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レーネは真っ新なシュミーズに身を包み、いつものソファで仰向けになっていた。
天井が回っている気がするのは疲れているからか。この光景をもう一度目にするとは思ってもみなかった。
ここは国王の自室でレーネは寝支度を整え、部屋の主を待っている。
今日一日だけで色々なことが起こりすぎた。目まぐるしい展開を振り返るが、どこか夢見心地になる。
湯浴みの後に会ったタリアはレーネを見て泣き出しそうな顔になった。必死に言い訳を考えた末、庭を散策していたところ、隠し通路を見つけ好奇心で森まで抜けてしまったが、迷ってしまい雨に降られたと説明した。
タリアがそれで納得したかどうかはわからないが、彼女はなにも聞いてこなかった。心配をかけてしまったのには変わりない。
レーネはそっと目を閉じる。今後のことを考えると無邪気に幸せに浸るわけにもいかない。クラウスとのわだかまりは消えたが、共に抱えている運命はなにも変わっていない。
長く息を吐いて呼吸を整える。体調もやはりよくない。倦怠感が拭えず食欲も湧かない。どうしたものかと頭を悩ませていると、部屋のドアが開いた。
「遠慮せずにベッドで休んでおけばいいものを」
呆れた声色には心配も混じっている。レーネは肘をついておもむろに上半身を起こす。長い黒髪が重力に従い、肩を滑る。
クラウスはいつもより遠慮なくレーネの隣に座ると彼女の髪を一房掬い取った。
「相変わらず顔色が悪いな。今日はもう」
「あのね」
レーネはクラウスの言葉を遮り、真剣な眼差しを向けた。おかげで彼も言葉を止めふたりはしばし見つめ合う。そして逡巡した後にレーネは口を開く。
「もしも私がいなくなったらゾフィを王妃に迎え入れてくれる?」
唐突な申し出に クラウスは目を白黒させる。しかしレーネは大真面目だ。
「わざわざ私と結婚したのはノイトラーレス公国との関係もあったんでしょ?」
『決まっている。友好の証としてノイトラーレス公国の王女を望んだんだ。妻にする以外になにがある?』
城に連れてこられたときのクラウスの台詞がずっと引っかかっていた。
自分と結婚したのは、短剣を巡って決着をつけるためというのが前提にあったとしても、国王として少なからずそのような目論見もあったはずだ。
ここのところの体調不良を顧みると、思ったより自分の寿命は長くないのかもしれない。そう考えるとレーネとしては残された妹や自国が心配になる。もちろんクラウスのことも。
「失礼な話なのはわかってる。でも、その方が両国のためにも、国王であるあなたのためにも……」
予想通りクラウスの整った顔が不満そうに歪み、レーネの語尾は弱くなる。さすがに押し付けすぎたと自省し、レーネはうつむいた。
どうして上手くいかないのか。一緒いたい気持ちも、共に生きていきたいと願っているのも嘘じゃない。やっと長年抱えていたわだかまりがとけたのに……。
「レーネが大事にするのは妹や国か? 俺を立派な国王にすることか?」
降ってきた声から感情は掴めない。おそるおそる顔を上げると、クラウスが切なげに問いかけてきた。
「そんなにこの国と自分の国の未来が不安か? 俺には任せられないほどに」
「そういう意味じゃ」
慌てて否定しようとする前にクラウスがレーネに顔を近づける。おかげで続きは言えず、レーネは息を呑んだ。
「だったら信じろ。お前の願いどおり、立派な国王になったつもりだ」
面と向かって強く告げられ、レーネの思考が止まった。自分を見つめる鉄紺の瞳はけっして揺れず、すべてが奪われる。
「結婚した理由? 簡単だ、お前が欲しかったんだ」
はっきりと告げてからクラウスは固まっているレーネの頬に触れる。
「ずっと前から……レーネのすべてが欲しかった。レーネだけだ。他の女なんて目に入らない」
飾り気のない言葉はレーネの心の奥を揺さぶり、沁みていく。
「なに、それ。そんなこと言って私に短剣で刺されるつもりだったの?」
この溢れてくる感情はなんなのか、正確に掴めない。苦しくて、息が詰まりそうになる。逆にクラウスは穏やかに微笑んだ。
「俺がどうなっても、お前が俺の妻に、俺のものになった事実は変わらないからな」
さらには、ゾフィとやりとりしていたのもそうなったときのためだったと聞かされ、自分のためだったと思ってもみなかったレーネは驚きが隠せない。
「勝手よ、そんなの」
声が震えて、目の奥が熱い。クラウスを責める資格がないのも理解しているが、今のレーネにはこう返すのが精一杯だ。
「お前には言われたくないな」
案の定、クラウスは反論するが言葉とは裏腹に彼の声は優しかった。そっとレーネに口づけ、ふたりの視線は至近距離で交わる。




