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 不意に自分の近しい人間の囁きが蘇る。


 彼女は普通の人間ではない。人智を超えた力を持ち、幾度となく奇跡を起こしてきた。未来を予言し、的中させ、人の心を読み、根治不可能とされていた病や怪我をも癒す。そばにいるだけで幸運や富、成功をもたらす。


 (ゲオルク)彼女(レーネ)を手に入れたから今の地位を得たのだ。


 周囲の雑音は不快そのもので、ゲオルクは顔を歪め奥歯を噛みしめる。


 レーネのおかげと言われるのが腹立たしいわけではない。現にゲオルクが今の立場にいるのは、レーネの功績が大きいのも事実だ。


 そこではない。どうして誰も彼もが彼女を特別視するのか。


『魔女か聖女の化身ではないかと』


 馬鹿らしい。レーネは普通の人間だ。この一年そばにいてそれだけはわかる。怪我もするし、体調も崩したりする。髪も伸びて、出会った頃よりも大人びた。


 ゲオルクは淀む気持ちを切り替える。


「そんなに楽しみなのか?」


 迎冬会の話だ。レーネはきょとんとした面持ちになった後、省略されていた言葉を理解し、大きく頷いた。


「もちろん。あなたに素敵な伴侶が見つかるように願っているわ」


 これに面食らったのはゲオルクだ。まさかレーネにそのような目論見があったとは思ってもみなかった。


「興味……ないな」


 平常心を装って答えると、レーネが途端に口を尖らせる。


「そんなこと言わない! あらゆるところから娘や縁者だの年頃の女性を紹介されているのに、あなた見向きもしないじゃない」


「今は、そんな気はない」


 ぶっきらぼうな返答は、対照的にレーネをさらに熱くさせる。


「だから、そんな気が起こるように迎冬会を開くんでしょ? たくさんの女性がいらっしゃるだろうからひとりくらいあなたお眼鏡に(かな)う人もいると思うんだけれど?」


「大きなお世話だ」


 温度差を感じずにはいられない応酬を終え、レーネは軽く息を吐いた。


「もちろん無理()いはしないわ。でも連日、花嫁候補を紹介されるのも飽き飽きしているんじゃないかと思って」


 それは図星だ。こういうときに感情論で押し付けないのはレーネらしい。ゲオルクはそれとなく水を向ける。


「……お前なら、どんな基準で伴侶を選ぶ?」


 質問される側になったレーネは律儀に考え込んだ。


「そう、ね。とりあえずひとつアドバイスをするなら、気位の高いあなたが(ひざまず)いてもいいと思える女性にしなさい」


 答えをはぐらかされ気もするが、この際はおいておく。ウインクひとつ投げかけるレーネにゲオルクは呆れ顔だ。


「お前はそうやって男を跪かせてきたのか」


「私のことじゃない。昔読んだ童話にそういう話があったの」


 真顔でレーネが答えた後、しばし間が空く。レーネが不審に感じたのとゲオルクが肩を震わせたのはほぼ同時だった。


 レーネとしてはまったく予期せぬ展開だ。驚くレーネに対し、目の前の男は口元に手をやり笑いをこらえている。


「な、なに?」


「いつもは確信をもってあれこれ自分のことのように語るくせに、恋愛においては子どもの童話からの高説か」 


「しょ、しょうがないでしょ。これは、すごく難しい問題で……」


 思わぬ指摘にレーネは早口で捲し立てるものの言葉尻を濁すしかない。


 実際にレーネは愛や恋などと無縁に生きてきた。愛も恋も知らない。勘違いだけならたくさんしてきた。傷ついて、そのたびに悟る。


 優しくしてくれるのは、大事にされるのは自分が神子だからだ。愛し愛され、愛し合うとは、どういうことなのか。きっと永遠にわからない。得ることもない。それ以前に――。


「私、こんな外見だし」


 片眼異色の運命はこの先もずっと背負っていかなくてはならない。無意識に本音が漏れ、レーネは慌てて取り繕う。


「ゲオルクなら、私の助言なんてなくても女性の扱いはお手の物でしょ」


「……そうだな」


 膝を抱えて素っ気なく返すと、あっさり返事がある。もうこの話題は終わりだ。


 そう思って立ち上がろうとしたレーネだが、不意に力強く腕を引かれ、思わずうしろに倒れ込む。


 先ほどと同じくやや湿り気を帯びた草の感触が背中にあって、横を向けば同じように寝転んだゲオルクと目が合う。鉄紺の瞳にじっと見つめられレーネの心臓が跳ねた。


「どうしたの?」


「お前に聞きたいのは、猫の飼い慣らし方だ」


 突拍子のない質問内容にレーネは目を瞬かせる。


「あなた、猫を飼うの?」


 それは初耳だ。ゲオルクはレーネの問いには答えず、そっと彼女の頭を撫でだす。


「気ままで、気まぐれで、警戒心が強くなかなか心を許さない。なにを考えているのかわからないんだ」


 低い声色と真剣な眼差しにレーネはわずかに戸惑う。そこまで深刻になる話なのか。とりあえずゲオルクとは対照的に明るく切り返してみる。


「それはしょうがないわ。猫はそういう生き物よ。私も昔、飼っていたから」


 といっても神子と呼ばれるさらに前の話だ。レーネは必死に記憶を辿る。


「なかなか懐かなくて、やっと仲良くなれたと思ったらある日突然いなくなっちゃって」


「なぜ?」


 レーネの話を聞いていたゲオルクが反応を示す。しかしレーネとしては続きを言うべきか少しだけ迷った。


「……死期を悟ったんだろうって。猫は弱ったところを見せたがらないから」


 躊躇いがちに答えるとゲオルクはそっとレーネを抱き寄せた。とくに彼はなにも言わないが、伝わる温もりは確かなもので、レーネの気持ちを落ち着かせる。


 もしかして慰めてくれている?


 そう結論づけてレーネは目を細めた。


「ありがとう」


 小さく呟くと、ゲオルクは腕の力を緩めて、レーネの長い前髪をそっと搔き上げた。反射的に晒された左目を閉じると次の瞬間、瞼に口づけが落とされる。


 驚きで目を開ければ至近距離でゲオルクと目が合う。


「俺は嫌いじゃない」


 なにを、と言わなくても彼の言いたいことはすぐに理解できた。たった一言でレーネの中のなにかが込み上げてきそうになる。


 初めて会ったときから、ゲオルクは左右で色の異なるレーネの瞳を見ても動じなかった。さらには月に喩えて『レーネ』という名前まで与える始末だ。


 顔を見られたくなくて今度はレーネ自らゲオルクに身を寄せる。そして一際明るい声で話題を振った。


「さっきの質問だけれど……ある程度、猫に関してはしょうがないと思うの。気ままで気まぐれで、でもそこが可愛いんじゃない?」


 真面目に回答が返ってきて、ゲオルクは虚を衝かれつつ優しく答える。


「そうかもしれないな」


 続けてレーネを力強く抱きしめると、彼女の長い髪に手のひらを滑らせ、細い腰に腕を回した。


「……だが、勝手にいなくなるのは許さない」


 小さく呟かれた言葉はすぐに風の音に溶ける。レーネは複雑な面持ちで今後のことを考えていた。

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