第16話 帰郷への道
アスベルは逸る心を抑えながら、急ぎ故郷へと向かっていた。
その手には討伐証明である地竜の鱗がある。
「リスティ待ってるだろうなぁ。早く帰ってやらないと」
アスベルはその手に持つ鱗の向こうにリスティの笑顔を思い浮かべ、顔をほころばせた。
リスティとこれだけ長い期間離れているのは、これで二度目。
前の旅は十二を数える頃に二年程で今回よりもずっと長かったのに、気分的には今回の方が長く感じる。
あの頃はリスティのことをまだ、妹くらいにしか見てなかったからなぁ。
あの時の旅の目的は、冒険者としての自分試し。
俺はあんな田舎で狩人として一生を終わるような男じゃ無いなんて粋がってみたりした。
結局、その冒険を経て自分には狩人が一番合うとわかった。
親父に無理矢理仕込まれただけで、イヤイヤやってたつもりの狩人業だったくせにな。
アスベルはつい苦笑いを浮かべた。
結局の所、あれはリスティにいいところを見せたかっただけだったんだ。
なにが妹分なんだかよ、あの頃の俺。
旅の後、少しして、リスティが好きだって気付いて告白して……
リスティと恋人になったって周りに宣言したら、今頃何言ってんだって友人達にも大人達にも冷やかされた。
皆、わかってたじゃねぇか。
それでも、あの時の冒険でこの風弓を得て、それで今回の地竜討伐が成ったんだから無駄でも無かったわけだが。
けど、今回も結構長い距離を旅してきたもんだよなぁ。
帰りはすぱーんと飛んで帰れたら楽なのにな。
俺もそういう魔法を使えるようになったりしないもんかね。
冒険してた頃、魔法使いのすっげぇ連中とかが転移魔法でひゅーんとあちこち連れてってくれたよなぁ。
そんなかつての冒険者時代を思い返す。
それで思い返したことがもう一つ。
そういや、このあいだの魔女も転移使ってたな。
あいつ何物だったんだ?
地竜を強化したのもあいつらしいが…… んな術聞いたことねぇぞ?
只でさえ強力な竜種を強化するとか、そんな術があったら流石に話題にもなるはず。
真面目に冒険者を目指し、情報収集の重要さを子供の頃から仕込まれていたアスベルが本気で集めた知識の中にそんなものは無かった。
魔族だからと言えばそれまでかもしれないが、魔族に対抗する側としても当然、相手の情報は重要だ。
そんな危険な術なら尚更周知徹底され、上を目指す冒険者ならそれを勉強しておくのは当然である。
もちろんアスベルは当然の側だった。
魔王が復活すれば、それに刺激された魔獣が若干凶暴化するという例はある。
だが、あれはそんなレベルでは無かった。
「あんなもんを村の森にいる魔獣に使われでもしたら大変なことになるよなぁ」
アスベルの心配は結局そこだ。
リスティと結婚して落ち着いたら、また情報を集めてみるか。
あれから新しい情報が出ているかもしれねーしな。
そんな風にアスベルが思っていたとき、彼の背筋にぞっとしたものが走る。
なんだ!?
彼は咄嗟に長剣を抜き、周囲に気を巡らせる。
「なるほど、勘が良いですね。彼女の評価もあながち過大評価でも無いようですね」
後ろ!?
慌てて振り返ると、そこには一人の女が立っていた。
黒い……
アスベルがその女を見たとき、真っ先に思ったのがこれだった。
漆黒の髪に漆黒の瞳。
白い肌が余計にその黒を引き立てる。
そして着る服は黒の巫女服……
巫女?
「あんた、巫女なのか?」
黒服の巫女なんて聞いたこともねぇが……
「そうね。巫女ではないかもしれないわ」
「どういう意味だよ」
「さあ」
答える気は無いってかよ。
「どっから来たんだよ」
俺はつい先程そこを通り過ぎた。
確かにそこには誰もいなかった。
「ずっとここにいましたよ? ここでこうしてあなたを待っていたのだから。気付かなかっただけでしょう?」
「なんだと?」
あり得ない。
なんだこいつは。
アスベルが感じているもの。
かつてこんな感覚を覚えたことなんて一度も無い。
絶望的恐怖。
死ぬ?
一瞬でその感覚に囚われる。
駄目だ!
その時、脳裏に浮かんだのはリスティの顔。
俺は死ねないんだよ。
リスティの元に帰るんだ。
どうすればいい?
