第17話 陥落
くそっ……
リスティを嵌めようとすればするほど自己嫌悪が酷くなる。
気分は最低、何もしたくない。
それでも井戸掘りは予定通りこなさないとな。
それはリスティを連れ出す村への対価であり、今や、村を大事にするリスティへの罪滅ぼしという俺の言い訳でもあるから。
だが、まずは村長だ。
「勇者殿。今日もよろしくお願いしますぞ」
「ああ、あんた達の思惑に乗ってやるよ。結局、俺自身が彼女を望んでいるらしいからな」
「……おおっ、では?」
村長は、俺の言葉を聞いたその瞬間こそ怪訝な顔をしたが、次の瞬間には顔を綻ばせた。
この外道が。
俺も人のことは言えないけどな。
「リスティはまだ納得してない。当たり前だ」
「でしょうな。ですが、朗報には違いありませんな」
「そうか?」
「これでもう、勇者殿はこの村を見捨てる選択は出来ますまい?」
こいつめ。
あくまでそれか?
まずリスティの心配をしないのか?
リスティはただのお前の手駒か?
俺もその片棒を担いでいるとは言え、苛つく。
くそっ。
こんな筈じゃなかった。
「ああ、その通りだ。リスティがどんな選択をしようと少なくとも水の確保はしっかりとしてやるさ。リスティの為にもな」
「ありがとうございます」
「だが、リスティの選択の邪魔はするなよ?」
「は?」
「ここからは彼女の意志だ。もう、あんたの手出しは許さない」
「……わかりました」
踵を返し、今日の井戸掘り予定地に向かって行く。
勇者の力をリスティに使った自分にも嫌悪しながら。
もうこの力はリスティに使わない……
そしてリスティは物陰からその話を聞いていた。
リスティも村長を探していた。
何を聞けばよいのかもわからないまま、とにかく話をしたかったから。
そして、二人が話しているのを聞いた。
こんな状態になったのはやっぱり村長達の手引きなの?
そしてカズトさまは……
やっぱり優しかった。
どうしよう。
嬉しい。
違うのに。
喜んじゃいけないのに。
嬉しい。
どうしよう。
この場に居ないアスベルは彼女の心の中にいる以上に彼女を助けてはくれない。
かたや現在進行で心の内に攻め込んでくるカズト。
リスティの心はどんどんと追い詰められていた。
リスティはその夜も勇者に夕食を届けに行った。
逃げていては気持ちがアスベルに対しても、カズトに対しても揺らいだままになってしまう……
そう思ったから。
「カズトさん、私──」
断ろう。
昨日感じた感覚は確かに違っていたけれど、上手く言えないけれども、それでも何かが違うと思った。
だから、断ろう。
そう思った瞬間、カズトの声が重なった。
「返事の前に、リスティの料理を頂いてもいいかな?」
「あ、はい」
カズトはリスティが用意した食事を喜び、賞賛しては平らげていく。
その笑顔に、言葉にリスティの心がいちいち反応する。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
リスティはそのまま黙って俯いていた。
タイミングを失って、どうしたらいいかわからなくなっていた。
そこにカズトの手が、リスティの手の上に重ねられた。
やっぱり感じるものがある。
だけど昨日とは違う、すごく暖かくて……なのにきゅんして胸が苦しいそんな気持ち。
手が触れる、たったそれだけなのに、その気持ちで心が一杯になってドキドキする。
今までに全く経験したことの無いこの感じ。
なんだろう、昨日と全然違う。
それは仕掛けたカズトすら予想していなかったこと。
カズトは力を使わなかった。
だがリスティの身体は昨日の能力込みで強化された快楽を覚えていた。
その快楽に、外から加えられた勇者の感覚が結びつけられていたのが昨日の事。
それが無くなった事で逆に、今日は憎からず思える相手に触れられたとき自分の中に生まれる心自身に快楽が結びついた。
思ってもいなかった状態に、リスティは困ったままカズトを見つめた。
そこにカズトの顔がゆっくりと近づいてくる。
リスティにはそれを避けようという思いを浮かべることができなかった。
そしてそのまま、リスティの唇にカズトの唇が重ねられた。
きゅっと固く閉じられたままの彼女の唇を、唇を重ねられたままカズトの舌がついっと舐める。
その瞬間に感じた感覚に唇が緩み、そのままカズトの舌が入ってきて、自分の舌が絡め取られた。
リスティの中のきゅんとした気持ちが更に強くなっていく。
この感覚にリスティは泣きたくなる。
なんでこんなに幸せを感じるの?
