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ロードバイクを雨樋にチェーンでつなぎ、ポケットから鍵を取り出し玄関の扉を開け「暑い暑い」と言いながらネクタイを緩め背負っていたリュックをリビングの床に落とす。
冷蔵庫から麦茶の入った容器を取り出しガラスコップに注ぎ、勢いよく飲んだので口元から首を伝い襟元が少し茶色に染まる。
汚れたカッターシャツと着ていたインナーシャツを洗濯機に投げ入れ、穿いていた靴下も入れる。
リビングにおいていたリュックから汗拭きシートを取り出し上半身、特にわきの下と足の裏を念入りに拭き、階段を1段上がるごとに熱気を感じつつ自分の部屋の衣装箪笥からサイズの大きめの白いTシャツを着て、歩いて1分のところにあるあかねの家に向かう。
うちは僕が生まれて1年後に両親が離婚しており、僕が小学校に入ったころから看護師である母親の夜勤が始まったため放課後はあかねの家で過ごし週に2日ほどは兄と一緒に泊めてもらっていた、中学生に入ったのを機にあかねの家に行く機会はほとんどなくなっていった。
高校生になったときに「部活は入らへんの、お金のことは気にせんでいいで」と母親には言われたが、母子家庭のため部活動の費用負担をかけたくないということと、中学生の時に入っていたサッカー部も続けたいとは特に思わなかったので帰宅部になり則之や谷口は部活に入っているため、放課後はまたあかねの家に行くようになり、勉強したり音楽を聴いたり雑談するのが日課になっている。
高校生になり僕が部活に入らないのを知ったあかねが「それなら、また家で遊ぼうよ」と誘ってくれたのがきっかけであり、高校生になって初めて部屋に入れてもらったときは小学生の時のあかねの部屋とはずいぶん変わっており自分の家では嗅いだことのない匂いにこれが女の子の部屋なんだと思ったのも1年以上前の記憶である。
そんなことを考えながら歩いているとすぐにあかねの家につき呼び鈴を鳴らし「今開けるね」とあかねのお母さんのこもった声が聞こえすぐにガチャガチャとかぎが開けられ「いらっしゃい、あかねは2階にいるわよ」とあかねのお母さんが笑顔で迎えてくれた。
「お邪魔します」といい靴を脱ぎ、何百回と上った階段を上がり一番手前のあかねの部屋の扉をノックして中から「入っていいよ」という声を聴きノブをつかんで扉を開けると、部屋の中にはTシャツにハーフパンツといったラフな部屋着に身を包んだあかねが足を延ばしベッドを背もたれにして座っていた。
あかねは一番前の席に座らしてもらっているがそれでも黒板に書かれた字を自分のノートに完全に写すことはできないので、一年生の時は僕のノートを見せてあげていたのだが、あかねは2年生から文系コースに進んだためそれもできなくなったのでクラスメイトに1日だけノートを貸してもらって放課後に写しているのである。暗記系の科目はさらに僕がそのノートを音読して携帯の録音機能で保存しているので、理系なのに日本史や倫理などの知識が僕にもついてきた。
あかねがノートを写している間は暇なので勉強していたら一年生の初めはクラスで真ん中ぐらいだった成績が今では学年でも5番目に入るぐらいになっており、母親が医療従事者ということもあって医者ってかっこいいなという漠然とした目標ができ医学部を目指している。
今日出された古典の宿題がひと段落したので、あかねに目を向けるとノートにものすごい顔を近づけて、写している。そんなあかねを見ている僕の視線に気づいたのか、あかねはふと顔を上げ「あんまり見んといてや」と少し不機嫌になる。
「ごめんごめん」と視線を古典の宿題に出されたプリントに移しながら、もしあかねが幼馴染じゃなかったら、もしあかねの目が普通に見えていたらこんな関係になれなかったのじゃないか。
そんなことを考えているうちに、あかねに目の病気があってよかったとほんの少しでも思ってしまった自分が本当に小さい人間だと自己嫌悪に陥る。
「どうかした?」そんな考え事をして固まって下を向いている僕のことを心配するようにのぞき込んできたあかねに「何でもない、写し終えたら、また録音してあげるな」と精いっぱいの笑顔で返す。
「ありがと!」というあかねの笑顔を見たとき、さっきまでの暗い気持ちはなくなりずっとその笑顔を見ていたいと感じた。