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 ああ、あのときと同じだ。記憶の中の光景と目の前の景色が重なる。


 レーネは息()き切って森のすぐそばまで来ていた。城の内部から外へ続く隠し通路は変わらずに機能していたのが救いだ。


 前にそれを使って外に出たときは冬の寒さに震えながら必死に枯れた森を駆け抜けた。対照的に今はずいぶんと穏やかな気候で気温も高く、森の葉も青々と生い茂りつつある。


 しかし倦怠感が鉛のように足枷となり、ほぼ空っぽの胃からは何度も胃酸が込み上げレーネの体調は最悪だった。思うように前に進めず、何度も足を止める。


 森に入ると、立派な木々に太陽の光が遮られ辺りは急に薄暗くなる。


 しばらくして、レーネはついに木の根元で膝を折り項垂れた。長い黒髪が地面につくのを気にする余裕もない。


 上から降り注ぐ葉擦れの音が嘲笑に聞こえる。所詮、自分に特別な力などなにもなく、こうして体さえもままならない。


 フューリエンは幸福をもたらす存在とされているが、実際は真逆だ。


「レーネ」


 突然、背後から自分を呼ぶ声聞こえたが驚きはあまりなかった。体に力を入れて立ち上がり、ゆっくりと振り向く。相手は確認するまでもない。


 レーネの予想通り少し距離をとったところで、クラウスが余裕めいた笑みを浮かべていた。


 (ふち)に銀糸の施された紺青のジュストコールに同系色のジレとズボンといつもの出で立ちで、クラバットは身に着けていない。


「思ったよりも早く見つけたな」


 レーネはなにも答えない。どうやらこれを見つけるのも彼の想定内だったらしい。それが早いか遅いかの問題だ。


 違和感を覚えたのは、短剣の隠し場所についてクラウスが一度だけはっきりと明言したことに気づいたときだ。


『そこにお前の探しているものはないぞ』


 最初に彼の自室の書斎机をレーネが荒らした際にかけられた言葉だ。どうして彼は「そこにはない」と言い切ったのか。


 見つけられたくないなら、わざわざ隠し場所の候補を減らさなくてもいいはずだ。なにげなく発言したとも思えない。なにか意図があったのだと逆に考えてみた。


 もしかするとクラウスは最初にわざとレーネに机の中を探させ、そこにはないと印象づけたかったのではないか。


 広い城内で探し物をするなら、いちいち同じところを二度も確認しない。その心理を逆手に、別の場所にあった短剣を一連のやりとりの後で自室にもってきて隠したのだと結論づけた。


 あえてクラウスに説明する義理もないし、彼もわかっているのだろう。レーネはおもむろにクラウスを真正面から見据える。


「茶番はもう終わりよ」


 レーネは唇を噛みしめ、静かに手に入れた短剣を右手にかまえる。クラウスは笑みを崩さず、近くの木の幹に背を預けレーネを見つめた。


「そうだな。今度は中途半端な真似はするなよ」


 剣を向けられても彼は意に介さない。どこまでも優雅な振舞いに、レーネは眉をひそめた。全身がかすかに震えるのを必死で落ち着かせ、短剣を持つ手に力を込める。


 ずっとこのときを待ち望んでいた。


 レーネの金色の双眸がクラウスを真正面から捉えたとき、風が凪いで静寂が訪れる。勢いよく駆け出したレーネはクラウスの左胸辺りを目がけて短剣を突き立てた。


 鈍い音と硬い感触。ゆるやかな風に乗ってひらひらと葉が舞い落ち、止まっていた時が動き出す。


 レーネは柄から手を離せないまま呆然としていた。刀身が食い込んだ先はクラウスの左胸からわずかに横にズレた木の幹だった。


「なん、で」


「お前こそどうした? 土壇場で怖気づいたか?」


 無意識に漏れた言葉には、冷たい返事がある。レーネは動揺が隠せないでいた。


 どういうつもりなのか。剣の扱いにも慣れているクラウスならレーネの刃を避けるくらい容易いはずだ。そのまま返り討ちにすることさえも。


 うつむいて混乱していると、不意に頤に手をかけられて強引に上を向かされた。


「神から与えられた力から解放されたいなら、俺にすべてを押しつければいい」


 先ほどまで浮かべていた笑みは消え、クラウスは無表情でレーネを見下ろす。彼の考えも感情も読めない。けれどクラウスの言い分はもっともだ。


「後悔しているんだろ?」


 続けて発せられたクラウスの短い問いかけは、蓋をしているレーネの心の奥底まで深く届く。瞬きひとつせず硬直し、溢れてくるなにかと葛藤しながらレーネはおずおずと口を開いた。


「……ええ、死ぬほどしているわ」


 皮肉めいた言い方に対し、声は震えている。耐えきれず、言い切ってからレーネの顔が切なげに歪んだ。


「私の運命に……あなたを巻き込んでしまったことを」


 その言葉にクラウスは大きく目を見張り、逆にレーネは伏し目がちになった。言うつもりはなかった思いが、堰を切ったように流れ出す。


「私は傲慢で、自分のことしか考えていなかった」


 神から与えられた呪いにも似たこの力を押しつけるのに、相応しい相手を選んだ気になっていた。


 優秀で出来た人間が王となり、この力を引き継げば本人も民も幸せになると勝手な理想を押しつけた。

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