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 ノイトラーレス公国に辿りつくと、すぐにノイトラール家の遣いの者が現れ一行を君主の住む城へと案内する。


 前国王のときにローハイト国との国境沿いの戦に駆り出されたルディガーとしては、ここは苦い思い出の場所だ。


 ところが当時の殺伐とした雰囲気は微塵もなく、今は緑豊かな景色が広がっている。よかったと安堵する反面、暗い記憶に胸が軋む。


 それらを振り払い、クラウスの傍で細心の注意を払う。他の団員も幾人か連れてきているが、多勢に無勢にならぬよう今回の同行者は王の側近を含め最低限だ。


 だからこそ、不測の事態に備えて気を張り巡らせておかねばならない。


 内外共に派手さはない城ではあるが、古い歴史を感じさせる。一貴族の所有物だったにしてはなかなか立派なものだ。


 なにより行き届いた清掃や仕える人間の気遣いなどからノイトラーレス公国の素朴で細やかな魅力が伝わってくる。


 会わずとも君主が慕われ、できた人間だというのは理解できた。


 足を進めるうちに一際大きな両開きの扉の前へ通される。ここが謁見の間だ。静かに扉が開くと、クラウスは前へと歩き出した。


 部屋の奥には、すでに膝を折って頭を下げている若い女性の姿があった。サイドをまとめあげているが、長く緩やかな金の髪が床につきそうなのも彼女は(いと)わない。髪の装飾品には紅玉が煌めき、ドレスの色も深紅だった。


「ノイトラーレス公国へようこそ。クラウス・エーデル・ゲオルク・アルント国王陛下」


 鈴を鳴らしたような声には聞き覚えがある。彼女がゆっくり顔を上げたとき、その瞳の色にアルント王国側の人間は驚きが隠せなかった。


 彼女の右目はヘーゼルブラウン、左目は鮮やかな黄金色。まさに伝承の中のフューリエンそのものの姿だ。言葉を失う面々に対し彼女は優しく微笑む。


「改めまして、私はノイトラーレス公国君主ゾフィ・ノイトラール。まもなく十八になります。お目にかかれる日を心待ちにしておりました」


 ゾフィの視線はまっすぐにクラウスに注がれて、不意に彼女の表情が不安めいたものになる。


「……僭越(せんえつ)ながらお伺いします。私を覚えていらっしゃいますか?」


「ああ」


 抑揚のない短い返事にゾフィは花が咲いたように笑った。彼女は前国王の時代に囚われの身となり地下でクラウスと対面した。


「あのときは大変、お世話になりました。ここに私がいるのも陛下のおかげです。我が公国とアルント王国との未来永劫の友好の証としてなんなりと差し上げましょう」


 ゾフィの周りには幾人かの護衛を兼ねた剣士と侍女が待機し、頭を下げつつ成り行きを見守る。クラウスは彼らをぐるりと見渡し、再びゾフィに視線を向けた。


「なんでもかまわないのか?」


「ええ。陛下が望んでくださるのなら私自身でも。私は陛下に命を救われた身ですから」


 ゾフィの発言がどこまで本気なのか計り知れない。緊張感を伴う静寂の後、クラウスが口を開く。


「なら、遠慮なく頂いていこう」


 そう言って一歩踏み出し、ゾフィとの距離を徐々に縮めていく国王を周りは固唾を呑んで見守るしかない。ただ、ゾフィは少しだけ期待混じりの瞳でクラウスを見つめた。


 幼い記憶の中に残る彼は、宣言通り国王になった。成長して男性としても国王としても申し分ないほどの魅力と能力を兼ね備えている。


 あのときは手が届かなかった存在だが、今は違う。この日をずっと夢見てきた。


 いつかクラウスと対等な立場となり、幼い頃に本で読んでもらったおとぎ話の王子のように彼が膝を折って自分を乞うことを。


 ノイトラーレス公国が誕生する前に両親を亡くし、残されたゾフィが君主になるしかなかった。けれど大きな不安はなく、ここまできたのだ。


 ところがクラウスはこの場にいる誰もが予測していなかった行動をとった。胸を張って自分を待つゾフィの横を素通りし、彼女の傍で控えているひとりの侍女の前に立つ。


(おもて)を上げろ」


 凛とした声にその場にいた全員の注意が向いた。誰一人としてクラウスの意図が読めない。呼びかけられた女はうつむいたまま微動だにせず、固まっている。


 襟と袖が白地ではあるもののくすんだ紫色のドレスは地味で、彼女の髪が黒色なのも合わさり慎ましい雰囲気を纏っている。


 特段目立つ存在ではないにも関わらず王が話しかけるとは、彼女がなにか王の気に障ることでもしたのか。


 周りとしては怯えと不安しかない。重苦しい空気が漂う中、ゾフィがクラウスに問いかけようとした。


 そのとき、声をかけられた女がおもむろに顔を上げる。ゆるく束ねられている艶やかな涅色(くりいろ)の髪がはらりと落ち、その両眼で目の前の男をしっかりと捉える。


 彼女の瞳は闇夜に輝く月を表したかのような澄んだ琥珀色だった。


 クラウスは彼女の顔を改めて確認し満足げに微笑む。しかし女は表情を硬くしたままだ。


「なんのおつもりでしょうか?」


 感情がまったく乗っていない冷淡な声だが、クラウスはさして気にしない。


「聞いていたはずだ。この国と我が王国との友好の証に、こちらの望むものはなんでもいただけるらしい」


 やおらに女の頬に手を伸ばそうとしたが、すんでのところで彼女はかわす。


「残念です。偉大なるアルント王国の国王陛下の目が節穴だったとは」


「レーネ!」


 悲痛と非難が混じった声でゾフィが叫ぶ。顔面蒼白となるノイトラーレス公国の面々に対し、ルディガーをはじめとするアルント王国側の人間は眉をひそめた。


 ゾフィはすぐさまクラウスに近寄り頭を下げる。


「大変失礼いたしました、陛下。どうかこの者の無礼をお許しください」


 必死なゾフィに目もくれず、クラウスは眼前の女から視線をはずさない。


「かまわない。それにしても節穴とは心外だな。お前は彼女の実姉だろう」


 そこで初めて女の、レーネの瞳が揺れた。ゾフィも同じく動揺の色を浮かべている。伝染するかのように辺りがかすかにざわめきだした。


「ノイトラーレス公国君主ゾフィ・ノイトラール女王の実の姉、マグダレーネ・ノイトラール王女を望んでいるんだ。国益としては十分だ」


 念押しする口調で告げると、王は今度は容赦なくレーネの(おとがい)に手をかけて彼女に触れた。それを振り払いレーネは一歩下がると伏し目がちになる。


 事実、彼女はゾフィと二歳差になる実の姉だった。


「……わかりました。所詮は小さな公国。アルント王国の国王陛下には逆らえません。国のためにこの身を犠牲にしましょう」


 慇懃無礼(いんぎんぶれい)に語り、レーネはまっすぐにクラウスを見つめた。その瞳は言葉とは裏腹に強気だ。


「ただし条件があります」


「条件?」


 クラウスが尋ね返すと、レーネはゾフィのそばに控えていた無骨な男に視線を送る。

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