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3

 その間に腰に腕を回され、ますます逃げられない。かぶっていたフードはうしろにずらされレーネの茶色い髪と共に顔も薄明りの元、晒された。


 それを気にする余裕もなく呼吸困難を起こしそうなほどの長い口づけに頭がくらくらしてくる。


 案の定、先に根負けしたのはレーネの方で、ゲオルクの肩を押して訴えると、静かに解放された。


 脈拍も息もなにもかもが不規則で整わない。体のあちこちが不協和音を奏でて訴える。心臓が壊れそうだ。


「どうしてここに来た?」


 対するゲオルクは息ひとつ乱さずレーネに尋ねた。だが、答えを待たずしてゲオルクは自嘲的な笑みを浮かべる。


「俺が他の女と過ごしているか、わざわざ確認しにきたのか?」


「ち、違う。たまたま通りかかって……」


 苦しい言い訳だ。主であるゲオルクの部屋は城の構造上、最奥にある。偶然通りかかることはまずない。


「なにが狙いだ?」


 じりじりと追い詰められていく感覚に心臓が早鐘を打ち出し、冷たい声とは裏腹に触れられた箇所は熱を帯びていく。


 ゲオルクはレーネの左目を覆っている髪に手を伸ばしゆっくりと搔き上げた。


 ひんやりとした空気が肌に刺さるのと同時に両目でしっかりと彼を捉える。揺るがない表情のゲオルクを見ていると、レーネの中でギリギリまで(とど)まっていたものがついに溢れ出す。


 どうしてここに来たのかって? そんなの私が知りたい。ただ――


「……会いたかった。あなたに会いたかったの」


 嘘でも取り繕ったわけでもない。レーネの素直な気持ちだった。しかし口にしてすぐに後悔する。彼に伝えるべき内容ではない。


「勝手だな」


 ゲオルクは複雑そうに顔を歪め、レーネの白い首に手を欠けた。突然の接触に身をすくめそうになるが、ゲオルクは手を離さない。


「人の事情には首を突っこむくせに、自分は絶対に踏みこませない。そばにいて、こうして触れていてもけっして俺のものにはならない」


 低い声色と飲み込まれそうな深い色を宿した瞳にレーネは金縛りにあったかのようだった。瞬きひとつできず、首に回された手は触れられているだけなのに呼吸ができない。


 唇が触れるかどうかの距離までゲオルクはレーネに顔を近づける。


「お前のそういうところが……憎くて愛しくて堪らないんだ」


 言葉とは対照的に声は切なげでレーネは目を見開く。ゲオルクは硬直しているレーネの首筋に顔を埋め、喉に唇を押し当てた。


 勝手なのはどちらなのか。獰猛な瞳で射抜くくせに、触れ方はひどく優しい。


 抵抗しないと。ここから逃げ出さなければ。


 もうひとりの自分が必死に訴えてくる。頭ではわかっているのにどうして行動に移せないのか。


 肌に触れるゲオルクの手が、添わされる唇が異様に熱くて、胸が詰まる。不快さを感じない自分が情けない。


 うっすらと視界が涙の幕で滲んだそのとき、ゲオルクの動きが止まった。そしてレーネの頬にて添え心配そうにこちらを窺う。


「レーネ」


 目をしっかり合わせ名前を呼ばれ、レーネは今度こそ泣き出しそうになった。


 ゆるやかに距離を縮められ、レーネはぎこちなく目を閉じる。続けて唇が重ねられ、長くて甘い口づけが始まった。


 心の中で自分を罵倒しても、結局は彼を拒めない。


 だって初めてなの。私に名前を与えてくれて、こんな外見にも関わらず普通に接してくれたのは。



 相手の寝息が規則正しくなったのタイミングで、レーネはそっと体を起こした。冬は朝の訪れが遅く、また部屋の中は薄暗い。


 寒さに身震いし、脱ぎ捨てたシュミーズを素早く着て同じくベッド脇に落ちているローブを確認する。


 常に肌身離さず持ち歩いている短剣を袖口に確認し、手に取った。そしてまだ眠っているゲオルクの方へ体を向ける。


 鉄紺の瞳は閉じられ長い睫毛が影を作りそうだ。柔らかい黒髪が無造作に散り、寝顔はどこか幼さが残っていて無防備そのものだ。


 レーネは一度唾液を嚥下(えんげ)し、そっとベッドに膝を立てる。わずかに軋む音がしたが、ゲオルクが起きる気配はない。


『相手がなかなか隙を見せないのなら寝込みを襲うのも手ですよ』


 カインからのアドバイスが頭を過ぎる。


 今なら、終わらせることができる。元々警戒心の強いゲオルクだ。こんな絶好の機会はおそらくもう訪れない。


 この短剣を彼に突き立てれば、長年の苦しみから解放される。自分の血を引いた片眼異色の娘たちも、もっとまともな人生を送れる。


 レーネは両手で柄を握り、短剣を振り上げた。


 あとは勢いをつけ振り下ろすだけだ。この手を血で汚す覚悟は最初にしている。


 しかしレーネは力を抜き、その場で固まっていた腕を下ろして項垂れた。しばらく黄金の短剣を見つめ思い悩み、ゲオルクに背を向ける。


「レーネ?」


 ところが不意に呼びかけられ、レーネは心臓が止まりそうになった。とっさに手にあった短剣をベッドの下に広げてあるローブの上へ落とす。


「どうした?」


 答えを迷っていると、腕を引かれベッドの中へと戻される。急な温度差にレーネの体は反射的に身震いした。自分の体温を分け与えるかのごとく、ゲオルクは彼女を強く抱きしめる。


「冷えているな、風邪をひく」


 まさか心配されるとは思ってもみなかった。レーネは声を振り絞る。


「起こして……ごめん」


 よほど声色が神妙だったからか、ゲオルクは苦笑してレーネの頭を撫でた。レーネはうつむいて顔を上げようとしない。


「べつに元々あまり深く眠らない方なんだ。むしろ久しぶりによく眠った。お前がそばにいてくれたおかげだな」


 優しい言葉が、今はすべて(えぐ)られるような痛みに変わる。密着し相手の心音を直接聞くと、胸が張り裂けそうになった。


 もうこれ以上、彼のそばにはいられない。


 どちらにしろ神子の命はあと数年だ。やはり自分は普通の人間ではない。こうして一緒に眠りにつくことさえできない。


 左目を隠し素性も明かせないままなのも、もう限界だ。ゲオルクが探ろうとしなくても、どこかで情報は漏れる。


『彼が神子さまを大事にするのは当然です。あなたの力でここまで来たのですから』


 ふとカインの言葉が蘇り、レーネは顔をしかめた。ゲオルクが自分を求めた理由は、この際なんでもいい。レーネが消えたらゲオルクはきっと目を覚ます。


 私がいなくても彼は王になり、相応しい……それこそ普通の女性を見つけるわ。


 さっきから胸が痛むのは、自分の願いが叶えられないからなのか、目的を達成できない不甲斐なさからなのか。


 わからない。どうしてこんな気持ちになるの?


 抱きしめられている腕の力が強く、しばらくは抜け出せそうにない。離してほしくて、離さないでほしい。相反する感情が揺れ動く。


 たくさんの人生を経験し、記憶と知識を蓄積してきたが、こんな複雑な思いを抱くのは初めてだった。

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