どうすれば。
そういえば言ってたよな……
思い出したのは俺の剣の師匠でもあるベテラン冒険者が言っていた言葉。
これがそうなんだな?
必死に逃げろ!
その瞬間、全速力で走った。
こいつから一歩でも遠く。
だが
「いい判断ですよ。気に入ったわ」
数メートル走ったところで何かにぶつかった。
そこには見えない壁があった。
「でも、お話しする前に帰られてしまうと、私もここまで来た意味が無くなってしまうの」
逃げられなかったら?
全力であがけ!
「切り替えも一瞬。合格」
斬りつけた長剣が、女の眼前で止まっていた。
まあ当然ここにも壁はあるよな。
けどな、眼前に剣が振り下ろされたら目くらい閉じろよ、可愛げのねぇ。
ならこれは!
剣を離し、そこから一瞬で弓に持ち替えると、即、矢を上空に向けて放つ。
「なに?」
「よそ見してんじゃねぇ!」
そして、腰から引き抜いた短剣で女を乱突きする。
一撃一撃の間に隙間は作らない!
剣先は僅か女に届きはしないが、そんな事は百も承知。
何かを狙っていることもバレバレだろうが関係ねぇ!
息もつかせず突きまくる。
少しでも、ほんの少しでも意識をこちらに向ける。
女は、そんな必死の抵抗を試みるアスベルに目を逸らすことなく、楽しげに嬉しげに眺めていた。
その頃、上空では打ち上げた矢が風を纏って急速にUターンする。
目の前に居る敵を上から狙う弓スキル、ブーメラン。
狙いは女の脳天!
落下の加速も利用した超高速の矢でてめぇの脳天寸分違わずぶち抜いてやらぁ!
がっ!!!
「落ち着きなさい。なにも取って食おうとしているわけでは無いのよ」
な……
掴み取りやがった……だと?
超高速で落ちてくる矢を見もしなかったのに。
返すわね、と矢を差し出された。
足の力が抜ける。
そして、俺は膝から崩れ落ちた。
「俺に、何の用だよ」
それでも俺はぎりぎりの気力を保つ。
「勧誘、かしら」
「勧誘だ?」
「そうよ。彼女が言っていたでしょう?」
「彼女? あいつ、お前の仲間か」
「仲間? そうね。多分そう」
「お前らの仲間になって何をするってんだ」
「この世界を終わらせたり?」
「はん、お断りだ」
「即答ね。なぜ? この世界に心残りでもあるの?」
はあ? 心残りだ?
「俺には大事な女がいるんだよ。そいつとの未来があるこの世界は大事だ。なんで終わらせなきゃいけない」
「そんな脆い繋がりのために?」
「なんだと!?」
リスティとの繋がりが脆い、だと?
「でもいいわ。心残りがあるなら、今はいいわ。また会いましょう」
「来なくていい」
「女の誘いを断るなんて無粋よ。あの人なら大喜びするのに」
「あの人って誰だよ…… どうでもいい女の誘いなんぞ、心底どうでもいい」
「冗談が通じないのね。まあいいわ、無理強いするつもりもないもの。それではさようなら」
女は、その場からかき消えた。
魔方陣すら出てなかったってのに。
「二度と来んな」
これしか言えなかった。
聞いてるかどうか知らねぇがな。
後はリスティの元に帰るだけってのに、邪魔すんなよ。
緊張の切れた俺はその場に大の字で倒れた。
くっそぉ、今日はここで一泊するか。
それから更に数日。
あれから特に大きなトラブルは無い。
というか、あれが酷すぎて多少のことはトラブルの気がしないだけかもしれない。
あんなのに狙われてたら命がいくつあっても足りやしねぇ。
本気でもう二度と来ないで欲しいもんだぜ。
失礼な奴だったしな。
俺とリスティの絆が脆いって?
冗談は休み休み言えってんだ。
物心ついたときには、俺の側にリスティがいた。
いつだってあいつは俺の後ろを付いて歩いてた。
妹のように思っていたリスティが気がつけば一番大事な女になっていた。
リスティだって同じだ。
ずっと一緒に居た俺が、一番あいつの事を解ってる。
俺達の絆は壊れやしない。
そして歩き続けて、周囲の風景が徐々により見慣れた風景に変わっていく。
あと少しだぞ、リスティ。
待ってろよ。




