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「大丈夫?」


「ゾフィ様……マグダレーネ様。申し訳ありません」


 苦々しくレオンが謝罪の言葉を口にし、レーネは精一杯首を横に振った。


「私の方こそ、あなたを巻き込んでしまって……」


 語尾が弱々しくなったのもあるが、最後まで言葉にならなかったのは、背後から現れた人物がレーネを無理矢理立たせたからだ。


「これで文句はないな?」


 それはレーネにか、ゾフィにか、はたまたレオンに対して投げられたのかは定かではない。


 暗い青の混じった瞳が面々を見下ろす。ゾフィは縋る眼差しを国王に向け、よろよろと立ち上がった。レーネは振り向かずに一度目を閉じてからゾフィを見遣る。


「ゾフィ……いえ女王陛下。後のことを、この国をお願いします」


「待って、レーネ! あなたがいないと私は、この国は……っ」


 ぐっと続きを飲み込むゾフィにレーネはなだめるように微笑んだ。ゾフィの肩に手を置いて、静かに言い聞かせる。


「大丈夫。あなたは昔からとても賢くて女王の素質を持っている。民もこの城に仕える者も、みんなあなたを慕っているわ」


 次にレーネはレオンを見た。


「レオン。女王陛下を頼みます」


 侍女としてではなくゾフィの姉として彼に託す。己の不甲斐なさに唇を噛みしめ、レオンは静かに頭を下げた。


「そう悲壮感を漂わせなくてもいいだろ。人質や罪人として迎えるわけでもない」


 いつもの調子でクラウスが口を挟み、レーネはゾフィたちに背を向けた。


 その場にいるノイトラーレス公国の人間もアルント王国側も戸惑いが隠せない。今日、ここで起こった出来事は両国それぞれのためにも他言無用となった。


 行きの馬車も気まずい息苦しさがあったが、帰りは帰りで相当なものだ。ルディガーは隣にいる人物と、行きと同じく対面に座る国王とを目だけ動かし、交互に見た。


 今、ルディガーの隣にはバルドではなくレーネが座り、自分の方でも正面に座るクラウスでもなく、抵抗を示すかのようにずっと窓の外に目を向け、その顔を見せないようにしていた。


 彼女を連れて帰ることに最後まで反対したバルドは、クラウスの命令で今は別の馬車に乗っている。


 クラウスは肘をついて姿勢を崩しながらも、レーネの横顔を食い入るようにして見つめていた。


 なんとも言えない重苦しい雰囲気に、ルディガーは思わず溜め息をつきそうになった。そのとき、今までずっと口をつぐんでいたレーネがぽつりと呟く。


「……レオンが、負けるなんて」


 ひとり言にも思えたが、この機会にと言わんばかりにクラウスが律儀に返す。


「“勝負”だったからな。()り合ってたらわからない」


 その言葉でようやくレーネは正面にいる男に顔を向けた。そして考えを巡らせる。


 孤児でならず者だったレオンは、幼い頃にゾフィとレーネの父に剣の腕を買われ、娘たちのボディガードとして雇われた。


 ゾフィとレーネが一時アルント城に囚われ、行方不明になった件を受けてだ。レオンの境遇に哀れみを感じたのもあるのだろう。


 レオンは恩を返すべく日々剣の腕を磨き、ゾフィとレーネの忠実な騎士となった。


 そんなレオンが数年前から左目に違和感を覚え、微妙な見えづらさを感じているのはゾフィとレーネを含め、ごく一部の人間しか知らない。


 日常生活には問題なく、目の(わずら)いは剣の腕でカバーし他人に悟られることなどなかった。


 もしかして……知っていたの?


 先ほどのクラウスの言葉を元に、改めてレオンとの戦い方を振り返ると、彼がレオンの目に関してあらかじめ情報を得ていたのではという考えが自然と湧き起こる。


 とはいえレオンの剣の腕は相当なもので、普段から剣を扱う身ならまだしも、あんな突拍子もない勝負に乗るだろうか。


 まさか……。


 レーネの思考が別の角度に移る。


 国王が今から関係を築こうとしている他国を訪問する際に、わざわざ自分の剣を預けてまで持ってくるだろうか。


 下手な武器は相手を刺激し、挑発行為にも受け取られる。


 非常事態に備えてだと気にも留めていなかったが、そうなったときのために彼の傍にはアルノー夜警団の面々が控えているのだ。


 結論を導き出したところで、目の前の男と視線が交わる。レーネの金色の瞳が自分を捉え、クラウスは満足げに微笑んだ。レーネは確信する。


 クラウスはレオンの目云々以前に、こうなる事態をすべて見越していたのだ。レーネが求めても素直に応じないことを含め、レオンを使って無茶な勝負を挑ませるところまで。


 それらを全部予測したうえで、レーネの話に乗ってきた。その証拠に、現状だけ見ればクラウスの望み通りの展開になっている。


「どうした?」


 余裕たっぷりに尋ねられ、レーネは目線をわずかに落とす。


 思えば、彼に触れられた際、手のひらには剣を扱うときにできる小さな傷があった。この日に備えてかは定かではない。けれどレーネが思う以上に相手は用意周到だったのだ。


 口の中に苦いものが広がり、それを毒として言葉に乗せる。


「……国王陛下の命はずいぶんとお安いのだと」


 低く冷たい声を放った。バルドが聞いたら、また間違いなく罵詈雑言を浴びせているに違いない。ルディガーは口を挟まないものの怪訝な顔で隣の女を見る。


 肝心のクラウスはとくに気分を害するわけでもなく、むしろ口角を上げた。


「そうだ」


 あっさりと肯定されレーネは言葉を失う。すると、ゆるやかにクラウスの手が伸びてきて彼女の頬に触れた。


「お前が手に入るなら、目でも腕でも喜んで差し出してやる。この命さえな」


 どこまで本気なのか。しかしレーネを映す青みがかった黒い瞳はけっして揺れない。おかげで相手から離れるまで手を振り払えなかった。


「長い移動になる。少し休んでおけ」


 改めて告げられ、レーネは窓の方に頭を預けた。


 どうして私がわかったの? どうして……。


 目の前の男に詰め寄ってやりたい気持ちを抑え、うっすらと窓に映る自身を見遣る。答えなど得られやしない。なにもかも思い描いていた通りにはならない。


 その一方で、いつかこんな日がくるとどこかでわかっていた。あとは自分を待ち受ける運命にどう向き合うかだ。


 空にあった太陽が山間(やまあい)の彼方に沈み、遠のいていく。ともすれば次は夜に侵されていくだけ。そこには徐々に暗闇が広がっていく。


 まるで自分のこれからを暗示しているとレーネは自嘲的な笑みを浮かべ目を閉じた。

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