なんで今までこの感覚を感じたことがなかったの?
感極まって、リスティはカズトにしがみつく。
それを是と受け取ったカズトは、リスティをそっと押し倒す。
同時に、リスティの下に柔らかな厚手の水の板が現れた。
リスティの身体はその上に横たえられる。
カズトはリスティの身体を片手で抱いてキスを交わしつつ、その身を包む衣服をゆっくりと優しく脱がしていく。
それをリスティは抵抗すること無く受け入れた。
一糸纏わぬ姿となったリスティの身体に、全ての服を脱ぎ去ったカズトの身体が触れる。
触れあったところ全てが気持ちいい。
そしてこの人の心が自分の中に入ってきた気がした。
それを私の心が受け入れてる。
もう駄目、あらがえない。
そしてこの人を求めている私の身体も……
「優しくするから」
その言葉にリスティは小さく頷き目を閉じた。
リスティの中が幸せで満たされていく。
その時を境にリスティは少しずつ変わっていく。
それはまず言葉づかい。
カズトをカズトと呼び、今まで母親にしか使っていなかった言葉づかいをカズトに対してするようになった。
これは彼女の中でカズトの位置付けが変わったことを意味していた。
その変化は周囲にも影響する。
リスティが勇者を受け入れた、そう判断した周囲の者達は、初めは村長の支持に従うだけで遠慮がちであったことが、その遠慮が消えていく。
皆が二人を祝福するかのように働きかけることで、リスティの表情がどんどんと柔らかなものに変化していく。
そして、それを見た周囲はますます二人を囃し立てる。
こうして村全体がリスティの変化を更に後押ししていった。
そしてカズトとの距離は更に近くなる。
周りに祝福されることで、もはや人前でもカズトとの距離は近いまま。
それはかつてのアスベルの時とも違う距離。
人前でもここまで男性との距離が近い事に周囲も驚いた。
そうなると彼女自身の積極さも増してきた。
彼女からのキスは最初、触れるだけのものだったが、今では彼女の方からも唇を開き、互いの唇を食みながら舌を絡めてくる事も増えた。
勿論、カズトはそれを受け入れ彼女を愛おしく抱き締める。
そして、ここまできて必ずしも行為が必要でもなくなった。
ただ二人でいるだけで、互いに幸せに浸っていられるようになったから。
ただし、それで夜が衰えたわけでも無く、むしろ更に激しさは増しているとも言える。
心と身体の両方がお互いを求め合う。
それが今の二人である。
更に彼女はとうとう過去にアスベルとしたキスの事を気にするようになっていた。
そして彼女の過去に触れるたび、アスベルに関係することがあれば俺に申し訳なさそうにする姿に、カズトは安堵する。
良い傾向だと思った。
そして彼女はそういうタイプの女性であるということも理解した。
であれば、当然フォローしておくべきだ。
「それは俺がこの世界にいなかったからだよ。リスティは悪くない。今は俺がいる。もうリスティは迷わない。だろう?」
そう言ってやると彼女はこくんと小さく頷いて、俺に抱きついて幸せそうに頬をすり寄せると俺を見つめてにっこりと微笑みんだ。
その、全く疑いのない瞳に俺はつい目を逸らす。
「どうしたの?」
「なんでもない。愛してる」
そう言ってリスティの唇にキスを一つ落として誤魔化した。
「うん、私も。カズト……」
そして返してくるリスティの口づけが俺の心に痛みを落とした。
どうしたらいい……
俺は……
◇ ◇
そして、ある日の事……
「ほんとに? ほんとにほんと?」
「ああ、近いうちにリスティのお母さんに挨拶しに行きたいと思ってる」
「……うわぁ」
リスティの瞳が夢見るような瞳で感嘆の声を漏らし、頬を押さえてもじもじとしていた。
「えへっ、えへへ、へへっ」
俺がそろそろリスティの母親に会いに行きたいと言った途端、こんな風になってしまったのだ。
俺が気にしたのは、リスティの母親はアスベルのことを知っていて当然。
であれば、今の状況はどうなのか…… と今更ながらに心配になったからなのだが……
「リスティ」
「えへへ…… って、な、なに?」
「リスティのお母さんの体調は大丈夫なのか? 挨拶しに行って平気かな?」
取り敢えず、リスティの母に今まで会えなかったのは体調を気にしてのことだと予防線を張っておく。
「平気だけど…… ほんとに良いの?」
「当然だろう?」
「嬉しいっ」
リスティが俺に抱きついて喜びをあらわにする。
こんなに喜ぶとはいったい……
ここまで考えてようやく気付いた。
ああ、そういう事かっ!
