三年生でスーツアクターに着目するのは子どもらしくない。というか異様に詳しい。

 カインは少し俯いて答える。

「僕は……眠れないから、体の血の巡りがよくなくて、君みたいに上手く動けない。五十メートル走も、半分もいかないうちに息切れして倒れちゃう。だから、動ける人ってすごい。憧れる」

 樒ははっと息を飲んだ。

 カインの「憧れる」という言葉は樒だけじゃないカイン以外の不特定多数に向けられたものだ。それは充分にわかっている。けれど、その一言に、心を救われたような気がした。

 樒は疲れていたのだ。兄に届かなければ、自分に価値はないように感じていた。だから走り続けていた。でも、人間はずっと走り続けてはいられない。どこかで休まなければ、続かない。

 そんな基本的なことを樒は忘れていた。眠れない彼から、大切な言葉をもらったような気がしたのだ。

 世界は兄だけが全てではなかった。

「ウチ、名乗ったっけ? 学校は違うみたいだけど、近くに家ある。多樒。樒って呼んで」

「植物の名前を女の子につけるのはわかるけど、樒は初めて聞いたな……僕はカイン。稗田霞韻」

「外国人みたいな名前」

 互いに名乗り合って、互いの変な名前にふふっと笑い合う。

「カイン、ここでたくさん跳ねて、帰ったら、お風呂で汗を流して、暖かい布団に入って、今日楽しかったなって考えてみて」

「え」

「アンタが眠れるように、ウチが一緒に遊んだげる。ほら、手を取って」

 樒は強引にカインの手を取った。右手に左手を、左手に右手を。くるくると飛んで跳ねて回る。

 利用客が二人しかいないから、二人だけの楽園だった。樒はいつの間にかきゃらきゃらと笑っている。女の子の甲高い笑い声がカインは苦手なはずなのに、樒のそれは嫌いじゃなかった。

 いつの間にか、自分も笑っていた。声を上げて。

 飛んで跳ねるだけなのに、何故だか笑うと楽しくて、カインは樒と一緒にくるくると、意味もなく回っていた。

 不思議と息が上がらない。楽しい。


 しばらくして、外に出ると、一気にカインはぜぇはぁぜぇはぁ言い始めて、樒は慌てて背中を擦った。大人を呼ぼうとすると、カインは赤らんだ顔で止める。

「だい、じょぅ、ぶ」

「いや、それは大丈夫ではない人の返事なのよ」

 カインは首を横に振る。

「ぼく……はしゃぎ方、知ら、なかった」

 少し息を整え、カインは笑う。

「はしゃぐって、あんな感じなんだね。

 樒と遊ぶの、とっても楽しかった。ありがとう」

「ウチも楽しかった」

 樒もへにゃりと笑う。自然に笑えた気がした。

 ゆうやけこやけが聞こえてくる。子どもたちを家へと追い立てる曲だ。

 帰らないと、と樒が呟き、ランドセルを背負うと、樒の手を引く者がいた。

 カインだ。

「今日は寝れるかもしれない。……また遊んで」

「うん、ウチでよければ」

 またね、と言って別れた。

 誰かと一緒に遊ぶなんて、兄以外としたことがなかったから、「またね」なんて言うのは初めてだった。

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