第03話 神殿勇者
「ふん、結局、聖女は勇者の手に落ちてしまったか」
「残念です。彼女は我ら神殿にこそ味方するべき存在なのに」
神官長が、国王から呼び出されて何事かと王宮に行ってみれば以前ロクに話もせずに出て行った勇者がいた。
聖女を連れ帰り、更にその聖女と共に自らの前に膝を折る勇者に対して国王の喜びはひとしおで、今からでもパレードをと言っていたが、既に神殿騎士団のパレードも行い、更にライナルトを勇者として紹介した後では民衆が混乱するという神官長の進言にそれは渋々諦めた。
危なかった。
女神の勇者を大々的に紹介されてはやっと前進した私の計画がまた一歩後退するところだった。
邪魔をさせるものか。
「仕方があるまい。聖女に魅了は何をしたところで効かぬ。勇者とともにある今となっては強引な手は取れぬし、説得も効くまい。ま、元々歴史上では勇者降臨時に聖女はおらぬし、民衆とてなんら疑問は持たぬ」
最も、聖女のいた村……
あの村の者が下手に聖女のことを触れ回らぬよう監視は必要であろうがの。
神殿騎士団より幾人か人員を割いて監視に送っておくか。
理由は聖女を輩出した村の保護とでもすれば道理は通る。
神官長の考えは思わぬ所で村の思惑と一致することとなった。
「聖女の助けなど無くとも、それ以上に優秀なパーティーを揃えれば魔王封印に問題は無い事を歴史が証明しておる。わかっておるな? ライナルト」
「はっ」
半月ほど前、ライナルトには既に神殿の奇跡の術を施してある。
今はその奇跡に慣れるべく特訓を続けているところだ。
呪文魔法に関してはほぼ完璧に使いこなせるようになったと言ってもよいだろう。
勇者のように無詠唱とまではいかないものの、溜めはほぼ無いくらいに短くなっている。
これなら詠唱を聞いてから効果を判断し、ピンポイントに対抗しようとするのはかなり困難であろう。
後は、魅了の力を使いこなせるようになっておれば……
……
…………
………………
「魅了とはどのような力なのですか?」
「うむ。魅了の術は一種の状態異常魔法とも言える。魅了をかけられた者は、大まかに言えばカリスマ耐性が下がる」
「カリスマ耐性ですか?」
「人は自分よりより優れた者に程度の差こそあれ、憧れ、心酔する。その優れていると思わせる基準が下がるという事だ」
「なるほど」
「術にかかった相手に対し、かけた側のカリスマが上回れば魅了成功だ」
「基準はかかった者側のカリスマに対する想いの強さ……と言ったものですか?」
「そうだな。魅了は精神攻撃である以上、相手の精神状態にも左右される。術者が元々その者にとって高い魅力をもっていればかかりやすいし、そうでなければかかりにくい。必ずしも固定した結果を出すとは限らん」
「そういうものなのですか」
ライナルトは失望を少しその顔に浮かべながら言った。
「そうだ。故に最初から身構えた相手にもかかりにくいし、無関心の者には無意味だ。そもそも人間とは精神状態の異なる相手、例えば獣や魔族相手にも無理で、せいぜい亜人までが対象だ。そして、元から精神力の強い相手にもかかりにくい」
「それは…… なんというか」
「更には魅了した術者より、魅了された者にとってより高い魅力を持つ者から精神的な刺激を受ければ魅了は解除される」
ライナルトは遂に呆れた気持ちを口にせずにはいられなかった。
「制約が多い上に弱点まである。それは果たして使い物になるのですか?」
「要は多くの準備が必要な儀式を簡素化して、その効果を簡単に早く出すことが目的の術だからな」
「なるほど、そう考えれば少しは使い出がありそうですね」
「うむ、元々は女神が勇者に与えるスキルであった魅了を参考に作られた物であるが、そこまでの効果はだせんかったようだ。その魅了も何代も前の勇者からは与えられることも無くなったようであるし、今となっては魅了と言えば神殿のスキルだな」
神官長は少し遠い目をしながら言った。
そして思う。
女神の魅了さえあればと。
「女神の魅了とはどのような?」
「大した物であったようだぞ。これがあれば殆ど戦闘する必要は無く、魔族相手ですら関係無く効果を発揮し、魅了だけで魔王以外のほぼ全てが終わるほどにの」
それ故に世界をその勇者本人が滅ぼしかけた黒歴史があるがの……と、神官長は禁書扱いとなった過去の歴史の記録を思い浮かべる。
それに比べればあの程度の事で……と、神官長の脳裏にかつての話がよぎる。
「それは凄い」
「まあ、無い物を考えても仕方は無い。このように弱点の多い魅了ではあるが、ほんの一手間で強力な征服力を発揮するようになる」
「本当ですか?」
「うむ、そうじゃ。儀式を簡素化したというのであれば儀式の一部を取り入れれば良いのだ。今からそれを教えてやる故、しっかりと励んで習得せよ」
「はっ」
………………
…………
……