しまった、どうする? やめるか?
俺は向こうに帰るという選択肢を捨てられない。
そうなると……
だが……
どうしたらいい。
俺は……
どうしたら……
そして更に数日後、俺はリスティの家の前にいた。
リスティは母親とともに、家の中で待っている……
引き返したい。
だが、脳裏に浮かぶリスティの笑顔が俺を引き留める。
ええい、あれから覚悟を決めただろう、俺は。
だからここに来たんだろう。
意を決し、そして俺は扉を開いた。
「初めましてお母さん。カズトと言います。遅くなりましたがお母さんにご挨拶をさせていただきたく、こちらに伺いました」
入り口で出迎えてくれたお母さんに、俺は緊張を隠せないまま挨拶をする。
リスティも母親の後ろで心配そうに母親と俺を交互に見ていた。
背中に冷や汗すら感じる。
大丈夫か? これでいいのか?
「やっと来てくれたわね、楽しみにしてたのよ。初めまして、カズトさん。リスティの母のアスティですわ。今後とも末永くよろしくお願いしますね」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中の緊張の糸がすっとほどけた。
「あの、俺は……」
覚悟を決め、俺が今回の事を謝罪しようと口を開いたとき、お母さんはそっと目を閉じ首を振った。
「いいんです。私はリスティの母親ですからね。この子がそう決めたのならそれでいいんですよ」
わかっていて、笑顔で応対してくれていた。
今までアスベルという彼と一緒になると思っていたのに、それが急に覆った。
それが普通じゃないことくらいわかっている筈。
何かがあった筈だと。
それでもリスティのお母さんはそれを俺に問いただすことなく、笑顔でいてくれた。
「それに、この子が本気だって事はすぐにわかりましたもの」
「おっ、お母さんっ!」
「あら? 違うの?」
「……違わない……けど」
仲の良い親子だ。
そんな風に和んでいると、急に真面目な顔に変わったお母さんに
「それと…… 貴方もでしょう?」
そう言って、まっすぐに見つめられた。
「あ、え……」
「違う?」
これは、もう…… 本音で話すしかない。
「はい。本気です」
「そうよね。そうじゃなきゃ、そんな顔をして私の前に立てないものね」
「……はい」
降参だ。
結局落とされたのは、俺だったか。
「ありがとうございます。リスティのことは俺に任せてください」
「よろしくお願いしますね」
彼女の、何もかも見透かされたような目で見られて、俺はリスティが心から大事なのだと自分自身を再度見つめ直すことができた。
そして俺と母親のやり取りをみて、嬉しそうに涙をこぼすリスティの顔にこれでよかったんだと思った。
さて、全てが終われば女神よ……
お前自身が言った言葉を最大限に利用させて貰うぞ。
揚げ足取りと言うなら言えばいい。
そして、ホッとしてお母さんを落ち着いて見ることができると、彼女の中に不審な影がある事に気がついた。
なんだこれは。
「お母さん。ちょっとすみません。お母さんの中を観させて貰います」
「はい? それはどういう?」
「どうしたのカズト」
「ごめん、ちょっと気になることがあるんだ。ちょっと精神集中するから待ってて」
「うん」
そして確認する彼女の中に渦巻く黒い影。
これは、神殿の?
なんでここに。
しかもこれは…… 悪意の呪いだ。
「リスティ」
「なに?」
「お母さんは、呪われてる」
「え?」
そしてお母さんを見ると……
まさか、わかってた?
