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 体勢と体格差もあって上手く拒否できず、レーネはぎゅと身を縮める。抵抗すればするほど、面白がられるだけだ。


 どうせ彼にとっては嫌がらせのひとつに違いない。寝るのも同じだ。気持ちが伴わなくてもできるならこの行為にも意味はない。


 わかってはいてもレーネはどうしても受け入れられなかった。


「……やけに具体的に言うが、お前にはそういった相手がいたのか?」


 降ってきた声は意外にも嫌味っぽさはなく、むしろ素に近い感じがした。だからか構えていたレーネの心がいくらかほぐれ、素直に答える。


「恋人だって言われる人たちを見ていたらそんな感じなのかなって」


 レーネとゾフィの両親はとても仲睦まじく、いつもお互いに思いやって幸せそうだった。


「あとは、本に登場する恋人同士たちも……」


 そのとき話を聞いていたクラウスが突然吹き出したので、レーネはとっさに顔を上げた。


「な、なんで笑うの!?」


 意図せずレーネまで本来の調子で尋ねる。クラウスはおかしそうに目を細め、笑いを(こら)えていた。


 彼のこんな表情を見るのは初めてで、つい目を奪われてしまう。クラウスは目元に手をやり、笑いを収めると改めてレーネを見た。


「相変わらず愛や恋に関しては本の受け売りか」


「なっ!」


 思わぬ指摘にレーネの頭に血が上る。怒りか羞恥か原因ははっきりとわからない。


「わ、私だって」


 とにかく言い返そうとするが言葉が続かず、レーネは渋々押し黙った。クラウスの言い分はある意味、正しい。


 恋を知っていたら、本物の愛がわかっていたら、なにかが違っていたのかもしれない。


「レーネ?」


 なにも言い返してこないレーネを不思議に思ったのか、クラウスが確認するように名前を呼ぶ。レーネはうつむくと彼の顔を見ずに一方的に叫んだ。


「寝るだけの相手を恋人だと呼ぶあなたに馬鹿にされたくない!」


 揚げ足を取った反論は、我ながら子どもみたいだと自覚はある。けれど痛いところを突かれたのも事実で胸の中が(よど)んでいく。


 愛は尊いものだと理解できても、レーネにはわからない。いつかの再会を夢見てクラウスに恋をするゾフィはレーネの憧れそのものだった。


 あんなふうに誰かを慕えたらと何度思っただろう。それは自分には無理な話だった。


「馬鹿にしていない」


 重たい空気の中、クラウスの大きくない声がはっきりと通った。そして顔を隠しているレーネの髪をそっと彼女の耳に搔き上げる。


 頬が空気に晒され、レーネはばつが悪そうにおずおずと目線を上げた。すると、すかさずクラウスはレーネの頬に手を添え、額に口づける。


 柔らかい感触にレーネは目を見開くと続けて慈しむように瞼に、目尻から鼻梁に唇が滑らされた。


 丁寧な扱いに困惑するものの、先ほどみたいに拒みはしなかった。代わりに黄金色の双眼で真っ直ぐに訴える。


 馬鹿にしているんじゃないとしたらなに? (あわ)れんでいるの?


 問おうとしたが、男の手が顎にかかり下唇に親指が添わされ、言葉どころか動きまで封じ込められる。


 無言で見つめ合い、お互いの吐息を感じるほどの距離でクラウスが囁いた。


「ただ、()でたいだけだ」


 そのままおもむろに唇が重ねられ、レーネは目を閉じる余裕もない。とっさに顎を引きそうになったが、再度口づけられる。


 柔らかく唇を()み、時折舌で刺激されながら唇が離れるか離れないかを幾度となく繰り返しキスは続けられた。


 強引だけれど優しくて、戸惑いしか起こらない。それを表すかのように中途半端に彷徨(さまよ)わせているレーネの手をクラウスが取った。


 ゆるやかに指が絡め取られて握られる。


 重ね合う唇から、捕まった手のひらから、相手の温もりが伝わってくる。それは次第に自分の中で熱量が増幅し、じりじりと焦がされていく。


 そっと解放され、一番に感じたのは物足りなさだ。そんな自分にレーネはすぐに嫌気が差す。


 クラウスは繋いだままのレーネの手を己の口元に持っていくと、彼女の指先に軽く口づけた。


 悔しいが、どんな仕草も様になる。胸の鼓動が早いのは、自身のペースを乱されているからだ。それだけの理由に他ならない。レーネは必死に言い聞かせた。


 思考を内側に巡らせていると、突然抱きしめられる。密着する部分が増えたかと思えば、続けて首筋に口づけが落とされた。


「やっ」


 柔らかく湿った感触は独特で、こそばゆさで反射的に身をすくめる。しかし体勢が体勢なだけに逃げられない。


 足をばたつかせても無意味で、その間もクラウスはレーネの白い首筋にゆるやかに唇を這わせた。


 湯浴みの影響かレーネからほのかに甘い香りがして、酔わされていく。さらに声を押し殺しても、面白いほど素直に反応を見せるレーネに煽られ、舌と唇で彼女の柔肌(やわはだ)を堪能する。


 その際、昨日の夜にいささか乱暴に彼女の喉元につけた痕が目に入った。時間が経ったからか、色合いが余計に痛々しい。そこに口づけるとレーネの肩があからさまに震えた。


 表情を確認するため顔を上げると、不安混じりにこちらを見ているレーネと目が合う。衝動的だったにせよ、昨日の行動はやはり軽率だった。クラウスは内心で舌打ちする。


 そんな顔をさせたくて、そばにおいたんじゃない。手に入れたかったのは、けっして傷つけて苦しめるためでもない。


『どうしてわざわざ隠したりしたの?』


 決まっている。彼女を自分のそばに(とど)めておくためならなんだってする。仮初めの蜜月を味わってなにが悪いのか。所詮、泡沫(うたかた)なものだったとしても。


 しかし、レーネにとっては目的を果たすためとはいえ、自分のそばにいるのは苦痛でしかないのかもしれない。整った顔を歪めるクラウスにレーネはおそるおそる切り出す。


「だから、こういうのは……」


 さっきからなにをそんなにこだわるのか。クラウスはレーネの言いたいことを汲み、先に言い切る。


「恋人などいないし、必要ない。こんなに可愛い妻がいるんだ」


 男の口から紡がれた言葉に、レーネの瞳は満月のごとく丸くなる。


 クラウスはレーネの頬に手を添え、自分の額を彼女の形のいいおでこに重ねた。レーネの視界に自分だけが映るほどの距離に満足し、しっかりと彼女に言い聞かせる。


「お前がいれば十分だ。言っただろ、存分に愛でてやる」


 レーネの瞳が切なげに揺れる。それを見て今度は強引に口づけた。返事はいらない。聞きたくもない。

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