2
笑いが収まらずにいると、クラウスが無反応なのに気づく。彼を見ると複雑な面持ちでレーネをじっと見つめていた。
気分を害しただろうかと体を強張らせていると、クラウスの手がレーネの頬に添えられる。続けてゆっくりと顔を近づけられ、彼の形のいい唇が動く。
「そうだ。お前のことには、なりふりかまっていられない」
深い色を宿した鉄紺の瞳に吸い込まれそうだ。瞬きもできず固まっているとおもむろに唇が重ねられる。
軽く触れるだけですぐに離れ、クラウスは改めてレーネに視線を送る。言葉を発しなくても相手がなにを訴えているのかくらいはわかる。
熱のこもった眼差しを受け、レーネは躊躇いがちにぎこちなく目を閉じた。予想通り唇に柔らかい感触がある。
角度を変えて穏やかなキスが繰り返され、次第にレーネの心も落ち着いていく。唇の力を緩めると隙間から舌が滑り込まされ、レーネもぎこちなく応える。
「んっ……」
自然と口からくぐもった声が漏れるが、自分ではどうしようもない。こればかりは他のことと比べ圧倒的に経験不足だ。
正しいやり方などわからないままゆるやかに口内を刺激され懐柔されていく。快楽と不安の波が交互に押し寄せ無意識に逃げ腰になるレーネをクラウスは強く抱きしめた。
その一方で、深くなる口づけ合間に慈しむように彼女の頭や髪を優しく撫でる。その些細な気遣いがレーネの張り詰めた気持ちを和らげていく。
大胆にレーネからも相手を求めようとしたところで口づけは中断された。
残念なようで、肺に空気を送り込み乱れる呼吸を整える。ぼやける視界の焦点を定めようと瞬きを繰り返していると、クラウスが再びレーネの服に手をかける。
たゆんだドレスはあっさりとレーネの白い滑らかな肩を剥き出しにさせ、滑り落ちていく。肌を晒す羞恥心より張り付いていた重い衣服から解放されたことにほっとする。
体から離れたドレスは浮力で湯面に漂い邪魔になるのでさっさと取り払われた。
されるがままだったレーネだが心許ない姿になるとやはり気恥ずかしさが出てくる。相手が服を着たままだから尚更だ。
「……どうして私だけ脱がすの?」
おずおずと尋ねるとクラウスはレーネの顔に手を伸ばし、頬に張り付いている黒髪をそっと耳にかける。
「脱いで欲しいのか?」
余裕たっぷりに返され、レーネは口を尖らせる。そういう話でもない。
「だって、いつも……」
思わず衝いて出たが、先は続けられずに口ごもる。今だけの話ではなくクラウスはレーネを抱くときもあまり素肌を晒さない。
こちらはすべてをさらけ出しているのにだ。彼が自分にいい感情を持っていないと思っていたので受け入れていたが、本当は少しだけ寂しかった。
けっして対等にはなれないと思い知らされているようで。
レーネの顔色を呼んだクラウスは、軽く息を吐くと自身の襟元に手をかけ釦をはずしていく。
シャツの隙間から肌が覗き、思いがけない彼の行動にレーネは目を丸くした。続けてクラウスは困惑めいた表情でレーネの頭を撫でる。
「見せたら、お前が気にすると思ったんだ」
なにを、とは言われなくてもレーネはすぐに悟る。クラウスの左鎖骨には傷に似た痣がある。遠い昔にレーネがつけた、自身の運命を彼にも背負わせた消えない証だ。
クラウスが肌を隠していたのは、まさか自分のためだったとは思いもしなかった。彼の優しさと申し訳なさでレーネはクラウスを直視できず伏し目がちになる。
すると、それを阻むかのようにクラウスはレーネの顎に手をかけ上を向かせた。
「そんな顔をするな。可愛い顔を見せていろ」
レーネは目を瞬かせ、黄金の双眸でクラウスを見つめる。可愛い顔と言われてもどういうものなのか理解できない。戸惑うレーネにクラウスはさらに顔を近づけ囁いた。
「さっきみたいに笑っていればいいんだ」
それだけで十分だ。罪悪感で従わせるなんて冗談じゃない。
一瞬の静けさがふたりを包み、先に動いたのはクラウスで、おもむろにレーネに口づけた。彼女の柔らかい唇の感触を堪能するように幾度となく重ねる。
レーネも受け入れる姿勢で、クラウスは満足気に彼女の肌に触れる。しかし、じんわりと皮膚が汗ばんでいるのに気づき、素早く唇を離した。
驚いた面持ちのレーネをよく見れば、息が上がっているのも、瞳が潤んでいるのものぼせかけているからだ。
これはこれで艶めかしい姿ではあるので悩ましいところではあるが、レーネの体調が最優先だ。
クラウスはレーネを強く抱きしめると、ごく自然と引き寄せられ、彼女の白い首筋に唇を寄せる。そのまま舌を這わせると、さすがにレーネが身動ぎした。
「な、なんでいつも首にキスするの?」
わずかに距離をとったレーネが、庇うように首筋を手で覆う。
「さぁ? 本能じゃないか」
しれっと返されたが、全然納得できない。不満げなレーネをよそにクラウスは濡れている彼女前髪を指先で掬い上げ、額に口づける。
目をぱちくりとさせるレーネに余裕たっぷりに微笑み、出るようにと促した。体も十分に温まっているので文句もない。レーネはおとなしく従い、先に浴槽から出ようとした。
だが、その前にレーネはクラウスに改めて向き直る。
「クラウス」
名前を呼ばれ、レーネに意識を向けると彼女はしばし迷う素振りを見せた後、柔らかく笑った。
「ありがとう」
レーネは今度こそさっさと浴槽を後にする。残されたクラウスは大きくため息をついた。最後にとんだ不意打ちだ。
これが計算しての行動ならたいしたものだが、そうではないのがレーネの怖いところだ。彼女を前にすると理性も余裕もなくなる。
結局、昔からレーネには敵わない。どんなに時が経ってもこの力関係は不変らしい。おそらくこの先も……。
それも悪くはない。クラウスは微かに笑みを浮かべ、滴が垂れる髪を搔き上げた。