彼女は俺の顔に意図することを理解したらしく、こくりと頷いた。
「どういうことなの? なんでお母さんが呪われてるの?」
「お母さん、心当たりは?」
俺が彼女に聞くと、彼女は首を小さく振った。
「わからないの。この呪いを受けたその時も調べたのだけれど」
そして、彼女がこの呪いを理由に中央神殿を事実上追放されたことを聞く。
当時、筆頭神官でありながら、解除も出来ない魔の呪いを受けたことが問題になったらしい。
この件さえ無ければ、今頃彼女は神官長、その更に上のポストも狙えるほどの人だったらしい。
人々を助けるための神官であって、別にそんな地位に興味は無かったのだけどね、と彼女は笑った。
そしてこの村の神殿が大きい理由もわかった。
彼女が中央の神官であると同時に、故郷であるここの神殿の管理も兼ねていたからだ。
巫女の家系として、巫女の術に詳しく、神官としても有能。
さぞや無敵の存在だったことだろう。
それでも解除できなかったこの呪い。
「解除できないのは当然だ。今も呪いの力が供給されてる」
「そんな? どうにかならないの、カズト」
「元を絶たないと。けどそれは……」
「それは?」
「中央神殿に何かあると思っている。俺がこの世界に来た時は向こうに居たんだけど、その時に感じたものに似てる」
「だったらそこに!」
「勿論行く。リスティのお母さんのことなら俺にとっても無関係じゃない。だが、当時も何もわからなかったって話だろう? 恐らく一筋縄じゃいかない内容だと思う」
俺の言葉にお母さんは同意の意を示した。
「けど、まずは呪いの停止だ」
「停止?」
「ああ。解除は無理でも、呪いの力の供給を防げばお母さんを守ることはできる。そのためには力が流れ込んでくることを常に妨げる魔道具のアクセサリーを作りたいんだけど……」
「アクセサリー?」
「うん」
これからちょっと言いにくいことを言わないといけない……
「リスティが彼に貰ってたっていうアクセサリー。あれを使いたい」
「え? あれ?」
「そう、あれ」
リスティの反応が怖い。
もし、これで再燃したらと思うと……
緊張で思わずツバを飲み込んだ。
「どうしよう。あれはもうアスベルに返そうと思って引き出しにしまってあるんだけれど、使うの?」
「常に身につけていやすいネックレスで、中に封じた術の効果を発揮しやすい、術の種類に適した宝石付き…… その条件を満たしてすぐに使えそうなのがあれなんだよ」
「返せなくなっちゃう」
元カノから突き返されても実のところ困るのがあの手のアクセサリーなんだけどな。
他人にあげるのもなんだし、かといって持っているのもせつない。
そうなれば、捨てるか、売るかだ。
「必要なら買い取りって事でお金渡してもいいぞ?」
それはそれで屈辱だろうが……
彼女を返せ以外の願いなら聞いてあげてもいい気はする。
「それは聞いてみないとわからないけど、聞けないよね」
「そうだな。けど、お母さんのためなんだ。是非使いたい」
「そういうことなら仕方ない……よね。うん、使おう。それでどうすればいいの?」
案ずるより産むが易し。
思った以上に、リスティの中でのアスベルの存在が薄れている。
男は保存、女は上書きという有名な格言が俺の脳裏をかすめる。
そんな根拠が有るんだか無いんだかわからない格言にすら、今の俺は希望を託したかった。
とにかく色んな意味で助かった。
「リスティの力をそのアクセサリーに込めて封じ込める。付与術は俺がするから、リスティはアクセサリーに女神への願いを込めてくれ」
「うん、わかった。カズト、お願いね」
「任せろ」
リスティはアクセサリーを取ってくると、俺とともにそのアクセサリーを握りしめる。
「アスベルとは縁が無かったけれど、このアクセサリーに感謝するよ」
「ああ。アスベルにあった想いは全部その中に感謝とともに込めてやろう」
それでアスベルの事は全てリスティの中から消える……とは口に出さない。
女々しいしな。
「うん。ありがとう、アスベル」
そうして、アクセサリーに聖女の祈りが込められた。
- 封印 -
「それをお母さんの首にかけて、この件が完全に解決できるまではそれを外さないように」
「うん。お母さん、気をつけてね」
「わかったわ。二人ともありがとう。初めての共同作業ね」
そう言ってお母さんは笑った。
その言葉に、リスティは頬を赤く染める。
多分俺もだ。
頬が熱い。
「うふふ、二人とも初々しいわ。若いっていいわね」
そう言うお母さんもまるで年に見えないんだが…………
聞けば、三十を数えるって…… え? 二十九歳?
