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「愛している。この命を懸けるほどに」
どれほど長く心の内に仕舞いこんでいたのか。伝えたくて、けれど伝えれば短剣を向けるレーネの決意をさらに鈍らせると思った。
彼女に余計な情を抱かせないためにも嫌われて憎まれたほうがいい。それが今、ようやく本人を前に自分の気持ちを口に出せた。
ところがレーネは泣き出しそうな表情で小さく首を横に振る。
「……わからない。私、愛も恋もわからないの」
囁きにも似た告白は悲痛な叫びだった。
気づけば神子として、片眼異色の外見も合わさりレーネはずっと特別な存在として扱われてきた。
優しくされることが、求められることが愛なのか。それは自分が普通の人間とは違っていたからではないのか。わからない。
クラウスの気持ちは嬉しい。けれど純粋に喜べないのも事実だ。同じものをきっと彼には返せない。
普通に生きていれば、当然のように知っていくであろう愛を、こんな運命を背負ったばかりに一番遠いものになってしまった。すべては自業自得だ。
レーネは唇を噛みしめ、クラウスを見遣る。つらそうな顔をしている彼に、必死に笑顔を作った。
「でも、私もあなたのためならなんでもできる。あなたに幸せになってほしいから。それが今の私の一番の願いよ」
クラウスに短剣を突き立てられてもいいと覚悟できていたのは、巻き込んでしまった罪悪感が大きかったからだ。とはいえ、それだけではない。
自分と同じ苦しみを背負わせたくなくて、幸せになってほしかった。それを願うのがエゴだとしても、叶えたかった。
「私を月に喩えてくれたけれど、私にとっての月はあなたよ」
真っ暗で終わりの見えない夜を穏やかに照らしてくれる。繰り返される神子の人生に生きるのを諦めていたとき、レーネと名前を与えて、変わるきっかけをくれた。
蓄積された記憶の中で、彼みたいな存在は初めてだった。きっとこれからも現れない。
レーネなりに自分の正直な想いを必死に伝える。すると今まで黙って話を聞いていたクラウスは大きく息を吐いた。
彼の反応の意味がわからずにいると、突然強く抱きしめられる。
「どうしてお前はいつも人のことばかりなんだ。欲しいものは欲しがればいい。自分の幸せを望んでなにが悪い」
怒気を孕んだ声色にレーネは目を見開く。すると回されていた腕がゆっくりとほどかれ、クラウスはレーネの右手を取ると、自分の頬へと添えさせた。
「いいんだ。手を伸ばして、欲しがったら。言ったはずだ、レーネの願いは全部叶えてやる」
懇願にも似た物言いで、触れた箇所から伝わる体温はレーネの中で長い間凍りついていた部分を溶かしていく。
自分はなにを欲しがっていたのか。幸せになんてなれない。そんな資格ない。愛もわからない。けれど……。
――そうすれば、きっといつか必ず手に入る。
ふと遠い昔に神と契約したときの記憶が蘇える。そもそもどうして神と契約を結ぼうと思ったのか。
死を恐れて? 他とは違う特別な存在になりたかった? どれも違う。あのとき私が本当に願ったのは……。
「……たい」
レーネの唇がかすかに動き、音になったか、ならないかほどの小さな声が紡がれる。
「愛され、たい。私、本当はずっと……愛されたかった」
口にすると当時の思いと同調し、胸の奥が締めつけられる。痛みを伴うほどの切なさに心が震える。
誰からも必要とされない孤独な人生は寂しかった、つらかった。ひとりでも大切な人がいれば、なにか違っていたのかもしれない。
必要とされたくて、受け入れてほしくて渇望した。他にはない、なにか特別な力があれば容易く愛を得られると、愛されると信じて疑わなかった。
けれど、結局大事にされるのは特別さに対してだ。神子と神聖視され、片眼異色という外見で注目を浴びる。それを延々と繰り返す中でわからなくなった。
愛ってなに? 私が望んだのはこんなことだった?
「私は神子でもフューリエンでもない。私は……」
「レーネは、レーネだ」
独り言のように呟くと、強く言い切られる。思わず目をぱちくりとさせるレーネにクラウスは真剣な面持ちで続けた。
「気ままで気まぐれなくせに変に真面目で、すぐにひとりで抱え込む。人のことばかりで非情にもなりきれず、そのうえ不器用で素直じゃない」
主観的に指摘されるが、否定できない。そんな捉えられ方は初めてだ。泣き出しそうになるのを必死で我慢し、レーネは逆に笑ってみせる。
「それって褒めてるの? 貶してるの?」
レーネのぎこちない切り返しにクラウスは穏やかに微笑む。重ねていた彼女の手をおもむろに自分の口元へ持っていき、白い滑らかな掌に口づけた。
「そういうところを含めてすべてが愛おしいって言ってるんだ」
レーネの視界を不明瞭にさせていた涙の膜は、堪えきれず目尻から滑り落ちていく。クラウスは吸い込まれそうな黄金の瞳をじっと見つめ、そっと目元に唇を寄せた。
「共に生きてほしいんだろ。だったらお前はなにも心配せずにただ愛されていたらいいんだ」
押し寄せてくる感情をレーネは上手く言葉にできずにいた。応えるように視線を逸らさずにいると顔を近づけられ、どちらからともなく唇を重ねる。
温かさに包まれる一方で、レーネの中でなにかが壊れていく音がした。




