プロローグの4 交わされるは杯か、それとも
竜は空を見上げます。
しかし、首は動きません。
なぜなら、すでに首はその頭から切り離されているからです。
「…はぁ……はぁ……やっと、死んだか……」
勇者と名乗った少年はバタッと倒れこみ、竜の首を見ます。
少年は首を動かし竜の首を見つめているだけで起き上がろうとしません。
『勇者、だったか?』
「ッ!?」
竜の言葉を聞いた少年は警戒をあらわにします。しかし、体が動かないのか起きあがろうしません。
『安心しろ、この勝負はおぬしの勝ちだ』
「………なぜ生きている?」
少年は警戒をあらわにして問いかけます。
『さてな。だが、我はもうすぐ死ぬことは間違いないだろう』
「……そうか」
少年と竜の間に沈黙が流れます。しかし、その沈黙は少年が口を開くことで破られました。
「なぜ、あれだけの人を殺した?」
少年は問います。
「なぜ、この森を毒に汚染させ生物の住めない環境にした?」
詰め寄るように少年の言葉が強くなります。
「なぜ――」
『主の幸せは何だ?』
問いかける少年の声を遮って竜は問い返します。
少しだけ訝しげな顔をしつつも少年は問いに答えました。
「人と……暮らすことだ」
『……』
「言っても信じないかもしれないがな、俺はこの世界の人間じゃない」
少年は一つ一つと過去を振り返るように言葉を紡ぎます。
「俺はこの世界に来たばかりの時にある国に世話になった。その時右も左もわからない俺に常識や魔法を教えてくれた人たち、俺の好みに合わせて料理を作ってくれた人たち、俺の剣の訓練に朝でも夜でも付き合ってくれた人たち。そんな人に報いるために俺はおまえを倒しに来たんだ」
『……そうか』
「そうだ、おま――」
『では、我の幸せは何だと思う?』
言葉を遮られもう一度出された問いに少年は頭を傾ける。なぜそんなことを聞くのか?と。
そして、少年は考えました。竜の幸せは何かと……。
すると少年は気づきます。今まで自分が信じていた情報の矛盾を。
邪竜は自分の住みやすいように森を焼き、動物を殺し、大地を汚染しました――竜がここに移住したのは事実だ。しかし、ここのように竜の被害を受けた土地を俺は知らない。
邪竜は残虐非道であり、言葉は通じません。甘い言葉で情を誘おうとするので気をつけてください――今になってなぜ情に訴えかける?もし竜に何か手があるとするならば今動けない俺を殺すことなんて簡単なはずだ。
かの邪竜は数千年の時を生きています。そのためか人語を操り魔法を使います――なぜ、数千年も生きているのに竜の被害はここ数年の物だけしかない?
そして……、
「なぜ……なぜ、被害は竜が襲ってきた形で発生していない?少なくとも竜が町や村に襲ってきたという記録は存在しないはずだ」
『……』
竜は自身の欲のために人間を殺していたのではない。むしろ、自身の欲のに駆られ被害を広めていたのは――。
少年は混乱しました。少年の信じてきたものが崩れる、少年の心に信頼という牙が突き刺さる。
少年が報いたいという人たちは、事実自分たちの行ったことのツケを取らされているだけに過ぎないことを理解してしまいました。
「そんな……そんなことあるか!!!」
人々はただ単純な欲望に身を任せ蜂の巣をたたいたに過ぎなかったのです。それも、自分たちの罪をすべて竜に擦り付けるという形で。
少年の心は疑念と焦燥、そして不安に覆われます。
『勇者よ』
「……なんだ?」
余裕がない。しかし少年は、いま眼の前にいる死にかけの竜の言葉に返事をしました。
『葛藤しろ、困惑しろ、だけど、お主が信じたいと思ったものは最後まで信じろ』
「どういうことだ……?」
竜の目に宿る光はだんだんと光を失っていきます。
『主はまだ世界を知らない』
「……あたりまえだ」
そう、不愛想に応えた少年の言葉に竜は苦笑する。
「なにがおかしい?」
『いやなに、数千年……いや、一万年に近い時間を生きた我でさえ、いまだ世界のすべてを知っていたわけではないのだ』
「………」
『我はな、人間にあこがれていたのだ』
「………」
『我は竜族の最後の生き残り。ついには、もしかしたら存在すると思った同胞に合うという夢すらもかなわなかった』
「……人間の方が数が多いからか?」
『それならゴブリンやオークがいるだろう?』
「……確かにそうだな」
『我はな、人間の表現に惹かれたのだ』
「表現?」
『人間はな、もし我の口から出る炎を一息吹けば灰になるようなちっぽけな存在かもしれない。だけど、彼らの口から出る歌に我は心躍らされたものだ』
「歌か……」
『それに人間が作り出した本というものは素晴らしいぞ!我の想像を超えるようなことばかりだ!』
「それはフィクションってやつだよ……」
『ふぃくしょん?ふむ、我の知らない単語だな」
「……まあこれに関してはしょうがない」
『つまりは一万年生きた我でも今だ知りたいと思えることがあるのだ』
「つまりはどういうことだ?」
『ぬぅ……少しは自分で考えぬか』
「あはは、生憎ここまで騙されて竜を倒しに来た馬鹿だからね」
『それもそうか、しょうがないから、そんな馬鹿に、教えてやるとするか』
「……ああ、教えてくれ」
竜の声は次第に途切れ途切れになっていきます。
『我はな、一度人間に絶望したのだ』
「そりゃああれだけのことをされちゃあ、あたりまえだな」
『だけどな、そんな中でも、我はまた人間を好きになれたのだ』
「………それはよかったな」
『お主じゃよ、勇者。お主のように、我の話を聞き、自己の頭で思考し、葛藤する。お主は、我の大好きな、人間そのもの、だった』
「……………」
『葛藤し、困惑し、絶望した、我でも、最後に、希望を、見ることができた、のだ』
「………」
『お主のおかげで、我の幕引き、としては、最高のものだ』
「………俺は、これからどうしたらいい?」
『それを考えるから、ゴブリンや、オークでは、なく、人間、なのだ』
「………なあ、さっきされた問いの答えを言っていいか?」
『な、んだ?』
「お前の幸せは、お前しか決められない。どうだ?」
『は、はは……そう来たか。これで、は、我も、考えなければ、いけないな」
「どうだ?幸せの答えは出たか?」
『そう、だな、我の、幸せは……』
竜は、最後まで言葉を発することはありませんでした。
そしてその後、毒沼と化した大地を踏みしめる少年は、前に進むことを決心しました。
「俺に道しるべを立ててくれた者がいた。そのおかげで俺はいまここにいるのだ」
この言葉は、後に数千年続く伝説となった勇者が、誰とも知れぬ墓前で語った言葉だった。
「どうか、次に俺とお前が生まれ変わるなら。一緒に酒でも飲みたいものだな」