俺の二つ年上なだけって……え?
リスティを十五歳で生んだのか? え? え? え?
ともかく、出来上がったアクセサリーを身につけたお母さんは急速に身体が動くようになった。
そして……
「王都に行きたいって、お母さん、どうして?」
「いや、送れますけど、何故です?」
思ってもいなかった話に二人で驚いた。
「あの時は体調も少しずつだけど崩れていく一方だったから、リスティも小さかったし、無理を避けて調べきれなかったことが沢山会ったのよ。今からじゃ難しいかも知れないけれど、もう一度調べ直したいなと思ってね」
「いや、それなら俺達も一緒に」
「だめよ? あなたには勇者としての使命があるのでしょう? それを優先しなさい。それに……」
「それに?」
「リスティが聖女なんでしょう?」
「え? 私?」
「わかるんですか?」
「わかるわよ。これでも神官として優秀だったのよ?」
流石、リスティをここまで優秀な巫女に育てただけはある。
……だとしたら、俺が彼女を求めた理由を。
そうして俺が顔を暗くすると、お母さんは明るい声でそれを否定してくれる。
「いやねぇ、心配しないのカズト君。そりゃ最初はあなたがリスティを欲しがる理由はそれじゃないかって思ったわよ。でもあなたを見て、話して、今はそれが全くの杞憂だったってわかってるわ。リスティ?」
「うん」
「だからあなたも何も心配しなくていいからね。この人はあなたの何もかも全てを含めて運命の相手だから」
「お母さん……」
「お義母さん……」
俺の彼女を呼ぶ言葉の意味がこの瞬間変わった。
そして、それを彼女も理解してくれた。
「あらぁ? 嬉しいわ。うふふ。そう。そうよね。うんうん」
そして彼女は俺を真っ直ぐに見て言う。
「だから、あなたのお義母さんを信じなさい。私がちゃんと調べておくから」
「はい」
「なに? お母さん、なにがあったの? カズトも何を嬉しそうなの? 教えてよ」
「そうねぇ。将来が楽しみになったってことよ」
「それじゃわからないよ」
「いいのよ。あなたはそのままで大丈夫だから」
「もうー」
両親を失って祖父母と暮らす生活が楽しくなかったわけじゃない。
だが、こんな幸せも知らなかった。
だから倒す。
魔王を倒して、元の世界に戻るんだ。
そして……
「それじゃあ、向こうに住まいを見つけたらすぐに送ります」
「お願いできるかしら」
「頼んでみますよ」
頼めるよな、僧侶君。
僧侶君は勿論俺の願いを断ることはなかった。
そして俺は彼を王都に送り届け、宿が見つかったら連絡を貰えるよう通知の魔道具を渡す。
文は送れないが、この青い魔道具が赤くなったら住まい確保の合図とした。
「それじゃあ頼んだよ」
「お任せ下さい勇者様。勇者様の願いで、聖女様のお母上の為にお住まいを探すのですから、大変な名誉です」
「ありがとう」
俺は僧侶君と別れ、村へと戻った。
そして間もなくサインが送られてきて、俺はお義母さんを王都へと送り届けた。
そうなれば、一人になったリスティの家に俺が転がり込むことになる。
かくて俺達は完全に公認の仲として扱われることになった。
村長は、彼女の家を俺達の旅の間に立派に改築するから、旅が終わったら楽しみにしていてくださいと言ってきた。
魂胆が見え見えすぎていっそ清々しい。
井戸もどんどん増えているしな。
今はもう、村の面々も既にリスティを実質的な俺の嫁として対応をするようになっている。
子供達は最初、俺とリスティが一緒に居る光景に戸惑っていたようだが、すぐに慣れた。
元々、皆、俺に懐いてきてくれていたからな。
二人はお父さんとお母さんになるんだね、なんて言っている。
俺達もそれを特に否定したりしない。
リスティは特に嬉しそうに子供達の頭を撫でていた。
こうした周囲の後押しもあり、俺とリスティの間の既に殆ど無かった距離は完全に消える。
彼女が俺にぴったりと寄り添い歩く姿は、もう村でも見慣れた光景になっている。
作業的に考えていた旅が思っていたより楽しい旅になるだろうことは間違いない。
こうなれば、女神から貰える特殊能力に魅了が無かったのは怪我の功名だったと言えるだろう。