「それでどうだ? ライナルトの調子は」
神官長は側に控える副官に聞いた。
「はっ、もうかなりの技術を習得した模様です。背教徒すら屈服させるほどには成長しております」
「なるほどのぉ。奴には期待しておったが、そこまでか」
「はい。大したものです」
「見目も良いしの」
「それは大きいですな。はははは」
頃合いかの。
「ならば奴に旅立ちの準備をさせい。今こそ我ら神殿こそが世界の覇を握るときぞ」
「わかりました。そのように」
副官は頭を垂れたまま、後ろへと下がっていった。
くっくっく…… 待っていろ、国王め。
我が望みは貴様らを……
…………
「ライナルト。準備はできておるな?」
「はっ」
「精霊の他に同行させるのはその者か?」
「はい。女神勇者を一番見ている者ですから。リット、神官長様に挨拶をしろ」
「はい」
リット…… カズトが僧侶君と呼んでいた神官である。
彼は今、ライナルトの側に控え、錫杖を手にしていた。
リットはライナルトの指示に従い、神官長の前に進み出ると膝を折った。
「直接のご挨拶は初めてでございます。二級神官を拝命致しました神官リットにてございます。勇者様のお力となり、神官長様のご期待に添えますようしっかりと励みたいと存じております。何卒神官長様より祝福の光を頂きたく存じます」
「うむ。私もお前には期待しておるぞ、リット。女神の光を」
神官長の目の前で膝を折るリットの頭上に、神官長は手をかざした。
そこからほのかな光がリットを照らす。
「女神の光を……」
リットがそれに答え、簡易ながら祝福の儀式が終了した。
これで彼にも下級ながら女神の加護がつく。
「しかし、男を共にするとはの、意外であったぞ?」
「神官長様。この者は最初から我々への忠誠心が高くあります。魅了だけで済みましたよ」
「そうかそうか。いや、そうであろうな。はっはっはっ、お前にそういう興味があるのかと思ったぞ。であれば私もお前との距離を考えねばならぬと思っておった所だ」
「なんと神官長殿もご冗談を」
ライナルトは表情に苦笑いを浮かべる。
「すまぬすまぬ、間違いなく冗談であるぞ。後は土精霊を連れていくか?」
「よろしいので?」
「構わぬ。連れて行け」
「ありがとうございます」
土精霊。
ここで神官長が提示したものは使役制御がそこそこ容易な低級レベルの精霊ではあるが、地面から伸ばす土を変異させたツタ状の触手での拘束能力は怪我をさせずに暴徒の鎮圧などに使うには有効であり、王都の警ら隊や騎士団ではよく使われている精霊である。
勿論、敵の足止めにも使い勝手が良く、一部の冒険者にも使役させている者がいる。
ライナルトは土精霊と契約を交わすと、神官長に対し深く礼をした。
「では早速出立すると良い。まずはどこを目指す?」
「はっ、まずは魔術師から探すつもりでございます」
「なるほどの、魔術師か。その方面に誰ぞ心当たりでもあるのか?」
「いえ、ございませぬが、冒険者ギルドをあたってみようかと思っております」
神官長はライナルトのその提案に対し疑問を口にする。
「あれらは国から独立した組織であるぞ? 協力が期待できるのか?」
冒険者ギルドは冒険者の自由な活動を助ける理念の元、各国と契約を交わしその微妙なバランスを利用して高い独立性を誇っている。
下手に干渉すれば他国との軋轢を生みかねない。
「そこは勿論……」
ライナルトが怪しく笑みを浮かべる。
神官長はその笑みの意味を先の言葉はなくとも正しく捉えた。
「ほほう、そういう事か、なるほどの…… 良いであろう、期待しておるぞ。神の光を」
「はっ、行って参ります。神の光を」
そしてライナルトは中央神殿を後にする。
共にリットと下級土精霊を引き連れて。
その目に以前にはなかった狂気の光を浮かべて……
神官長が頼もしさを覚えるほどに。
◇ ◇
アスベルは町を離れ、エルフの森の周囲に広がる草原を歩いていた。
「たしかこの辺りだったよなぁ」
以前、姉ぇに連れてきて貰ったとき、この辺りから森に入った記憶がある。
入る場所によって襲いかかってくる魔獣の強さに大きな差が出る。
姉ぇは確かにそう言っていた。
夏の眩しいほどの日差しが降り注いでいる草原から見えるその森は、突然暗く怪しい雰囲気となっている。
普通の森ならあり得ないこの光景。
これがエルフの森だ。
「他と僅かに暗闇の濃さが違う…… よし、ここだな」
どこが違うのか傍目にはわからないほどであったが、アスベルの目には僅かに違いが見て取れる。
記憶に残っている周囲の風景もなんとなく一致する気がする。
ここに来たのは何年も前だからあてにはならないとは思いながらも、その何となくの感を信用する事にした。
「さて行くか」
軽く息を吸い緊張を静めると、アスベルは森への一歩を踏み出した。
勇者に対抗するための武器と技を求めて。
森の中に住む弓の師匠、姉ぇの元へ。




