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「本当に終わらせたいですか?」
どうでもいいと投げやりになっている神子にカインは真顔で尋ねた。
「カイン?」
いつもは呆れて諌めてくる彼が珍しく真剣な面持ちだ。
「終わらせる方法がないわけではない」
先が読めた神子は脱力し、わざと肩をすくめ言葉を継いだ。
「ええ、知ってるわ。契約時に神様が言ってたから。誰か他の人間にこの力を渡せって」
「その具体的な方法まで覚えていますか?」
おどける神子に対し、カインの声の調子は変わらない。
「それは……」
急に歯切れ悪くなる神子にカインはしばらく待つように告げた。神子はだらしなく姿勢を崩し高い天井を仰ぎ見る。
神託を受けるためにと仰々しい建物が作られた。しかし実際に彼女が神と呼ばれる存在と契約を交わしたのは一番最初だけ。
あれからここでなにを祈ろうと、願おうと変わらない。あるのは積み上げられた膨大な記憶から得られた経験則と知識だけだ。
「お待たせしました」
神殿の奥から現れたカインに体勢を戻さず視線だけを向ける。彼はやや古びた木製の長方形の箱を手に持っていた。片手で持てそうな大きさだが、彼は恭しく両手で抱えている。
「なに?」
「あなたがよく知るものですよ」
怪訝に尋ねるもカインは表情ひとつ変えず、神子の前に跪く。
「どうぞ。あなたに返すときがやってきました」
緊迫した空気に神殿内の温度が心なしか下がる。神子は息を呑んで慎重に箱に手を伸ばした。
おそるおそる蓋を開け中身を確認し彼女は青ざめた。
「どうして!? どうして、これを?」
激しく狼狽するのも無理はない。箱の中には黄金色の短剣が収められていた。
本物かどうかなど疑う余地もない。見た瞬間、電流に似た記憶の雷が体を打つ。遙か彼方、神と契約を結んだ際に自身に振り下ろされた金の刃に思わず身震いした。
「私が先祖が、何代も前のあなたから話を聞いて、この短剣を密かに探し出していたんです」
神子は短剣からカインに視線を移す。
「いつか神子さま本気で終わらせたいときが来たら、これを差し出すようにと……」
「でも、どうして?」
淡々とした口調に対し、神子はあきらかに動揺していた。カインの一族とは長い付き合いだ。けれど短剣の存在など今まで微塵も匂わせなかった。それを今になってなぜなのか。
「我が一族は主に口承で神子さまと我々に課せられた役目について語り継いでまいりました。その中で、あなたがずっと思い悩んでいることも」
神子はわずかに顔を歪め、うつむく。自分の運命が変わらず繰り返されるように、カインの一族もまた生まれたときからその宿命を背負わされている。本人の意思など関係ない。
「終わらせるということは、あなた自身の手でこの短剣を誰かに突き刺すということです」
そこまでする覚悟はありますか?
そう続けられたのは現実か否か。
「……マリーが好きな人ができたって話してた。でも外部の人間だから諦めないといけないって。ミリアンは海が見たいらしいの。本で読んだけれど本当にあるのが信じられないって」
たどたどしく村の娘たちについて語る。神子の立場ではあるが、同じ年頃の娘とはそれなりに親しくしている。神子自身があまり特別扱いを望まず彼女たちに声をかけているというのもあるが。
そこで聞くのは楽しい話ばかりではない。自分の影響を受け、左目が金色となり生まれてきた彼女たちの苦悩も含まれていた。
両方の瞳の色が異なる場合がほとんどで、その見た目から外部の人間には恐れられるのは長い村の歴史からわかりきっている。
おかげで本人の希望とは裏腹にこの狭い村から出ずに生涯を終える者が大半を占めていた。
たった一度きりの人生を諦めて過ごす。そんな者たちを嫌というほど見てきた。それはすべて自分の身勝手な神との契約のせいだ。
神子は唇を噛みしめ、顔を上げる。髪で隠れていた視界が開け、カインをまっすぐに見つめた。
「終わらせたい。……終わらせないといけない。そのためなら、誰かに刃を突き立てる覚悟はあるわ」
曇りひとつない左右で異なる色の瞳がカインを射貫く。彼もまた覚悟を決めた。
「わかりました。ならばこの命をかけてでもあなたにお仕えします。しかし、すぐに行動には移せません」
「そうね」
そもそもこの力を譲るにしても、相手を誰にするかという問題はある。当然、誰でもいいわけではない。
できれば無理矢理押しつけるよりも自ら記憶保持を望む者が有難いが、どのようにして探せばよいのか。
「権力者はいかがでしょうか?」
「権力者?」
カインの提案にレーネはおうむ返しをする。彼は力強く頷いた。
「富や名声、権力を手に入れた者が次に欲しがるのは、たいてい不老不死です」
「この力は不老不死じゃないけどね」
苦笑して答えたものの、カインの言うことは一理ある。幾人もの人生を通して見てきた時の権力者は強欲で絶対的な力を欲しがる傾向にあった。
「でも、一歩間違えれば大惨事ね。私欲に駆られる権力者は多い」
この力を手にしたとき、それが果たして世のためになるのか。下手すれば、反永続的に恐怖政治が行われていく。
「だから見極めるんです」
神子の心配を断ち切るかのような凛とした声でカインは言い切る。
「あなたの目で、その力を与えるのに相応しい人物かどうかを」
神子は大きく目を見開いた。決めるのは自分自身だ。
「外に出られるの?」
「出ること自体は簡単です。しかし、一定数あなたが神子ではなくなると不利益を被る存在がいる。彼らは反対するでしょう」
神子の並々ならぬ知識によって村は閉鎖的にも関わらず栄えてきた。彼女から得た知識を他者に売り、利益を受ける者もいる。そういった存在も神子は黙認してきた。
きっと簡単な道ではない。うまくいかない可能性も高い。でも、繰り返される同じような人生を歩むのはたくさんだ。この力で他者の生き方まで縛るのも。
「やってみせる。どんな結果になっても、行動しないとなにも変わらない」
強く決意した神子の瞳は揺るぎないものだった。




