2話 水も滴るいい幼女
カラカラカラと井戸につけられた滑車の回る音があたりに響く。
井戸の深い穴にたらされた糸を手繰るのは母親に水汲みを頼まれたリーリャだ。しかし、いくら元竜とは言え体は子供、さらにはなれない人間の体を使った作業なので少し苦戦をしているところだ。
「むっ、うぬぬ……はぁああ……! ふぅ、なかなか大変なものだな」
齢七歳の幼女とはとても取れないような声を出して井戸の綱を引く。
上がってきた桶に入った水を家から持ってきた水桶に入れる。作業を終えると井戸の淵に桶を置き、水の入ったほうの桶を持ち上げる。
「おっと、やはり少し重いな。もう少し体を鍛えるか……?」
両腕を使い、体の重心を少しだけ後ろに傾けるが、調整がうまくいかずしりもちをついてしまう。
バシャッ、と水がリーリャの顔にかかる。
「う、む、やはり人の体の扱い方を学んだ方がいいな。それにこの時代に転生された理由も調べねば」
再び水桶を持ち、家へと歩を進める。
その間にリーリャは思考する。
(まずあそこはどこだったのか?)
あそこ、とは自身が転生する前、リーリャではなく、そして古竜でもなかった時期。古竜としての生が終わり、転生するまでの永劫とも取れるよな時間をさまよったあの場所のことだ。
(我はあそこで前に進まず、何故かその場で地団駄するように過去の事……竜に生まれたことを恨んでいた。それにあの時の声、あれは声というよりかは波長。人間ではなくスライムのような声帯を持たない生物が発する魔力を用いた会話に似ている)
しかし、そこで違和感に気づく。
スライムたちの波長は声。それは会話などという意思疎通ではなく、私はここにいるという一方的な言葉に過ぎない。
そして理性を持つ個体ならば波長を使わずとも魔法なりなんなりとで声を出して意思疎通を図ることもできる。
なぜそんなことをするのかというと簡単な話、発せられている波長を感じ取ることができるのは同種の生物のみだからだ。
だから意思のある生物は別の種族とも会話が取れるようにとなにかしらの意思疎通用の魔法を持っていることが多い。
(しかし、奴はなぜ同種にしか通じない波長を使った?)
それはつまり奴は少なくともリーリャと同種であるという証である。
しかし、その時はすでにリーリャが古竜ではなかった時期だ、そしてリーリャでもなかった時期でもある。
(ならば、あの時の我は……)
そして一つの答えに至る。
少なくともはっきりとした意識が今――自分がリーリャであるという意識があり、同時に古竜であったという意識があり、そのほかの意識はない。おそらくだが一回目の転生。ならばあの場所は……。
「死後の世界……か」
魔法の深淵ともいえるものさえも研究した古竜だ。その力はついにはいくつかの法則を打ちやぶった。しかし、生死や時の法則を打ち破ることは叶わなかったのだ。
「あれが死後の世界ならば魔法の証明にはなるな、しかし……」
リーリャには魔法を研究する理由がない。前世ではどうしても人間になりたかったために研究していたのが魔法なので、実際に人間になってしまった以上研究する理由がないのだ。
なので、
「まあ、あの声には感謝して人間の生を楽しむとするか」
彼女が目指すはただの平凡。
人間として、一人の女性としての幸せを手に入れることだ。
「ま、あの口ぶりからして変なことが起こることは間違いなさそうだがな」
さて、人間の常識というものが古竜であったリーリャに理解できるのだろうか。
まずはそこからであろうことをリーリャはまだ知らない。