そして、最後の懸念さえクリアできれば、もう何があろうと問題無い。
さあ、アスベル君、最後の賭けは君だ。
帰ってくるといいよ。
俺達は君を待って旅立つことにするから。
あれから井戸掘りのペースも上がり、今より更に畑を広げてもやっていけるほどには点々と井戸を配置した。
そしていくつかの井戸は似非自噴井戸となっている。
似非。
そう。
本当の意味での自噴井戸では無い、が、水が自力で汲み上がって井戸から溢れ、そこから小川の様相を呈している。
そのいくつかの似非自噴井戸を繋ぎ、それは人工的支流と本流となって畑の隅々まで水をまわす仕組みになっている。
似非だ。
解決したのは何のことはない、精霊力。
アクアリスが言っていた友達を呼ぶ? と言っていたのは結局こういう事だった。
要は水精霊的にも、地下を水が流れているより地表を流れている方が楽しい……ってことだったのだ。
呼ばれたアクアリスの友達が、片手間に井戸の水が組み上がるように力を加え水を流す事で、自分がここですごしやすいようにしてしまった。
おかげで今や村の側に小さいながら湖ができている。
そしてそこで子供が泳ぎ、魚を釣っている。
まあ、これで俺の肩の荷も下りた。
リスティを連れていく分の見返りはこれで充分だろ。
相変わらず村長が近づいてくると、その手が揉み手をしている風に幻視してしまうが……
「ほっほっほっ、今年は秋冬が楽しみですじゃ。近隣では水不足で大変でしょうが、我が村には関係ありませんからのぉ」
「そうですか」
喉元過ぎれば……
露骨すぎるぜ?
まあ、それはともかく、この村はもうほっといても良くなるよ。
「それで勇者殿、この村から旅立たれる件なのですが……」
ほらきた。
また延長依頼か?
「そろそろ旅立たれた方が宜しいのではと思いますじゃ」
……なんだ?
「この村はひとまず何とかやっていける目処は立ちましたでの、あまり勇者殿をお引き留めするわけにもいきますまいて」
おいおい、なんの風の吹き回しだ?
「後は魔王を封印した後に、ここにお戻りになられてリスティと居を構えらえるが宜しいかと思いますがの」
「いや、その申し出は有り難いんだが、もうしばらく滞在させて頂きたい」
「何故ですじゃ?」
「まだ気にかかる事がありますからね」
「それはいったい……」
アスベル君の事だよ、村長。
彼を見たらリスティの心が揺れる可能性が完全にゼロと確認出来ない限り、それを確かめる必要があるんだよ。
「色々とです」
「色々……そうですか」
答える気が無い俺に、村長もそれ以上問いかけてはこなかった。
「カズト~」
丁度そのタイミングで、リスティが向こうから駆けてきた。
「リスティが来たので、これで失礼」
「はい」
そして、村長を置いてリスティの方に歩いて行く。
「お話し終わった?」
リスティは俺の側に駈け寄ると、腕を組んで横に並ぶ。
まだ気温も高いのにな。
それでも俺もその手をほどいたりしない。
「ああ、終わった」
「また村に残ってくれって言われた?」
「いや、もう旅だってもいいってさ」
「ほんと?」
「ああ」
「それじゃ、もう行く? いつでも出られるよ?」
リスティは数日前から家の整理を始め、旅に必要なものは俺のアイテムボックスの中に既に収めてある。
お金も、俺が王都を出る時にかなりの路銀は貰っているから、リスティに聞く限り五年は旅出来そう……ということだしな。
その辺りは王様もケチったりはしなかったらしい。
「ん、まだもう少しな」
「そう?」
「ああ」
「いいよ、カズトが行きたいときで」
「ありがとう」
その時にもリスティが俺の側にいることを願ってるよ。
そんな事を考えると、リスティがぎゅぅと俺の腕を抱き締めた。
「駄目だよ? なにか変なことを考えてたでしょ? カズト」
「わかるのか?」
「わかるよ。もう」
「大丈夫だ、心配なことなんか無いから」
「ならいいけど」
ああ、心配することなんかないんだ。
そうして村の中を歩いて、村の入り口付近に来た時、見たことが無い一人の青年が立っていた。
背中に抱えていた背負い袋を落として。
そして、リスティが俺の腕にしがみついて呟いた。
「アスベル……」




